妻・伊藤蘭との約30年ぶりとなる夫婦共演についても語った水谷豊/撮影/野口弾

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昭和初期から戦争直後の神戸を舞台にした妹尾河童による大ベストセラー『少年H』を、名匠・降旗康男が映画化。それだけでも、本作は今夏の邦画界における最大級のトピックに違いないが、その主演を水谷豊が務めるとなれば、さらにその話題性は増す。なにしろ水谷豊が降旗監督と仕事をするのは実に36年ぶり(最高視聴率37.2%を記録して社会現象となったテレビドラマ『赤い激流』以来)。そして、その妻を演じるのは、約30年ぶりの共演となる伊藤蘭。つまり、24年前に結婚して以来、共演するのはこれが初めてのこと。水谷豊はその内幕を率直に語ってくれた。

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「原作を読んでいる時に、主人公の妻のところになると、不思議と頭の中に蘭さんが浮かんできたんです。まだその時点では、今回の映画化自体が決定してなかったんですけど、仮に僕がこの役をやらないとしても、妻の役は蘭さんがいいんじゃないかってプロデューサーに話したくらいで(笑)」。実際の夫婦が夫婦役を演じる、しかもメインロールの役で。となると、過去のケースが古今東西の作品でもごく限られてくるのだが、それはそれだけ仕事と家庭内の両立が難しいからなのではないか。しかし、まったくそんな心配はなかったと水谷豊は言う。

「最初から何の心配もしてなかったんですけど、撮影に入ってからも、家に帰ったら一回も仕事のことは話さなかったですね。もしかしたら、家で台本の読み合わせくらいはするのかなとも想像していたんですけど、いざ始まってみると、一切翌日の話をしてこないんですよ。だから、自分にとっては他の作品の撮影とまったく同じでしたね」。ここまでくると、仕事を家庭に持ち込まないとか、そういうレベルを超えている。

本作『少年H』で描かれる家庭も、当時の一般の家庭とは少し異なる家庭だ。港町神戸で洋服の仕立屋を営む主人公は、顧客に数多くの外国人を抱えている。また、その妻は熱心なクリスチャン。そんな主人公一家は、戦争によって社会が変化していくにつれて、有形無形のプレッシャーに晒されていく。「人間って、社会人としての面と、個人としての面と、その両面があると思うんですね。でも、この主人公はどんな状況にあっても、社会や組織に可能な限り縛られることなく、人としてどうやって生きればいいのかということを最後まで考えていた人です」。そんな主人公を、水谷豊はほとんど素のままと思えるほど自然に、それでいてこれまでの他の出演作とはまったく異なる印象で、見事に演じきっている。

「時代背景として戦争も描いていますが、あくまでもこれは家族を描いた作品なんです。家族の変化を描くことで、その結果として“戦争とは何なのか?”ということを語っている。そこが他の作品にはない面白いところ。当然、過酷な時代ではあったわけですけど、そこにちゃんとユーモアがある。“生きていくためのユーモア”というものが、この作品の魂の部分にあるものだと思うんです」。

企画がスタートしたのは東日本大震災よりも前とのことだが、本作が持つそんな“生きる力”を奮い起こすメッセージは、現在の日本で生活する人々の心に、とてもストレートに響くものになっている。インタビューの最後に、水谷豊は次のように力強く語ってくれた。「映画って、人が落ちていく姿、打ちのめされる姿を描く方が物語になりやすいんですよ。その方が観客にとってドラマチックですから。でも、この作品は、そこから立ち上がっていく姿も丁寧に描いていて、最後にはちゃんと未来へと開かれている。そこが素晴らしいなって思ったんです」。【取材・文/宇野維正】