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当連載が始まる前、単発記事として、「信州ワイド周遊券」で出かけた鉄道旅行の話を紹介したことがあります。父と、当時中学生だった筆者との「阿房列車の旅」でした。その後、父は亡くなり、筆者は社会人になりました。就職して1年が過ぎた年の春、いろいろと溜まっていた(?)筆者は、あのときの経路をたどってみようと思い立ちました。

○急行「ちくま」で一晩を過ごし、再び小海線へ

昭和61(1986)年3月の連休。筆者は大阪駅のみどりの窓口で、前回と同じく「信州ワイド周遊券」を買い、急行「ちくま」に乗り込みました。当時、筆者は夜間の大学にも通っていたので、学割が適用されて8,500円ほどだったと記憶しています(記憶違いかも……)。

車内はけっこう混んでいて、座れはしたものの、足を前のシートに投げ出して寝ることはできませんでした。前回の旅行と同様、「ちくま」の車内で一晩を過ごして塩尻駅へ。まだ暗い時間帯の到着でした。塩尻駅はその4年前、1982年に現在の場所へ移転したそうですが、実際のところ、塩尻駅に関しては、夜明け前の強烈な寒さしか覚えていません。

そんな塩尻駅で乗り換え、ウォークマンでYMOなどを聴きつつ、小淵沢駅をめざします。途中で停車したどこかの駅のホームからゲレンデが見えて、スキーヤーが滑っているのを見たような気がするのですが、かなり朝早い時間帯でしたし、これも記憶が間違っているかもしれません。なにせ四半世紀以上も前の出来事ですから。

小淵沢駅で小海線に乗り換え。ちょうどそのとき、ホームに特急「あずさ」が入ってきました。狩人が歌ったあの列車だ! と思いつつ、「あずさ2号」だったかどうかは覚えていません。当時すでに「あずさ2号」は新宿発ではなかったので、たぶん違うと思います。

このときの旅行も、主目的は小海線でした。国鉄最高地点を通る路線として有名ですが、全線にわたって展開される高原の景色もすばらしいと思います。筆者が乗車した日は雪もなく、暖かな春の日和でした。国内で最も高い場所にある駅、野辺山駅で途中下車し、周辺を少し散策してから、小諸までの残りの区間を楽しみました。

○「碓氷峠越え」を体験しなかったのが悔やまれる…

前回の旅行では、小諸駅でいったん下車して小諸城趾を見に行きましたが、このときの旅行では、「信州ワイド周遊券」で行ける範囲まで行ってみよう! ということで、信越本線(当時)の軽井沢駅まで行くことにしました。追加できっぷを買い、隣の横川駅まで行ってみようかとも思ったのですが、なんとなくやめてしまいました。

いま思い出しても、本当に惜しいことをしました。長野新幹線の開通と同時に、信越本線の横川〜軽井沢間は廃止され、あの有名な「碓氷峠越え」はもう2度と体験できなくなってしまったのです。悔やんでも悔やみきれません。

軽井沢駅には、碓氷峠越え専用機のEF63形や、勾配線区用のEF64形がいました。どちらも本でしか見たことのない機関車です。筆者の住む関西では、貨物列車やブルートレインを牽引する機関車としてEF65形が活躍していましたが、EF63形・EF64形はいつも見慣れたEF65形と比べて、妙に色つやが良かったような気がしました。走る区間が短かったからでしょうか? もともと軽井沢に用事があったわけでもないのに、筆者はこれらの機関車が特急列車につながったり離れたりするところを見ながら、長い間ホームに居続けました。

軽井沢駅を発車する特急列車を見送った後、再び小諸方面へ戻り、その日は長野駅前のホテルで1泊。前回と同じホテルで、受付の横の壁に飾られたベッコウガメの剥製を見ながら、「あーそうそう、ここやったここやった」と、5年前のことを思い出していました。

翌日は善光寺にお詣りし、しっかり御戒壇巡りをしてから、篠ノ井線で松本駅へ。ホームには松本電気鉄道(現・アルピコ交通)のたいへんレトロな車両が停まっていました。「次に来たときにはぜひ、あの電車に乗ってみよう」、そう思ってたのですが、以来30年近く、この私鉄には乗れていません。当時の電車も、いまは全廃されたそうです。「いつか」という日は、いつまで経っても絶対に来ない、ということなのでしょうか……。

松本駅の改札を出て、前回の旅行で好評だった「雷鳥の里」をお土産に買い、そこから名古屋駅まで特急「しなの」に乗りました。たしか、周遊券とは別料金で乗ったような記憶があります。

「中央西線」と呼ばれる区間の中でも、塩尻駅から中津川駅までは山また山の渓谷沿いを走ります。前回の旅行では進行方向の左側に座ってしまい、ちょっと悔しい思いをしたので、今回はしっかり右側の座席を確保。車窓に映る川の景色がきれいです。

その間、ウォークマンから流れるのは、YMOの「ライディーン」。現代のiPodなどとは違い、ウォークマンと一緒にカセットテープも持参しなければならないので、あまりたくさん持っていくわけにも行かず、どうしても同じアルバムのリピートになってしまうのでした。当時最先端だったYMO(実際に流行ったのはその少し前ですが)のテクノな音と、車窓を流れていく山の景色が、なぜだか妙にマッチしていてイイ感じなのでした。

名勝・寝覚ノ床などの車窓も楽しみつつ、あっという間に名古屋に到着。そこから普通・快速列車を乗り継ぎ、大阪に戻ったときにはもう夜になっていました。丸2日間、ほぼ乗りっぱなしの第2次信州「阿房列車の旅」でした。

(おじま あきら)