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前回、ひとりでつくば博へ旅に出た話を書きましたが、今回はその旅行での帰路について書きたいと思います。東海道本線を走った「大垣夜行」の話です。

いまでは「ムーンライトながら」と呼ばれ、特急形車両で運行されていますが、筆者が乗った当時(つくば博が開催された1985年)、その列車は「大垣夜行」と呼ばれていて、車両はたしか、湘南カラーの165系だったと思います。窓辺に駅弁とプラ容器のお茶が似合いそうな、背もたれ直立4人掛け座席の車両でした。

○明るい車内で過ごせる安心感、それこそ夜行列車の魅力

筆者にとって、初めての夜行列車の旅です。これから長い夜を過ごし、西宮へ帰るのです。ずっと前から憧れていたシチュエーションです。

東京駅で列車の乗り込んだ後、しばらくの間、車内は深夜帰宅のサラリーマンも多く、混んでました。でも駅に着くたびに1人、また1人と降りていって、熱海駅に着く頃には車内もかなり空いてしまい、4人掛けの座席は筆者1人だけになっていました。靴を脱いで、向かいの座席に足を乗せ、リラックスできるポジションになります。

大体どこでもどんなときでも眠れる"コンビニエンス睡眠"な筆者ですが、「せっかくの夜行列車なのに、寝てしまうともったいない」なんてよくわからない気分になってしまい、遅くまで起きていることにしました。……いや、起きていたつもりでも、実際にはかなり深く眠っていたかも知れません。

夢とも現実ともつかない状況の中、窓の外の暗い景色だけが流れていきます。「タタントトン、タタントトン」という規則正しい走行音と、ときどき背中に感じる軽いバウンドのようなものが、明るい車内に夜を忍び込ませてくるかのようです。外は真っ暗で、きっと虫もお化けもてんこ盛り(?)でしょう。壁1枚隔てた外は「異界」だったかもしれません。ところが車内は明るく、快適です。この安心感に包まれながら移動できるところが、夜行列車の旅のたまらない魅力のような気がします。

ところで、最近に限ったことではなく、国鉄時代から夜行列車というのはつねに絶滅の危機に瀕していました。向こうに言わせれば、「遠くへ行く人は新幹線や特急列車に乗りなさい」ということでしょう。当時からロングランの夜行普通列車がどんどんなくなっていったのです。そんな中、「大垣夜行」は貴重な生き残りでした。さまざまな思惑や時代の波にもまれ、紆余曲折を生き抜いてきた列車です。

そんな「大垣夜行」を受け継いだ夜行列車「ムーンライトながら」は、いまや臨時列車とのことで、寂しい限りです。ひょっとしたら、近年の高速ツアーバス規制強化の影響で、再び夜行列車を利用する乗客が増えるかもしれない。そうすれば、「ムーンライトながら」も定期運行に戻れるかもしれないのに……と、淡い期待を抱いたりもしているのですが。

○夜行列車から朝の通勤電車へ、そして旅は強制終了…

「大垣夜行」で一夜を過ごした筆者。浜松駅を過ぎたあたりでしょうか。外の景色が白くなってきました。電車内で迎える夜明けは、もちろんこのときが初めてです。窓の外を流れていく景色がすべて美しく見えます。もう外の世界に魑魅魍魎はいないでしょう。牡丹灯籠のような安堵感とともに、「大垣夜行」の旅の終わりが近づく寂しさも少しありました。

真夜中の列車は美しいのですが、その走る姿を写真に撮るのは困難です。一方、明け方の列車というのは、外から見ても美しいと思います。たとえそれが、「大垣夜行」のような長距離を走る列車ではなく、営業距離の短い阪神電車だったとしても。夜明けの列車の姿に、「ここではないどこか」へ通じているような余韻を感じてしまうのです。じつは最近、そういう写真を撮ることに、ちょっとハマっています。

「大垣夜行」の終点、大垣駅が近づくにつれて、車内は朝早くから出社するサラリーマンや、制服を着た学生たちが目立つようになりました。それまでの「夜行列車の旅」モードから一転、日常の朝の風景に戻ります。使用される車両は同じとはいえ、「大垣夜行」があっという間に朝の通勤列車に変貌してしまって、今回の旅もあっけなく強制終了させられたような気分になってしまうのでした。

(おじま あきら)