6月21日、太平洋横断の夢が絶たれた、全盲のヨットマンHIROさんこと岩本光弘氏(46)と辛坊治郎氏(57)。その後、真摯に取材に応対してきた辛抱氏だが「報道が歪曲され、誤報が一人歩きしている」と、遭難の顛末を自ら説明するために筆を取った――。(以下は辛坊氏の手記の要約です)

 まず、多くの週刊誌の記者さんが共通して私にぶつけた質問は「『24時間テレビ』の放送に間に合わせるためにこのタイミングでの出港になったんでしょ?で、急いだから準備が十分じゃなかったんじゃないですか?」というものでした。複数の記者さんに同じことを聞かれました。

 はっきり言います。今回のプロジェクトと24時間テレビはまったく、完全に、なんの関係もありません。じつは、このプロジェクトがスタートした去年の夏の時点で、スタッフの共通見解として「『24時間テレビ』とは別のコンセプトでプロジェクトを遂行する」というのが合言葉だったんです。
 私が感じる24時間テレビの「健常者が障害者の役に立ちたい」というコンセプトと、HIROさんのチャレンジとは相容れないものがあると考えたんです。HIROさんがイメージしていたのは、「障害者が健常者の役に立ちたい」ということでした。

 私は玄関先に押し寄せてくる記者の皆さんに、「24時間テレビ説」は完全なデマである旨を丁寧にお話しさせていただきました。ところが、一部週刊誌の記者さんは、真実を知っていながら嘘を書いたんです。もともとこのデマは、私たちの「準備不足」を言いたいがために生まれたようです。はっきり言います。出港時点でのエオラス号の整備は、少なくとも「これ以上は無理」というくらいに完璧でした。こう書くと必ずこういう質問を受けます。「じゃあなぜ事故を起こしたんだ?」。この答えはただひとつです。すべての責任は船長にあります。エオラス号の船長は私です。

 6月16日午後1時に福島県のいわき市を出港したエオラス号は、まる5日弱でおよそ1,500キロを東南東に走って、金華山沖1,200キロの時点を時速7ノット(秒速約3.6メートル)で快走中でした。もともとの予定では、一日180キロほどが目標でしたから、エオラス同型艇の記録的水準だと思います。

 ところがこの速力が災いしました。6月21日午前、レーダーに周辺監視をまかせて私が寝入った直後、水面下に潜む「何か」に激突し、直後に浸水が始まったエオラス号を放棄して救命イカダに避難、それからおよそ10時間後に海上自衛隊のレスキュー隊に救われたのです。この間の海上保安庁、自衛隊の皆さんの献身と活躍については、現在私のブログで無料公開中ですので、ぜひ一度目を通してみてください。

 盲目のセーラーの「太平洋横断をしたい」という夢の実現に私は失敗しました。その責任は、すべて船長たる私にあります。記者会見で「もう一度やるつもりは?」と聞かれて、「これだけ迷惑かけて、やるとは言えない」と私は答えました。HIROさんも間髪入れず、「私もそう思います」と言いました。

「FLASH」の賢明な読者を信頼して、あえて真意を言います。これはつまり、「絶対に迷惑をかけない体勢、手段を考えて、またいつの日かチャレンジする」という宣言です。しかし、同時にこうも思います。「何か」に当たったのは、海の神様が「今のお前には、あの場所より東に進む資格はない」と教えてくれたのだと思います。

 他人様の命を危険にさらし、他人様の献身で私は今ここに生きています。この命をどう使うか? 私に課せられた重い十字架です。

(週刊FLASH 7月16号)