北海道日本ハムファイターズの二刀流ルーキー、大谷翔平が先日、外出禁止のルールを破ったとして、栗山英樹ファイターズ監督に注意された。

 大谷は22日に行われたオールスターゲーム第3戦後、先輩の中田翔らに誘われ食事に出掛けたが、栗山監督からは1年間の外出禁止を言い渡されている。やむを得ず外出する際は、同伴者らを指揮官に報告することを義務付けられている。
 二刀流に挑戦するルーキーを慮っての配慮だが、今回は報告が無かったという。



 栗山監督は、西鉄ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)の黄金時代を築いた三原脩監督を師事しているが、ルーキーとの接し方も、三原監督と似ている。

 ライオンズはグラウンド内だけでなく、外でも数々の野武士伝説を残したが、三原監督は、ルーキーが先輩に混じり、夜遊びに更けることをよしとしなかった。まだプロとしての体ができていないルーキーが、夜遊びの味を知れば、そこで成長が止まるからだ。

 当時のライオンズでは、大下弘がグラウンド内外でリーダー的な存在で、後輩を夜の町に連れ出すこともしばしば。
 そんな大下に三原は、「いつも先輩が飲み代を肩代わりしては、大変だろう。たまには、僕も連れていきなさい」と、暗に後輩を誘うのを控えるよう、釘を刺した。

 また、あるときのキャンプでは入団3年以内の若手だけを集め、「ほかのチームは、聞くところによると柵をこしらえて、その中に選手を入れているようだが、僕は違うよ。僕は、そんな真似はしない。若い諸君を広々とした牧場で放し飼いにしたいと思っている。だから、みんなは誰にも遠慮せずに、伸び伸びと野球生活を営んでくれればいい」と話したが、最後に「しかし、これも程度もんで、うちの牧場から逃げ出し、よその牧場へ迷い込むような人がいたら、そのときはお灸を据えることになるかもしれない」と注意を忘れなかった。

 はたして、お灸第1号は誰だったのか。投手の河村英文によると、他でもない、河村自身が第1号。この年ルーキーだった河村は、岡山でのオープン戦の後、大下ら先輩に誘われ夜の町に。持ち前の度胸(なんと、ルーキーながらキャンプ地に芸者を呼んだことがある)を活かし、朝帰りをした。
 このことが三原監督の耳に入り、2軍行きを命じられた。


 若い頃は遊びたくなるし、遊びの中から学ぶことも少なからずある。だが、大谷はただでさえ二刀流に挑戦しているのに、もう1本刀を抜くのはしんどい。
 夜遊びは、二刀流が板についてからでも遅くは無い。