【無所可用】第53回 方向転換が必要な鉄道車両〜過去帳になってしまった「単端式」のおはなし〜

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DSCN0584毎度PVを稼ぐのに苦労する話題をお送りしております「無所可用、安所困苦哉」でございます。最近古い話ばかりじゃないかとお思いの方も多いかと思いますが、今回も相変わらず古い話で、「片側にしか運転台がない鉄道車両」のお話です。

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先にちょっと説明しておきますと、片側にしか運転台がない車輌は普通にあります。しかし、それらは数両つないで編成にして、前後に運転台が来るようにして運転することを前提としたものです。ここでは、単行(1輌)で運転するのに片側にしか運転台がない場合、または、編成になっているのに片側にしか運転台がない車輌についてお話します。

皆さんは鉄道の終点に行かれたことはありますか?
終点についた列車は、運転手さんが後ろの運転台へ移動すれば、逆方向へ戻って行けます。
最近は機関車が牽引する形式の列車は貨物列車を除くと極端に少なくなってしまいましたので、目にする機会がなくなりましたが、機関車が引っ張る場合は、機関車を後ろ側へ付け直して戻ります。

ここでサムネイルの車輌を御覧ください。
これはカナダの機関車(製造はアメリカ)ですが、運転台が片側にしかありません。これでは、終点で戻る時、後ろへ付け直すだけでは走れません。
ではどうするかというと、

1)2輌の機関車を背中合わせに連結して使う
2)終点ではターンテーブルで車輌の向きを変える
3)終点を、行き止まりでなく、ぐるっと回れるようにする

大抵の場合、このどれかで対応されます。
サムネイルの機関車は、元々、1)のような使い方を想定したものでした。この時代のディーゼル機関車は1輌ではパワーが不足ということも原因です。

2)は、蒸気機関車時代は当たり前のことでしたが、最近は必要がなくなり忘れられているだけです。
3)は、欧米ではよくあります。特に路面電車ではこのパターンが多く採用されています。古地図によると、日本でも、路面電車の黎明期にはこのパターンがあったようです。路面電車に事例が多いのは急カーブを曲がれるためで、ぐるっとまわれるように線路を敷いてもあまり場所がいらないからです。アメリカでは三角形に線路を敷いて、2回逆向きに運転して向きを戻すという方法もよく使われたようです。日本でも「展望車」が使われていた時代には行なっていました。

蒸気機関車の時代は、機関車は基本的には正面を向いて運転するもので、折り返す場合にはターンテーブルで向きを変えるというのが普通でした。短距離の場合や、山岳路線などでは、逆向き運転もありましたが、例外的扱いと言えるでしょう。蒸気機関車の時代にはあたりまえに行われていた機関車の方向転換ですが、結構な手間とコストがかかる作業ではなかったかと思われます。
一方、現在の日本の電車、気動車では、運転台は編成の両側にくるようにするのが当たり前で、1輌で運転することを予定している車輌は、運転台は両側にあります。車輌の構造上からも、向きを変える手間が無くなった、と言えます。

ところで、かつては運転台が片方にしかない気動車が存在していました。
理由の一つは、蒸気機関車が使っていたターンテーブルがあるため、片側運転台でも別に困らなかったのです。また現在使われている「液体変速機」というものが開発される前は、自動車と同じようにクラッチを使ってギアチェンジを行なっていました。もちろん、車輌の両側に装備すればいいわけですが、その分構造が複雑で高くついたり、車輌が小さい場合には片側で十分という事情もあったのでしょう。
こうした気動車を「単端式」と呼びます。
とてもわかりやすいのはこのコラムでよく引き合いに出す、根室拓殖鉄道の「銀竜」号。素人目に見ても運転台が片方にしか無いことがわかります。

根室拓殖銀龍

単端式気動車は戦前〜戦争直後あたりの製造が多いです。銀竜号の製造も戦後まもなく。ですが、もう少し後年になっても、単端式気動車は作られます。スタイルは次第に洗練され、後ろから見ないと単端式とは気づかないような車輌も現れます。

歌登の単端

ターンテーブルに乗れればこれでも問題はありません。ただしこの車輌は北海道向け。冬、雪が積もると、ターンテーブルが回るように除雪するのも一苦労だったとか。

アメリカにはもっと強烈な印象の単端式が存在します。リオグランデ・サザン鉄道の「ギャロッピング・グース」と呼ばれる車両たちで、当初は保線用に、後期は旅客輸送にも利用されました。4ドアセダンやトラック等の自動車を改造したもので、なかなか大胆な改造をしたものです。第二次大戦後まで活躍しましたが、製造は戦前です(具体的な年代は文献により差があり、確証が出せません)。何両かは保存され、現在でも見ることができます。

ギャロッピンググース

ところで、九州の山鹿温泉鉄道というところに、ものすごい単端式の記録があります。
山鹿温泉鉄道は、災害により線路の一部が崩れ、国鉄との接続ができなくなり、一部区間をバス代行としていました。災害復旧で経営が苦しくなっていた山鹿温泉鉄道では、発注していた大型の気動車をキャンセル、その代用として、なんとバスを改造して線路上を走らせたのです。
元がバスですから、運転台は片側にしかありません。しかし、災害発生区間の手前の駅にはターンテーブルはありません。
そこで、終点に着いたら車体をジャッキで線路から持ち上げて前後を逆にし、線路上に戻すという、大胆な構造を採用するのです。このような車輌を2台用意し、運転していました。
バスを直接鉄道車両に改造して使用したという事例は、戦後ではおそらく山鹿温泉鉄道だけではないかと言われています。
しかし、一駅とはいえ国鉄と繋がっていないという状況は非常に利便性に欠け、競合するバスに敗れて廃線となります。

単端式を多く有していた西大寺鉄道、九十九里鉄道などは当時既に廃線となっており、単端式という車輌は過去のものとなりました。

その後長い沈黙の期間を経て、気動車ではないものの、山鹿温泉鉄道と同じく、ジャッキによる方向転換という方式を採用した片方向運転車輌が、2001年に登場しました。。
四国松山にある、伊予鉄道の「坊ちゃん列車」の機関車がそれです。この機関車、見た目は蒸気機関車ですが、実際はディーゼル機関車です。そして、常にボイラーを前に向けて走るため、終点ではジャッキを使って向きを変えています。厳密には単端式ではありませんが、思い切った構造を採用したと言えるでしょう。
この列車、路面軌道を走るディーゼル車なのですが、この路面ディーゼル車は過去に札幌市での採用があるだけでした。札幌市のディーゼル区間の電化以来、鉄道の運転免許としては消滅していた「乙種内燃」というものが、列車とともに復活しました。
一見旧式と思われる構造も、工夫すれば現在でも使えるのかもしれません。

(文・写真:エドガー)