【名作映像案内】第14回 大学生の就職難を描いた映画

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今回は2本の映画をご紹介します。

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1本は、或る大学(ロケ地は早稻田大学)に通う4年生のグループを描いたもので、グループのうち1人だけが落第してしまい、他の学生は無事試験に合格して卒業できる、というものです。落第して卒業できなかった4年生は当初は落ち込むものの、大学を卒業した者達に就職先がないので、寧ろ落第して幸いだったかのように安穏とします。大学を卒業した者は「急いで卒業することもなかった」と後悔し、落第した学生は大学の窓口で卒業生の就職口も尋ねる余裕を見せるのでした。
 もう1本は、やはり大学を卒業しても就職先が見つからない若者を描いた映画です。主人公は就職先を求めて会社訪問しますが「欠員がない」と言われてしまいます。続けて「受付ならいいがやってみるかね」と水を向けられますが主人公は「失礼ですが私は大学を卒業しました」とこれを辞退するのでした。主人公はその後も就職先が見つからず、前述の会社を再び訪れて「一歩を踏み出す決心をしました。受付でも結構です」と入社を希望します。この心意気に感心した企業側は「受付に限らず社員として働いて貰おう」と応じ、大団円を迎えるのでした。
 
 
 1本目の映画の題名は『落第はしたけれど』、2本目の映画の題名は『大学は出たけれど』。いずれも監督は小津安二郎で、公開年は『落第はしたけれど』が昭和5年、『大学は出たけれど』が昭和4年です。時代背景としては昭和4年10月にニューヨーク証券取引所で株価が暴落、昭和5年1月に日本政府が金解禁、昭和6年5月にオーストリアのクレジットアンシュタルトが破綻、という展開を辿っており、映画が公開された頃の日本の大学・専門学校卒業生の就職率は約4割であったそうです(出典は小学館の『小津安二郎名作映画集』)。また当時の大学進学率は現在よりも圧倒的に低く、大学・専門学校の学生は卒業してから就職活動をしていたそうです。状況は昭和初期と現代では異なるでしょうが、学生の就職難という点では当時も今も共通しており、現代的視点から2本の映画を見ることも可能でしょう。私は2010年にアップロードした「【新作アニメ捜査網】 東のエデン」の記事の中で『落第はしたけれど』とテレビアニメ『東のエデン』を比較したことがありましたので、『落第はしたけれど』についての論評はそちらに譲るとして、本稿では『大学は出たけれど』に注目したいと思います。
 現在の大学生の就職難の原因は幾つかあるでしょうが、それらのうちの1つに雇用のミスマッチがあると言われています。そして、昭和4年に制作された『大学は出たけれど』でも雇用のミスマッチが起きていることに気が付きます(但し、くどいようですが当時は大学進学率が低かったので、現在と全く同じ状況ではありません)。雇用のミスマッチだけが就職難の原因であるとは思わないけれども、現在において問題となっている現象が、約80年前に制作された映画の中で既に描かれているということは、この問題は新しいようで古い問題なのかもしれません。

(文:コートク)

※写真はイメージです。