超問題作!タリウム少女による母親毒殺未遂事件をどう描くか?

「2005年、タリウムによる母親毒殺未遂事件が起きた。そして今、彼女をモチーフにして《架空のタリウム少女》が作り出された」

 世界の映画祭で賛否両論が巻き起こったという問題作『タリウム少女の毒殺日記』(土屋豊監督)が、2013年7月6日(土)からアップリンク渋谷で公開になります。

⇒【画像】場面写真はコチラ http://joshi-spa.jp/?attachment_id=21548

◆現実の少女はアスペルガーだった

 この映画は、実際の事件を“モチーフ”にした物語です。モチーフというのは、「題材」。もしくは「創作になった動機」。本作で土屋監督が描いたのは、あくまで事件をモチーフとしたフィクションです。この映画での事件に関する唯一の真実は、「タリウム少女が事件前に公開したブログ」のみ。少女をいじめる同級生たちも、アンチエイジングに明け暮れる母親も、薄っぺらい男性教師もすべて、監督が設定した「フィクション」です。

 正確には「メタフィクション」というそうです。メタフィクションとは、“「これはフィクションですよ」と予告しておくことで、虚構と現実の関係について問題を提示する”というものらしいです。

 そんなものはよくわかりません。映画なんて面白いか面白くないか。好きか嫌いか。それだけで十分だと個人的には思っています。だから「この作品はメタフィクションという手法を用いた現代社会へのメッセージなんちゃら」はどうでもいいです。

 ただ一つどうしても主張したいのは、メタフィクションなのかフィクションなのか他のなにかの部類なのかはともかく、この映画と「2005年に静岡で起きたタリウム事件」を結び付けないでほしい。

「裁判では、(実際の)事件の少女はアスペルガー症候群で、一連の犯行はアスペルガーによる影響が大きいと認定され、医療少年院送致となった」、これが事実です。母親は事件により意識不明の植物人間になりました。少女の父親は事件発覚まで、少女がアスペルガーだということを知らなかったそうです。

◆タリウム少女に共感してしまう……

 映画の話に戻りますが、映画では、「監視社会」と少女の対峙がポイントになります。土屋監督はこう話しています。

「この少女はある意味、今ある社会を知りすぎてしまった。自分の力ではどうにもならない現実があることも、不条理でも変わらない社会システムがあることも彼女はわかっている。だから、観察者となってそういったシステムを十分に自覚することで、コントロールから逃れる術を探している。そういう風に設定してみました」

 東京国際映画祭で、タリウム少女と同年代くらいの女性がこんなことを言っていたそうです。

「見ていて自分が映画の中の少女にどんどん共感していってしまった。悪いことをした人に共感してしまった自分を許していいのか。今複雑な心境です」

 そうなんです。共感するんです、この映画。それは、現代社会に生きるだれもが漠然と抱いている、「監視されていることへの嫌悪感」。

 外回り中に漫画喫茶でサボっていた営業マンが、携帯のGPS機能で上司にバレて大目玉食らう、みたいな。そんな社会、みんなうんざりなんですよ。それによって安全が保たれるというのもわかりますが、なんかもう、うんざりなんですよ。死ぬときゃ死ぬんですよ。

 みたいなことを、この映画の主人公の少女は体現しているわけです。言わば私たちのヒーローなんです。カッコいいんです。で、問題はソコなんです。

 実際の事件の少女が、「現代の監視社会に違和感を覚え、だったらわたしが『観察するぞ、観察するぞ、観察するぞ』と自我を殺す」なんてこと、たぶん(というか絶対)なかったと思います。土屋監督に聞きました。事件を起こした少女がこの映画を観たら、どう思うと思いますか?「私じゃない、と思うでしょうね」。

 実際の事件とは、切り離して観てください。面白いです。 <TEXT/尾崎ムギ子>

★『タリウム少女の毒殺日記』
2013年7月6日より渋谷アップリンクほか全国順次公開
http://www.uplink.co.jp/thallium/
監督・脚本・編集:土屋豊(『新しい神様』、『PEEP″TV″SHOW』)
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi