「イラストでもあまちゃん」その6(木俣冬)

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2013年4月1日の月曜日からはじまり、社会現象にまでなった朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が、9月28日の土曜日でついに最終回を迎えました。

北三陸市で海女を目指した少女アキ(能年玲奈)が、持ち前の無垢さや正直さ、年齢や立場関係なくため口精神などを発揮して、あらゆるハードルを飛び越えていくドラマは、全156回、涙と笑いが溶け合いながら、得も言われぬ感情を与えてくれました。

最終週「おらたち、熱いよね!」のエピソードを振り返りながら、「あまちゃん」の人気の秘密を9つあげてみます。

 その1. すべてがまるっとおさまった気持ちよさ 

「潮騒のメモリー」の歌詞が「三途の川のマーメイド」というコミックソングみたいな印象からはじまったにも関わらず、最終的に、アキや春子(小泉今日子)や、いろいろな人たちの人生の記憶を包括して「三代前からマーメイド」に鮮やかに変化を遂げたとき(水曜154回)は、テレビの前でスタンディングオベーションしたいほどでした。
このように、宮藤官九郎の脚本は、あ、あのときのあれはこうだったのか!と、あとからわかって気持ちよくなることが満載です。
155回、長いこと内縁だった荒巻(古田新太)と鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)、一回離婚している大吉(杉本哲太)と安部ちゃん(片桐はいり)、同じく一度離婚した春子と正宗(尾美としのり)が紆余曲折を経た後の結婚式も、まさにまるっと大団円の象徴です。

 その2.ヒロイン・アキの変わらなさにホッとする 


「あまちゃん」のヒロイン・アキは成長しない、と宮藤官九郎は明言し、アキに「プロちゃんになれない」と言わせています。
これは精神的な面ですが、物理的にも、アキ自身が16歳から20歳までしか成長していません。
これまでの朝ドラはたいてい、ひとりのヒロインの女の一生を描いてきました。子役や年配の俳優も起用して複数ひと役をやることもあれば、杉村春子の舞台「女の一生」ではないですが、若い女優がけっこうな高年齢まで演じることもあり、微妙に不自然なことも否めません。

「あまちゃん」では演じている俳優は実年齢に近い役しかやりません(古田新太と松尾スズキだけが80年代と現在と同じ俳優で演じました)。
ドキュメンタリーではないですが、俳優が体験したことが演技に出てくるような、ナチュラルな感じだからこそ、いっそう共感を得たように思います。
無理して成長させないで、アキやユイの思春期の瑞々しさだけで勝負したからこそ、ここまで盛り上がったのでしょう。

  その3.3世代を繋いだ、みんなのドラマという喜び 

夏ばっぱ(宮本信子)の世代、春子の世代、アキの世代と、3つの世代、各々の人生が描かれたことで、その世代の人たちがそれぞれ自分たちと重ね合わせて見ることができました。
高齢者も若者も、それぞれの価値をちゃんと描いた上で、155回の夏は「おまえたちの時代だ」と春子を見つめながら引退を宣言し、若い世代にバトンを託します。この場面は深い意味をもって響きました(ここでは夏の顔が映らず、春子たちの表情を映しているのも効果的)。

154回では、ヤング春子(有村架純)が、マイクをバトンのようにもって今春子に手渡すシーンもありました。
バトンは、テレビからテレビの前の我々にも手渡されているような気がします。
「あまちゃん」はフィクションで、北三陸市も架空の町ですが、ある瞬間、テレビの中とテレビの前にいる自分がつながってしまうのです。
北鉄の様子がテレビで放送されて全国に広がって、東京で甲斐(松尾スズキ)が見て「熱いよね」と言う。その場面は、テレビがみんなを繋げている気持ちにさせました。

152回の北鉄試運転、156回の運行再開と、北鉄を追いかけて、町の人たちが走ります。久慈の方たちがエキストラで参加しているそうです。その笑顔に心が晴れ渡りますし、そこにも自分を重ねてしまうのです。

  その4.最後の最後まで音楽が気持ちを高めた 

最終回、お座敷列車で歌ったあと、ユイは地震のときに閉じ込められてしまったトンネルの暗闇の中に自ら入り、通り越す決意をします。
アキという大事な親友と共に。それは、155回、お座敷列車のステージに全国放送のカメラも入ると緊張しているユイに、ユイと一緒なら「こわくない」と言ったアキと同じ気持ちなのではないでしょうか。
ふたりが線路を駆け抜けていくとき「潮騒のメモリー」が流れはじめます。
まずはアキとユイのバージョン。
「寄せては返す波のように」でお座敷列車の中から海を撮る、ミズタク(松田龍平)、ヒロシ(小池徹平)、正宗(尾美としのり)の輝いている表情が映し出されます。
「来てよその火をとびこえて」は春子バージョン。
「来てよその川のりこえて 三代前からマーメイド」は鈴鹿ひろ美バージョン。
「親譲りのマーメイド」のあと、カットはトンネルの中を転がるように、光に向かって走るアキとユイに切り替わり、彼女達は歓声を上げます。このタイミングがすごいいい。
そのまま「マーメイド、マーメイド」というメロディに、ふたりが「やーやー!やーやー!」みたいに騒いでいる声が重なります。
時空を超えて、みんなが合唱しているみたいです。
どこにいても、みんなの記憶の中に同じ歌がある、それってすごく幸せなことだなと思いました。
そして「好きよ嫌いよ」で、ついにふたりがトンネルを抜けます。
その瞬間に、ドレミファソラシド・・・・とオープニング曲が!
胸の高まりは最高潮。「あまちゃん」がすばらしい音楽劇として記されるであろう、歴史的瞬間でした。ここまで脚本指示なのか、井上剛の演出なのか、気になりますので 
「あまちゃん」完全シナリオ集で確認したいところです。

  その5.ラブ少々 

ドラマ終盤、アキが最終的に選ぶのは、種市(福士蒼汰)かヒロシ(小池徹平)か、はたまたミズタク(松田龍平)か? と視聴者をやきもきさせたものの、結局、一応、アキと種市の交際は続いていくという感じが匂わされました。

155回、種市が潮騒のメモリーズの看板絵のアキの口元の絵の具を乾かそうと、ふーふーと息を吹きかけるシーンが、その現れですね。
アキと種市の関係性は、キスシーンの前の卵焼きや初のお造りをアキが食べるエピソードや、今回のこのシーンなど、暗喩で見せるところが多くて、ポエジーなのです。

最も視聴者から期待されていたミズタクは、合同結婚式には参加せず(ヒビキ一郎(村杉蝉之介)は参加してるのに!)、「暦の上ではディセンバー」を口ずさみながら、アキの心ではなく、恐竜の骨をゲットするという偉業を成して、勉さん(塩見三省)を悔しがらせました(これは、実際に久慈市で恐竜の骨が発見されたニュースが元になっています)。最後まで、いいとこどりですな。


  その6.おかしいのか、涙が出ちゃうのか、癖になる複雑な味わい 

ミズタクが恐竜の骨をみつけたとき、勉さんは「琥珀なんか」と言います。
あんなに琥珀琥珀言ってたのに、人間ってわっかんないもんだなーって思いますが、かっけーだけの人間なんていないんでしょうね、やっぱり。

ユイとアキがトンネルを抜けたとき、「潮騒のメモリー」の「好きよ嫌いよ」という歌詞が重なりますが、ひとりの人間の中に、かっこいいもかっこ悪いもあるし、好きも嫌いもあるのです。
おそらく、ユイは完全にふっきれたわけではなくて、きっとこれからも悩むこともたくさんあるでしょう。アキだってそうです。

人間だもの、生きてる限り、気持ちは揺れ続けるのです。
ユイのように黒くなったり白くなったり、まめぶ汁のように甘くなったり辛くなったり、波のように寄せたり返したり、「潮騒のメモリー」のように可笑しかったり泣いちゃったり、いろんなことがあるのです。それでいいし、それしかない。
「あまちゃん」は最後の最後まで、まめぶ汁のようでした。

  その7. 繰り返される物語 終わらない余韻


「何よこの空気。最終回か! 冗談じゃない。人生はまだまだ続くのよ!」
これは23週、136回で、春子が、ちょっといい話になったときに言い放つセリフですが、まさにそれと同じく、「あまちゃん」は簡単にカタルシスに浸らせてくれません。
一回、潮騒のメモリーズが復活したからといって終わりではなく、むしろ、これからなのです。
アキが願いを込めてしていたミサンガは切れず「(歌を)間違えたからな」と反省します。
「明日も明後日も来年もある」「来年はこっから先にも行けるんだ」と前向きに考えるアキとユイの目の前には「この先へ!」と大きく書かれた北鉄復興を祈るポスター(?)が貼ってあり、北鉄の復興(線路が先につながっていく)ことと、アキたちの人生が重なって見えますし、視聴者にも前進せよ、と語りかけている気がします。

その前にも7月1日の北鉄運行再開セレモニーが、1回目にあった84年の北鉄運行開始のセレモニーとそっくりに描かれます。春子の行動が正宗になっていたりして。
歴史は同じようなことを繰り返しながら、続いていくのだと思わせるんですね。
「めっちゃ悔しい」というユイのセリフを勉さんが言ったり、「失礼しました〜」というユイのセリフを甲斐(松尾スズキ)が言ったり、誰しもが当事者になり得るのだと感じるのです。

アキとユイがトンネルを抜けたあとのオープニング曲も、終わらない感を高めます。
曲にのって、なぜか番組のホームページ画像が映り、そこに掲載された記事のタイトルで、2回、3回・・・156回までのドラマの足跡が思い返されるのです。これは斬新。ホームページがドラマと連動した、ひじょうによく出来たものだったからこそできたことですね。

それからふたりは、海に向い、灯台に向かって疾走します。
春子の呪詛の言葉「海死ね」をポン!と踏み台にして・・・・上昇! 
ふたりの最高の笑顔が映って・・・
本当に清々しい終わり方でした。

  その8.アキの役割は、ゴーストバスターだった!?

トンネルを超える場面で思い出したのが、133回、大吉が地震のときに「ゴーストバスターズ」を歌って自分を奮い立たせた場面。これは大吉が80年代から好きで、歌ってきた大事な歌です。
ふと、アキって、ゴーストバスターズだったのではないかと思ったのです。
アイドルになりそこなったヤング春子も鈴鹿ひろ美のリサイタルをきっかけに姿を消し、155回で、鈴鹿と春子もようやくようやくふっきれます。
(春子って鈴鹿の影武者、つまりゴーストシンガーだったんですものね)
とことん傷ついてきたユイも先に進む気持ちになりました。
人の気持ちに影を指すゴーストを、アキが放つちょっとおバカなくらい無垢な光が消していった、それが「あまちゃん」だったのではないでしょうか。

トンネルの暗闇から見える、遠くの光。
海底から見える、海上から漏れてくる光。
奈落に漏れる、ステージの光。
「あまちゃん」では、光が効果的に使われていました。
もの言わない光の画が、毎日、希望をくれました。アキの笑顔も光のひとつです。

とはいえ、ゴーストは簡単に滅びません。予期せぬ、いろんなことがいつでもどこでも、起こります。
それでも、そのつど、ゴーストを退治して、弔って、悼んで、先に進んでいくのです。
すると、あまちゃんは、尼ちゃんだったりもするのかもしれません。

 その9.最後まで、チクッと笑いを入れていく 

最終週は、いい話に次ぐいい話でしたが、宮藤官九郎は、そのいい話をそのたびに、はぐらかします。

ユイと地元の関係を、蟻の入った琥珀に例え、地元意識に守られてユイちゃんの魅力は永遠に色あせない、というミズタクに、太巻は「ごめん全然わかんない」と一蹴。ミズタクも「おれも自分でいってて違うなって思いました」とあっさり。「んだんだんだ」の下がっていくバージョンが聴こえてきそうです。

ほかにも、「夏ばっぱ・・・」「なんだ?」「え、ごめん 返事すると思わねかった」というのは、ドラマでやたらと出て来るモノローグへの批判でしょうか。
結婚式のあとの記念写真撮影時にミズタクがいないことに対して「いても気付かないのにいないと気付くもんだな」とアキが言うのは、後半、レギュラー俳優がスケジュールの関係か全員そろってないこともあり(弥生がいたりいなかったり、花巻は全然いなかったり)、そのことを作家が先に言ってしまったのではないかと勘ぐってしまいました。いや、もう、いろいろ、ほんとに面白かったです。半年間、ありがとう「あまちゃん」!
(木俣 冬)