■負けたときほど大きな成長のチャンス

先日、自主自立の精神育成を目的にボトムアップ理論で、サッカー推薦のない公立高校である広島観音高校を日本一(2006年のインターハイ優勝)に導いた畑喜美夫氏(現安芸南高校)の講習会と取材の機会に恵まれた。

練習メニューの選定から大会の登録メンバー、先発、交代選手に至るまで全てを選手に託すボトムアップ理論は、これまでのスポーツ指導の概念を覆すあまりに画期的なメソッドであるため、表面に出てくる言葉だけを受け取って素直に受け入れることは難しい。

例えば、畑氏は『子どもが自ら考えて行動する力を引き出す 魔法のサッカーコーチング ボトムアップ理論で自立心を養う』(カンゼン)の中で、選手権準々決勝の舞台、つまり、国立行き(ベスト4)が懸かった試合で、修正点を見出しながらもベンチから指示を出すことなく、あくまで選手の自主性を尊重する姿勢で、結果的に敗れてしまったエピソードを明かしている。指導者としての畑氏自身も「一生に一度経験できるかどうかわからない」千載一遇の好機を、ある意味でみすみす逃したことになるのだが、平然とこう述べる。

「負けて勉強という言葉があるように、私は負けた時、上手く行かなかった時ほど成長のチャンスだと思っているので、敢えてそこで口出しをして勝たせるよりは、自分たちでやった結果、勝てなかったとしても選手たち自身に考えさせた方が5年後、10年後に活きてくるのではないかと考えています」

畑氏にとっては、「修正点を言わなかったから負けてしまったというよりも、その残りの時間を子供たちと一緒に戦ったということの方が重要」であり、高校サッカーの舞台での勝者ではなく自身の人生における勝者になる方を優先している。毎年の初蹴りでOBが集まる度に、卒業した選手たちの進路や近況をこまめに聞き出し、パソコンでデータ管理しているという畑氏だが、惜しくも国立の舞台を逃したチームの選手たちも含めて、広島観音のOBたちは経営者になっていたり、学校の先生になっている者が多く、ニートは一人もいないのだという。

「そう考えれば、やはりこの5年、10年後のところでの勝負は勝てているのかなという気はしますよ。あの時にベスト4以上になったとしたら、今選手たちがどうなっているのかと言われれば、それはわかりません。ですが、その時はベスト4ではなくベスト8というポジションになってしまいましたが、今社会に出るスタートラインのところで言えば、1つ上に行けているのではないかなという気はします」

■週3回から2回のみの練習で日本一

こう胸を張る畑氏のサッカー指導の大きな特徴としては、週3回から2回のみの練習で日本一になったという点であろう。実際の試合に近い心拍数で100パーセント集中し、ハイインテンシティで練習に臨む脈拍トレーニングという科学的アプローチによって、週2回の練習でも当時の広島観音は、まだ高校サッカー界の超名門、そして、毎日過酷な長距離走を課して選手を鍛えあげていた小嶺監督率いる国見に走り負けするどころか、常に勝負でも勝っていたのだというから驚きだ。

結果的に効率性と科学的合理性を最大限追求した、そのトレーニングメソッドにより、高校サッカー界で勝利するだけの体力を身に付けた上で、過労に起因する怪我やコンディション不良も劇的に減ったという。畑氏も「練習が減れば減るほど選手たちの体調のバランスは良くなっていきました」と苦笑する。

ただし、単に練習量を減らすことで体力の向上と怪我人の減少が望めるはずもない。畑氏は週2回の練習日よりも「週3回のオフの時に秘密がある」と明かす。「自分たちの足りないところをノートに書いてトレーニングするというやり方を採用しています。そこに実は、その子が一番必要としているトレーニングが見えてくるわけです。そんなところを見て、また次の週2回の練習のところに自分なりの課題や取り組みを選手たちと一緒に考え、発信していきます。秘密の玉手箱ではないですが、子供たちの悩みが自主トレの中で色々と見えてきます。そして、サッカーだけではなくて、日常生活の過ごし方やコーディネイトの仕方、つまりサッカーをやる中ではなく、サッカーではないところから見えてくる場面があるので、そういう面が実は全体練習を少なくしているポイントです」

詰め込み型の全体練習を毎日、長時間やったところで本当に自分に必要な練習、自身の課題が理解できていなければ、さほど効果がないのは誰もが知るところ。畑氏の指導法は全く逆の発想で、全体練習をセーブすると同時に2冊のノートを活用しながら選手が自主的に考え、1日の生活を含めたコーディネイト、構成力を身に付けるための時間を用意する。

畑氏自身は「誰もが使える手法」と、他の指導者にメッセージを送るも、個人的には浸透するにはまだ時間がかかると考える。結局のところ、目先の勝利を追い求めて畑氏のボトムアップ理論を採用したところで、大事な場面で指導者が我慢できずに口を挟むことになってしまう。講習会、取材での畑氏の話しを直接聞くことで本当の意味で重要なことは、指導者が日々向上心を持って、人間力を高めていくことだと痛感した。だからこそ、我々メディアも指導力や目先の結果ではなく人間力を基準に指導者やチームを評価していく必要がある。

■著者プロフィール
小澤 一郎
1977年、京都市生まれ。サッカージャーナリスト。スペイン在住歴5年を経て、2010年3月に帰国。スポナビ、footballista、サッカークリニック、サッカー批評、サッカー小僧、ジュニアサッカーを応援しよう!などで執筆中。

著書に『スペインサッカーの神髄』(サッカー小僧新書)がある。また、「まぐまぐ」より、メルマガ『小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」』を配信中。