新星19歳のJ・スピース(Photo by Michael CohenGetty Images)

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 19歳11か月18日での米ツアー優勝は史上4番目の若さ。今季をノンメンバーでスタートしたジョーダン・スピースの初優勝までの道程は、目をみはるほどの短さと早さだった。だが、その一方で、ジョンディア・クラシックの優勝争いとサドンデス・プレーオフは、驚くほど時間のかかる混戦、そして持久戦だった。
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 最終日の終盤、単独首位を走っていたザック・ジョンソンを何人もの選手たちが追撃。ついにはジョンソン、スピース、デビッド・ハーンの3人によるサドンデス・プレーオフへもつれ込んだのだが、これがなかなか決着せず、スピースの勝利が決まったのは5ホール目だった。米ツアーにおけるプレーオフの最長記録は8ホール。今日のプレーオフは歴史的記録に迫る勢いだったというわけだ。
 それにしても、5ホールに及んだプレーオフは、ゴルフがいかにメンタルなゲームであるかを物語るものだった。そもそも、このコースはスコアが伸びる設定だ。米ツアー選手となれば、設定が易しいコースでは、ここぞとばかりにスコアを伸ばす。
 プレーオフに残った3人は4日間で通算19アンダーだったから、1日5アンダー前後のペース。バーディが量産できるとわかっているから積極的に攻め、そのぶんボギーももちろん出るわけだから、1日5アンダーペースならバーディーの数は1日に少なくとも5つ以上だ。1アンダー、2アンダー程度で回っていたら、順位は確実に落ちる。スコアを大きく伸ばしていかない限り、優勝争いや上位争いにはほど遠い。そういう設定のコースだった。
 だからプレーオフに絡んだ3人は、72ホールの間、バーディを次々に奪っていた。それなのにプレーオフになった途端、その誰もが5ホールもの間、バーディを1つも奪えなくなり、必死のパーを繰り返すばかり。最後の最後にスピースが沈めたウイニングパットも、バーディパットではなくパーパットだった。これがゴルフの難しさであり、怖さであり、面白さなのだろう。
 全英オープンを翌週に控えたこの大会、勝利を飾った選手にはミュアフィールドへの最後の切符が与えられる。優勝争いやプレーオフに絡んだ選手たちの中で、全英オープン出場がすでに決まっていたのはジョンソンのみ。それ以外の選手は、たった1枚の最後の切符を目指して必死になっていた。
 そんな中、スピースには必死に勝利を目指す別の理由があった。今季ノンメンバーながら次々に好成績を上げてきたスピースは、あっという間にスペシャル・テンポラリー・メンバー(STM)になり、以後は無制限のスポンサー推薦で毎週のように試合に出続けてきた。すでにフェデックスカップランク50〜60位前後に相当するポイントを稼ぎ、来季シード権を確実にしていたが、米ツアーの規定により、優勝しない限りは今季の米ツアーメンバーにはなれず、フェデックスカップのプレーオフ4試合にも出られないという状況だった。
 「優勝しない限り」という条件は、その先に何が待っているにせよ、大きなプレッシャーになる。だが、スピースはその厳しい条件をクリアすべく、上位入りを繰り返し、とうとう本当に勝利を手に入れた。全英オープン出場権は「必ずどこかで手に入れる」と心に誓い、この連戦に挑む以前、「すでに3週間ぐらい前に荷造りを済ませてあった」。
 出場権を得る前からスコットランドの悪天候を想定したウエアやグッズを揃えたスピース。そんな早すぎるほどの全英準備を絶対に無駄にはしないという気概。絶対に来季シード権を取り、米ツアーメンバーになってフェデックスカップのプレーオフに進出してやるという気概。そのためには必ず優勝してやるという気概……。そのすべてを彼は今日の勝利で現実化した。
 振り返れば、スピースが今日の3人のサドンデス・プレーオフに絡むことができたのは、72ホール目にバンカーから打った第3打が直接カップインしたミラクルショットのおかげだった。あの奇跡をスピースは執念のような“念”で起こしたのではなかろうか。そう思えてしまうほど、スピースの初優勝までの道程には彼の熱い気概が溢れ返っていた。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
<ゴルフ情報ALBA.Net>

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