『二丁目のフォールド・オブ・ドリームス』(永沢光雄/廣済堂出版)
『野球小僧』に7年間連載された永沢光雄の遺稿がついに書籍化。

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2006年に亡くなったノンフィクション作家・永沢光雄。
山際淳司の描くハードボイルドな野球観とはまた違った、せつなくて、それでいておかしみが漂う永沢目線の野球の物語が、『二丁目のフィールド・オブ・ドリームス』としてこのほど刊行された。

本書は、昨年休刊となった野球雑誌『野球小僧』の創刊時(1998年)から、連載が打ち切られる2004年まで続いた永沢光雄の野球コラムを初めてまとめたものになる。
「野球コラム」と書いてはみたが、私小説のようであり、エッセイのようであり、新宿二丁目についてのルポルタージュのような不思議な作品。
酒に溺れ、鬱に悩み、ガンに蝕まれ、俗世間の喧騒を避けるように生きていた男は、しかし「野球(そして近鉄バファローズ)」で世界とつながっていた……そんな一冊だ。
かつて『Number』で「長嶋茂雄」というお題を与えられながら、長嶋の取材もインタビューもせず、新宿二丁目の人々のエピソードだけをまとめて結果的に長嶋茂雄のルポルタージュを作り上げた男は、本作でもやはり新宿二丁目を舞台に野球を描き続けた。焼き鳥屋の親父、おかまバーの店員、SMの女王、王貞治の兄……二丁目に生息する住人たちとのやり取りの中に、なぜか野球が顔を出す。

永沢光雄と言えば、自分語りも交錯させたインタビュー集『AV女優』で注目を集めた作家だ。その一方でスポーツ選手へのインタビューも数多く手がけているが、いずれにせよインタビューの相手は、成功者というよりは、どこか影を持った不器用な人間たちが多い。
スポーツの本の多くは「強さの秘訣」「勝利の舞台裏」を覗くモノがほとんど。それはもちろん素晴らしいことだけれど、この本はその対局にある「弱さ」を主軸に描いていく。

野球選手に憧れながら才能の欠片もなく、それでも野球から離れられない男の弱さ。
新宿二丁目という特異な場所でしか生きられない、社会的にも弱い立場の人間たち。
そして、永沢の愛した「弱さの象徴」近鉄バファローズ。

《キャッチボールをやりたい! キャッチボールをやろう! 人生は一度きりなのだから》
《野球を楽しく、また苦しいと感ずるのは選手の特権だ。しかし、美しい、と感ずるのは、観る人間のみの特権である》
《みんな、プロ野球選手になりたかったのだ。だが、想いかなわず、仕方なく、現在の仕事を日々こなしているのだ。なんだか、ほっとした。嬉しくなった。皆、人生は一度きり》
《辛いよな、駄目なチームのファンって。でも腐れ縁みたいなもんだからな。女房とは別れられても、好きなチームは何があっても見限ることはできないよな。つくづくさあ、人生って一度きりなんだなぁって思うよ》

永沢は、何度も何度も《人生は一度きり》とつぶやく。
それは、後に自身がガンに蝕まれることを予見していたかのようでもある。
そしてガンによって声帯を失い、インタビュアーとしての職能までも失ってしまった男は、それでも野球に傾倒していく。

標題の元ネタでもある映画「フィールド・オブ・ドリームス」には、こんな台詞がある。
《長い年月、変わらなかったのは野球だけだ。すべてが崩れ、再建され、また崩れる。だが、野球はその中で踏み堪えた。野球のグラウンドとゲームは、この国の歴史の一部だ》

永沢と野球の物語は、2004年の春で終焉を迎える。
2004年……それは球界再編の年。永沢が愛してやまなかった近鉄球団が消滅した年だ。
死ぬまでに一度は見たい、と言っていた近鉄の日本一はついぞ叶わなかったが、後にその魂を受け継いだ東北楽天が、永沢の故郷・宮城に産声をあげることになるのが何とも運命的である。

選手が引退し、たとえ球団がなくなったとしても、野球という存在自体はずっと続いていく。人生も野球も、思い通りにはいかないからこそ面白い……そんなことを感じさせてくれる一冊だ。
(オグマナオト)