安徽省ではめったに吹かない大風がハウスを容赦なく襲う。夢もろともたくさんの何かが一緒に飛ばされた瞬間……【撮影/上田尾一憲】

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湖南省の中南大学大学院在籍中に邱永漢氏と出会い、卒業を待たず、2005年から氏が亡くなる2012年5月16日まで秘書として中国ビジネスと中国株を直接学んだ上田尾さん。安徽省合肥で農業ビジネスに奔走する日々と挫折。そして、次なる夢を求めて……。

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 2012年から中国の地方都市である合肥で、日本人の希少性を武器に、地元の政府の方々や地元有名企業の社長さんたちとの関係を構築しながら農業や不動産開発の仕事を進めてきました。このコラムでも何度も地方都市の魅力をご紹介させていただいたのですが……なんと今は地方都市ではなく、大都市の深センに拠点を移して新たなビジネスの立ち上げを行なっています。

 あれだけ「これからの中国は地方都市だ」と騒いでいた私でしたが、なんともあっけなく大都市に来た理由とは? 正直に言うと合肥の農業ビジネスは失敗し(まだ会社は経営していますが)、新たなチャンスを求めていたら深センにたどり着いたということになります。

すべてがチャイナスピードで進んでいたが……

 なぜ農業ビジネスに失敗したのか……。理由は簡単。理想と現実に大きな差があり、ちから不足でその差に対応できなかったからです。

 当初は日本の技術と管理によって、安全で美味しい農産物を中国の富裕層に届けるという考えで進めていました。地方政府との関係が使えたので、合肥市の中心から車で1時間以内の場所にまとまった農地を平均的な市場価格で借りました。今の中国にはまとまった農地がどこにでもあるわけではないし、合肥であれば上海、北京、武漢、広州など大都市のほぼ中心に位置するので、今後の発展を考えても良い場所ではないかということで決めました。

 この地域は中国でも有数のイチゴの産地で、政府からの強い薦めもあって、自然と会社はイチゴ生産の方向へと歩き始めました。イチゴは面積当たりの収入も他の農産品と比べて圧倒的に高く、日本のイチゴ生産会社の協力を得ることもできたからです。まわりの農民もこれまでにイチゴを生産していた人たちが多く、イチゴの取り扱いにも慣れているし、イチゴの専門家もたくさんいるから問題ない、との話でした。

 政府農業部の役人たちはどんどんと押してきます。合弁先の中国企業側も政府の役人が薦めることをどんどんと受け入れて、250棟のハウス建設が始まりました。とにかくすべてがチャイナスピードで、十分なマーケティングも行なわれないなか、猛烈な勢いで農業事業が始まってしまったのです。

 日本から来た農業会社の方も私も、それをコントロールできないままあらゆることが進んでいきました。

 日本の生産者の細かく計算されたハウス作りではコストも大幅にアップするし、なによりまわりの農民は安いハウスで十分生産できているので、「こんなのはだいたいでいいんだよ! だいたいで! スピードが大事だ!」と、我々日本側の意見に聞く耳を持たず、「ここは中国! 郷に入っては郷に従えという言葉があるだろう! これでいいんだよ!」と、とにかくスピード重視で進んでいきました。

 このスピートには政府の方たちも満足そうで、たくさんの役人が我々のまだ何も生産していない準備段階の農場に見学に来てくれました。よかったのはここまでです……。

 計画性のないハウス建築、さらに運の悪いことにハウス建設会社の社長が何かの理由で刑務所行きになり終盤で工事がストップ。慌てて他の業者に頼みましたが、終盤からの作業は儲けが少なく、どの業者もやりたがらない。しょうがなくある程度のお金を払って何とかやってもらいました。

 そしてさらなる追い撃ちで、突風が吹きたくさんのハウスが飛ばされてしまったのです。ハウス業者の手抜き工事にも原因があり、結果的に時間もコストもかかってしまう結果になったのです。

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