東に西武、西に東武──。1日約260万人が乗降する巨大ターミナル駅を擁する街・池袋。その歴史は駅東口に鎮座する西武と駅西口に腰を据える東武の100年にわたるライバル関係に彩られてきた。

 のちに東武鉄道と合併する東上鉄道が、山手線などを運行していた日本鉄道池袋駅の西側で池袋駅を開業したのは1914年。そのおよそ1年後に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が、東上鉄道からみて逆方向にあたる東側で、池袋〜飯能間で運行を開始した。

 西武鉄道、東武鉄道は共にその後、合併により池袋での運行業務を引き継ぐことになった。「東に西武、西に東武」は合併による偶然の賜(たまもの)だったのである。

 1940年、武蔵野鉄道は東口に武蔵野デパートを創立し、1949年、社名を西武百貨店に変更した。1962年、西口に東武百貨店池袋本店がオープンし、デパートを舞台にした競争の火蓋が切って落とされた。

 当初、リードしたのは西武だった。西武池袋店は1980年代、全百貨店中で単店として売り上げトップを独走した。元西武百貨店社長でインスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役の水野誠一氏が当時の“西武スピリット”を振り返る。

「あの頃の西武は都心の老舗百貨店との“違い”を求める堤清二会長(当時)の意向により、文化やライフスタイルを追求し、百貨店の新しい姿をリードする存在でした。中でも巨大な池袋店では店舗の特徴を生かし、“店の中に街を作る”ことを目指したんです」

 時代の最先端を走る西武を追う東武百貨店は1990年にCI(コーポレートアイデンティティ)を導入し、「TOBU」というスタイリッシュなロゴマークと共に生まれ変わった。

 1992年6月には中央館とメトロポリタンプラザを大規模に増築し、約8万3000平方メートルの売り場面積を掲げてリニューアルオープン。東京ドームがふたつ入るほどの広大な売り場は当時の日本一を誇り、ネクタイだけで2万5000本という圧巻の品揃えだった。東武の“逆襲”は池袋に相乗効果を生んだ。

「昔から池袋には“東京の外れ”というイメージがあり、商圏が駅に偏り“駅袋”と揶揄されていました。しかし、1978年に大型複合施設のサンシャインシティがオープンして街の魅力が増し、さらに東武百貨店の大増築で東西のバランスが良くなった。両社がいい意味で競い合った結果、街全体の集客力が上がりました」(水野氏)

 その後も東武はユニクロやZARAなどファストファッションやスポーツジムを店内に取り入れ、“百貨店にこだわらない”攻めの姿勢を貫く。

「当店は従来の百貨店の枠にとらわれず、お客さまの望む商品を扱います。お客さまの豊かな生活に豊かな選択肢を提案すべく、昨年12月には美と健康と癒しを追求する大人の女性を対象とした新ゾーン『TOBUビューティーテラス』を開設しました」(東武百貨店広報)

 一方の西武は1990年代からバブル崩壊に伴う経営危機に陥ったが、2006年にセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入って風向きが変わった。2008年から約300億円もの大金を投じて店舗の全面改装を実施するなど、“王国の復権”を印象づけている。

「お客さまの変化に対応すべく改装しました。生活に最も密着する『食』を強化するため、地下3階に1700平方メートルの集中厨房を設置し、助産師が常駐して妊婦や出産後の女性の無料相談に応じる『プレママステーション』など新たなソリューションサービスを創出しています」(西武池袋本店広報)

 両社の競争が新たなステージに突入したのは2008年だった。6月に池袋、新宿、渋谷などを結ぶ地下鉄副都心線が開通し、東武東上線と西武池袋線もそれぞれ副都心線との相互直通運転を開始した。

 これに合わせ、長年ライバル関係にあった西武と東武はガッチリと手を握った。池袋の集客力を増すべく、駅近辺に合同の案内所を設置し、共通のエコバッグを配布したのだ。

取材・文■池田道大

※週刊ポスト2013年7月12日号