夏の甲子園も終盤戦。過去の大会同様に、球児たちの一生懸命な姿が日本の夏を彩っています。

 甲子園大会における屈指の名場面として多くの人に記憶されているのは、1992年夏の大会2回戦の星稜高校対明徳義塾戦ではないでしょうか。星稜高校の4番打者は、後に読売ジャイアンツやニューヨーク・ヤンキースで活躍する松井秀喜氏。試合後に「高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」と称した明徳義塾の馬淵史郎監督は、明徳ナインに松井への敬遠を指示。全5打席で敬遠された松井は一度もバットを振ることが出来ず、星稜高校は2−3で敗退しました。

 松井氏との勝負を避けた明徳義塾は、試合後から観客の罵声やブーイングを浴び、宿舎には嫌がらせや抗議の電話が殺到。精神的なダメージを受けた明徳義塾は、本来の実力を発揮することが出来ずに、3回戦で敗退しました。

 大きな社会問題に発展しただけでなく、当事者となった球児たちの人生を大きく変えた松井秀喜への「5打席連続敬遠」。その試合から15年後の夏。自らの人生を再び歩むようになった、元球児や監督に丹念に迫ったのが書籍『甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実』です。

 本書では、チームの勝利のために松井へ全20球ボール球を投げた河野投手や、松井敬遠後の打席で5打席0安打に終わってしまった星稜の5番打者月岩、明徳義塾の監督であった馬淵監督へのインタビューを収録しています。高校球児たちの夢舞台である甲子園において、「勝利すること」「勝負すること」のどちらが大事なのか。当事者たちが語るそれぞれの真実は、この事件が持つ奥深さを浮き彫りにします。

「5打席連続敬遠」の張本人は、果たしてどう振り返るのでしょうか。松井氏は、「新潮文庫の100冊」の冊子「ワタシの一行」で『甲子園が割れた日』を紹介。

「両校の野球観の違いの背景にあったもの。それは、野球に純粋だったのか、勝負に純粋だったのか、その違いだった」

との一節を取り上げたうえで、試合を振り返っています。

「勝負に負けたのは悔しかったですが、3年間で一番、思い出に残る試合でした。あの試合が、思い出に残る試合でした。あの試合が、その後の野球人生のエネルギーになったのは間違いありません。高校時代、あれ以上の出来事はなかった。お互いに精一杯やった結果。5連続敬遠に感謝したくらいです」

 人生を大きく変えたであろう事件に対し、謙虚に感謝する松井氏。あの夏がなければ、後のメジャーリーガーは誕生しなかったのかもしれません。

【関連リンク】
甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実(あなたの一行に出会おう。新潮文庫の100冊)
http://100satsu.com/detail.html?id=133241



『甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)』
 著者:中村 計
 出版社:新潮社
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