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このコラムは、大袈裟なネタではないけれど、知っているとちょっと自慢できる「あの街の歴史エピソード」を紹介します。第八回は、世田谷区、東急田園都市線沿線の「桜新町」です。

■街の至る所にサザエさん一家の姿が。古き良き昭和を思い出させる街

日本人なら誰もが知っている漫画『サザエさん』の主な舞台となった街はどこか、ご存じですか? 答えは、東京都世田谷区にある桜新町。『サザエさん』の作者である長谷川町子は、昭和21年から、平成4年に亡くなるまでをこの街で過ごしました。

主な舞台、と書きましたが、実は『サザエさん』の舞台は、最初からこの桜新町だったわけではありません。長谷川町子は昭和19〜21年にかけては九州の福岡県福岡市に住んでおり、『サザエさん』はこの地で発案され、昭和21に地方紙である夕刊フクニチ新聞に連載が開始されました。そのため作品の舞台も、最初は福岡市だったのです。同21年暮れに長谷川町子が転居した後は、舞台も福岡から東京に。作品の中では、波平が東京へ転勤になるという設定で、サザエさん一家が引っ越しをするエピソードが描かれます。

東京へ移ったばかりの一家が描かれる初期の『サザエさん』を読んでみると、今の日本では見られなくなった、昭和ならではの懐かしい街の光景を知ることができます。たとえば、旧式の公衆電話や丸いポスト、井戸、通りを横切る牛。戦後間もない時期なので、普通の商店に混じって「配給所」の看板も。また、かつてこの界隈を走っていた、「玉電」こと東急電鉄玉川線かと思われる路面電車も登場します。

漫画『サザエさん』の連載は、途中、掲載誌を朝日新聞に変えて昭和49年まで続きます。原作を元に作られたアニメは、今も放送が続く長寿番組。この歴史ある作品の舞台となった桜新町は、時代の流れとともに少しずつ表情を変えながらも、「サザエさんの街」として住民や訪れる人に親しまれ続けています。昭和60年には長谷川町子美術館が開館し、62年には、桜新町駅前から美術館へと続く通りが「サザエさん通り」と名付けられました。さらに平成24年には、この通りに、街のシンボルとしてサザエさん一家7人の銅像が建てられました。飲食店や食品、雑貨などの個人商店が軒を連ねる商店街の和やかな様子は、サザエさん一家のような「東京の普通の家族」の暮らしを象徴しているようです。

参考/『長谷川町子全集 第一巻 サザエさん1』朝日新聞社

桜新町商店街:

福岡市早良区:

文●高倉 都(エフスタイル)