特高警察の記録「進駐軍ノ不法行為」

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「慰安婦問題」でアメリカ政府は韓国・中国に歩調を合わせて「性奴隷」だったと日本を批判する。その一方で、GHQ占領下での日本人女性に対する米兵の「強姦事件」は日本人にあまり知られていない。近現代史家・ジャーナリストの水間政憲氏は新刊『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)の中で、以下のように解説している。

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 GHQ外交局長W・J・シーボルドは「(米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった」、「米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない」と記している(『マッカーサーの日本』1970年刊、新潮社より)。

 この米軍の「嘘」を暴く鍵は、占領下の1945年10月4日に解散させられた「特高(特別高等)警察」(約6000人)の記録の中にある。国立公文書館に所蔵されていたこの手書きの原本を白日の下に晒したい。

 そのファイルが377ページに及ぶ「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)である。マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の特高解散命令までの米軍の不法行為を特高警察が取り調べ、内務省警保局がまとめたものだ。

 ファイルによれば1945年8月30日〜9月10日の12日間分だけでも強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77、一般人に対する強盗・略奪など424件。特別事件として「葉山御用邸侵入」「二重橋ニ侵入皇居撮影事件」「宮様御用列車ニ同乗未遂事件」などが発生している。

 掠れたページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月間で少なくとも強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。

 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだった。

 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。

 しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。ファイルを見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。

〈強姦事件

(一)八月三十日午後六時頃

 横須賀市○○方女中、34 右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ

(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)〉

 同9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。

〈○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ〉

〈九月一日午後六時頃 トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ假死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ〉

 このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。

※『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)より