――1次リーグが終わって4強はA組のブラジル、イタリア、B組のスペイン、ウルグアイとなって、ブラジル対ウルグアイ、スペイン対イタリアの準決勝となりました。

賀川:グループリーグでブラジルが強さを発揮した。それもネイマールという若いスーパースターの活躍があったから。大会は非常に盛り上がることになった。ブラジルにとってはウルグアイとの対戦にやはり苦戦した。

――1950年の第4回ワールドカップ、20万人収容のマラカナンスタジアムでウルグアイに逆転負けして優勝を逃したという苦い歴史がある

賀川:いまはどうだろうか。開業前のスタジアムを訪れた観光ツアー客はこの敗戦の物語を聞くことになっていましたからね。今度もウルグアイの固い守りに苦戦した。前半には相手のCKの時、ファウルがあってPKを取られ、フォルランのPKをジュリオ・セーザルが止めたからよかったが、これで先制されていれば、もっと難しい試合になったかもしれない。

――南米勢は互いにホールディングやシャツプリング(シャツをひっぱる)といった手を使う反則が巧みで、トリッピングやアフタータックルなど限界一杯で渡り合うから1対1での優位はほとんど中盤では消し合ってしまう

賀川:その1対1の優位をどこで出すかとなれば、やはりゴール近く。ここではファウルはPKになることは自分たちも経験している。前半の41分にネイマールが生み出したチャンスはまさにそれですよ。

――左サイドでボールを奪ったネイマールが内にドリブルして、中央左よりのパウリーニョにパスをした。そのまま前方へ走り出したネイマールの前へパウリーニョが高いロングボールを送る

賀川:ネイマールはペナルティエリア内に走り込み、落下点でジャンプして胸のトラップ(肩に当てたようだった)で前へ落とし、2人の追走を受けながらゴールエリア左角を過ぎ、左ポスト手前で右足のアウトサイドでタッチ

――飛び出してきたGKムスレラの上を越そうとしたが、ムスレラの体に当たって内側へリバウンド(ゴール前へ)した

賀川:そのボールをブラジルのフレッジが狙っていたのだろう。勢いよく走りこんで、右足ジャンプキックで叩いた。正確に叩けずに右足アウトサイドでかすったという感じだったがボールはゴールへ入っていった。

ネイマールというストライカーは、王様ペレ以来の右足・左足でボレーを決められるストライカーですよ。ボールタッチに非凡の素質がある。いわば、ペレ、マラドーナ、メッシの系列に入るボールプレーヤーで、しかも両足でシュートできる選手といえます。日本戦の1点目の右足ボレーや、メキシコ戦でのクロスのリバウンドボールを決めた左足ボレーは、彼の左右の両足でのシュート能力が非凡であることの証明でしょう。

――賀川さんはペレが右と左のボレーシュートを決めるのを生で見た?

賀川:1970年にサントスと来日した彼はサントスの3ゴールのうち2点目を右で、3点目を左で、ともにボレーで決めた。どちらも自分で仕掛けて、ボールを浮かせて抜いてのシュートでネイマールのシュートとはちょっと違うが、利き足の右はともかく、そうでない左でもボレーシュートがきちんとできるというところがペレ以来というわけです。

――ボレーシュートはペナルティエリアいっぱい、いわば中距離シュートでした

賀川:ついでながら、大きな大会でのボレーシュートは、その美しさや、威力のすごさで長く語られるもの。74年ワールドカップの西ドイツ対スウェーデンでスウェーデンのエドストロームがエリア外からすごい右ボレーシュートを決めた。そう、88年のEURO決勝でオランダのマルコ・ファンバステンがエリア内右側からボレーシュートを決めて一躍世界のストライカーの一人となった。