今週はこれを読め! ミステリー編

 マーク・ボジャノウスキ『ドッグ・ファイター』。
 なんだか魅力的な題名の小説だ。
 私は今「ガイブン酒場」というイベントをやっていて、各社の新刊外国文学を読んで紹介するということをしている。その課題作の一つに選ばれてきた作品である。
 名前も知らない作家の、よくわからない小説(ボジャノウスキはこれがデビュー作だが、以降まだ次の作品は発表していないらしい)。
 なんの予備知識もなく読み始めた。
 そして、おお、おっ、と腰が浮いた。
 なんだこれ。すっごくおもしろい犯罪小説じゃないか!
 
 ----メキシコで俺はイヌと闘った。
 そういう書き出しの小説だ。主人公は名前も明かされない〈俺〉。舞台となるのはメキシコの架空の都市、カンシオンである。時代はおそらく第二次世界大戦直後ぐらいに設定されている。そこの建物の屋上に闘技場があり、定期的に人間が猛犬と殺し合いを演じる見世物が開催されているのである。男たちは腕に厚ぼったい敷物を巻きつけて闘技場に入る。そこに噛みつかせておいて、イヌの息の根を止めるのである。もちろん素手。ときにはしくじってイヌの牙で喉笛を切り裂かれるときもある。

〈俺〉はメキシコ湾に面したベラクルスで生まれ育った。幼い〈俺〉を支配した者は祖父だ。〈俺〉の耳に闘う男たちの物語を語り続け、それらと生きるように命じた。母は祖父の言葉を忘れるように懇願したが、〈俺〉の心はすでに物語によって閉ざされていた。祖父の死後に母も没し、後には柔和な心の父親だけが残る。次第に精神が崩壊していく父を見捨て、〈俺〉は出奔した。そしてカンシオンの街へと流れ着くのである。

『ドッグ・ファイター』の主人公は、このような孤独な魂の持ち主だ。語りは変則的で、回顧譚形式になっているだけではなく、すべてが〈俺〉の記憶によってデフォルメを施されて綴られる。かぎかっこなしで書かれる会話、極端に読点の少ない文章は、それが彼の意識の流れから出てきたものであることを示しているのだろう(訳者あとがきによれば、原文には読点が皆無であったが、日本語で読まれることを配慮して最低限のものを補ったのだとか)。したがってカンシオンの街、そこで出会うひとびとの姿は、皆、夢の中のようにゆらゆらとあやふやな輪郭を持っている。ラモンという名のベテランなど、ほかのドッグ・ファイターの中に主人公が入りこんだように読める個所もある。

『ドッグ・ファイター』はまた、〈俺〉の狂おしい恋愛の物語である。カントゥスにたどり着く以前、彼は一人の女を我が物にしようとしてその夫を殺害した。ドッグ・ファイターとしてのデビュー戦で彼は闘技場に来ていた一人の美しい女を見初め、執着するようになる。名前も知らない彼女を言葉で汚した男を撲殺したこともあるほどだ。イヌに切り裂かれて男たちが流す血と、絶命した獣が垂れ流す糞便の臭いに満ちた小説だが、その中で主人公は美しい女の夢を見続けるのである。

 小説を牽引していくのは、カンシオンで建設中のホテルを巡る問題だ。カンタナという実力者が、アメリカからの資本を引っぱってこようとしてその開発を決めた。しかし土地の古老たちは生理的な拒絶反応を示し、建設を阻止しようとして暗躍する。そのために無駄な死人が多数出るのである。最強のドッグ・ファイターになりかけていた〈俺〉もその騒動に巻き込まれていく。闘う英雄として、人殺しの神としての自我を植え付けられた男が一個の凶器として利用されていく物語でもある。
 こういう作品を昔たくさん読んだ。それらはハードボイルド、と呼ばれていたはずだ。

(杉江松恋)


※明日8/23 新宿で「ガイブン酒場」イベントを開きます。『ドッグ・ファイター』を含む新作を多数紹介。作家特集として、8月30日より原作映画『オン・ザ・ロード』が公開されるジャック・ケルアックについても、ほぼ全作品を採りあげる予定です。『オン・ザ・ロード』の訳者であり、新しく『トリステッサ』を翻訳された青山南さんも来場予定。
 詳しくはhttp://boutreview.shop-pro.jp/?pid=61731303から。
 当日券は500円UPですが「WEB本の雑誌を見た」で予約扱いで入れます。



『ドッグ・ファイター』
 著者:マーク・ボジャノウスキ
 出版社:河出書房新社
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