今週はこれを読め! SF編

 スティーヴン・キングの新作はずずんと分厚い時間SFスリラーだ。超物理理論で設計されたタイムマシンなどではない。安さが売りものの個人営業ハンバーガーショップの薄暗い倉庫の「穴」が過去へ通じている。ジャック・フィニイ的な「なぜか開いている日常の裂け目」だ。ただしフィニイなら古き良き時代へのノスタルジーだが、キングはそう甘くない。過去は蜜でもあり茨でもある。憧憬でもあり恐怖でもある。それはコインの表裏のように分離できない。



 主人公である高校教師ジェイクは、血腥い過去を改変するため「穴」を抜けてメイン州デリー(キング読者にはお馴染みの街だ)へと赴く。そのたたずまいをジェイクはレイ・ブラッドベリが描くグリーンタウンに喩え、「そういえばフランク・ダニングは、ブラッドベリ作品に出てくる善良な人々のひとりに似ていないだろうか? しかしブラッドベリのグリーンタウンにもまた秘密が隠されていたのだ」と考える。フランク・ダニングとはこれから自分の従順な妻といとけない子どもを惨殺する暴力男である。



 ブラッドベリが詩情へ昇華したことを、キングはリアリズムの次元で丹念に描きこむ。フランク・ダニングのなかには善良と残忍が併存している。また、ジェイクの最終目的はケネディ大統領の暗殺を阻止すること(それが題名11/22/63の由来だ)だが、犯人のオズワルドもただの凶悪者ではなく、ひとひらの愛情や小市民性を宿した人物として描かれる。



 人物だけではない。1950年代末から60年代頭の時代を、キングは食べもの・音楽・ファッション・文化・慣習・社会制度......いくつもの層を織り交ぜて、その美しい面も醜い面もともに浮かびあがらせていく。ふつうに考えれば大味なヒロイズムにしか思えないケネディ暗殺阻止も、ジェイクがその時代を生きるなか(また彼が元いた2011年の状況を鑑みるなか)で、ぎりぎりの選択として妥当性を帯びてくる。そこでキーとなるのが「分水嶺的瞬間」の考えかただ。歴史のうちには変化してもその影響が少ないことがらもあれば、変化がドミノ式に波及していく急所もある。ケネディ暗殺はまちがいなく後者だ。もしケネディが生き延びれば、キング牧師の運命も変わるだろうしヴェトナム戦争の趨勢も変わるだろう。社会格差や人種差別や倫理荒廃がわずかなりとも好転するかもしれない。



 さらにジェイクには過去を改変する個人的な動機があった。それがフランク・ダニングの家族殺し事件である。ジェイクの社会人クラスの教え子であるハリー・ダニングは事件の唯一の生き残り(フランクの三男にあたる)であり、身体に障碍を残したまま教育の機会にも恵まれず暮らしてきた。清廉な心根と知性の持ち主が無為に年老いていくさまが、ジェイクには切なくてならない。ハリーの書いたぎこちない作文がちょっと凄くて、読者もジェイクの気持ちに同調させられる。



 いっぽう、時間SFとしてユニークなのは、「穴」が通じている過去が1958年9月9日正午2分前に固定されていることだ。いくら過去に滞在しても現代へ戻れば2分しか経過しておらず、もう一度「穴」をくぐれば、また1958年9月9日正午2分前に到達する。過去を改変すればその影響は現在にも及ぶが、ふたたび「穴」から過去へ戻ればすべてはリセットされる。すなわち歴史を変えたいのなら、必要な改変をすべてすませてから現在に戻り、もう二度と「穴」をくぐってはならない。逆に考えれば、改変に失敗しても「穴」のリセット機能でやり直すことができる。しかし、過去に滞在した時間だけ自分は歳を取る。また、「穴」がある現在のハンバーガーショップはもうしばらくで取り壊されてしまう。ジェイクは2回の試行で、リセットの深刻さと実際的タイムリミットがあることを痛感する。



 独自のSF設定と物語の切迫感とをうまくリンクさせていて、さすがにキングは上手い。それにもましてキングならではと舌を巻くのは、この時間遡行メカニズムに不可解な偏差があるところだ。それほど頻繁ではないが、ジェイクは過去のまったく別な場所でまったく無関係にかかわりになった2人の人物の容貌が無気味なほど類似していたり、姓が同じだったりすることに困惑する。ユングが言うシンクロニシティ(共時性)だが、小説読者には現代幻想ミステリ(もしくはアンチミステリ)がときおり仕掛ける「偶然の魔」と言ったほうがわかりやすいだろうか。ほんらい機械論的因果律に沿う時間SFにこうした不可解な感覚をなめらかに溶かしこみ、作品全体を不穏な色に染めあげるなど、とても並の小説表現ではできない。この不穏な雰囲気にさらに陰影を加えるのが、「穴」を抜けたジェイクがいつも最初に出会う得体の知れない〈イエロー・カード・マン〉や、ふいに聞こえてくる「ジムラ」という呼びかけである。妄想的なものなのか時間遡行ギミックに関わるものなのか読者の判断を宙吊りにしたまま、キングはこともなげに物語を牽引していく。たいした膂力である。



 物語性が軸のエンタメ小説は短いに越したことはないというのがぼくの持論(というか譲れぬ嗜好)だが、ことキングにかぎっては例外を認めよう。さぞ苦労なさったろう翻訳者の白石朗さんと製本業者さんには申しわけないが、500ページでも1000ページでも誤差のようなもの。停滞なく読みきってしまった。



(牧眞司)




『11/22/63 上』
 著者:スティーヴン・キング
 出版社:文藝春秋
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