アニメ『惡の華』もついに最終回。話題になったこの作品、一体どこがすごいのか、何が面白かったりイライラさせたりするのか。にしても公式サイトの華、増えたなあー。

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アニメ『惡の華』がついに最終回を迎えます。
ロトスコープという、実写から動きをトレースしながら、アニメーションのテンポに落としていく、手の込んだ作りのこの作品。
全編ロトスコという作りは賛否両論ありました。ぼくも確かにマンガの絵のままで見たかった、という思いはありました。
あるけれども、最終回直前まで見てきて、よくぞロトスコを選んだなと感服。
単なる話題作りじゃない、ロトスコでやることに意味があるんだ、という監督の決意があふれた、強烈な作品になりました。

普段アニメを見ない層も、アニメを見まくっている層も絶賛するという、不思議な状況が生まれました。同時に、ひどい、あんまりだと怒られたりもしました。良くも悪くも、多くの人の心に傷をつけてくれました。
最終回前に、一体どこがすごいのか探ってみます。

1・山田がすごい(うざい)
いきなり脇役の話ですが、主人公春日の友達、山田の存在感が半端じゃない。
ニコニコ動画で人気投票やったら(そういうのやる作品じゃないけど)、多分山田が一位なんじゃないかな。
山田すごいんですよ。こいつが出てきて「ちーっす」とか言いながら意味のないチョップを繰り返すだけで、「マジで中学生っぽい!」と一気に飲まれるんです。
春日・佐伯・仲村というメインのキャラクターは、行き詰まった中学生。幼く泥まみれになっているのが彼らだとしたら、山田は幼くライトサイドにいる存在。
「あーそうか、なんか重そうな話してるけど、基本幼いんだっけ」と見ている人の視点を切り替えるスイッチになっています。
演じているのはお笑いコンビ「やさしい雨」の松崎克俊。ヘビーなアイマスファンです。
山田がいるから、この作品絶妙なさじ加減になっています。

2・現実でも架空でもないロトスコープの世界
実写をトレスしつつ、アニメ的に見せるために枚数を調節したり、動きを加えたりしているため、「実写でもアニメでもないもの」になりました。
生々しいのに不自然な空気を、意図的に創りだしたのです。
原作は、主人公が現実を見ているのか、どこに向かっているのか、さまよっている感覚にあふれています。
だとしたら、「ファンタジー」だと丸く収まってしまう。実写だと「リアル」すぎて滑稽になりすぎる。
あえて不自然な感覚に表現する、最適な方法として使いこなしてしまいました。
感覚を通じた風景の見え方が、不気味なんだけれども、しっくり身体感覚に当てはまった人も、多いはず。

3・緊張を作る仕組み
とにかく1カットが長い。
ドラマやアニメでは到底やらないような間が、多くとられています。
セリフがないことすらあります。聞こえるのは、ぶおーんというBGMのようなもの。
定点カメラでじっととらえ、あまり動きがありません。
動かないものって見ていて不安なんです。デビット・リンチの映像みたいにゆっくり近づいてきそうで。あるいは吸い込まれていきそうで。BGMが耳に残って不安になるし、落ち着かない。
11話で家族に色々バレたあとの食卓のシーンの長さがまたすごい。放送事故かと思わせるレベルです。確かにツライ時は時間が長く感じられるものなんだよなー。
薄暗さと、音と、不自然な間。
それが「閉じ込められている」感を強調し、見ている側に不安と緊張をかきたてます。
これ以上長くても、短くてもいけない、計算された間。
原作マンガだと1Pですむところが、数分になったりします。物語が進まない回は、本当に進まなくてびっくりしたものですが、面白いんだ。
感覚がじっくりねちっこく描かれることで、スピード感のある7話の教室での解放シーンは、とんでもないカタルシスをぶちまけました。
今までアレンジ版のエンディング『花』だったのが、7話のシーンでは元のASA-CHANG&巡礼の『花』になるというのもね。
もう表面張力破れる寸前まで緊張させて、解放で破るんだもん、引き込まれるよ。

4・シリアスは滑稽で、滑稽はシリアス
『惡の華』は、見方次第で笑えます。
客観的に見たら、滑稽なことなのだ、というのが全体にうっすら漂っています。
セリフの言葉の使い方が実にいい。
「佐伯さんはオレのミューズで!ファム・ファタルで!マリアでビーナスなんだ! 永遠に!!」
「オレ……作文を書くから!」
シーンとしてはすごくシリアスだし、演技も非常にぐっとくるものです。
なんですが、まあ、三歩くらい下がって山田の顔見てもう一回このセリフを聞いたら、笑えてしまうのもやむなし。シリアス煮詰めすぎて、焦げちゃってますよ。
「作文を書くから!」は、以前仲村さんと約束したものを思い出しての行動なんです。だから正しい。正しいけど、極まった緊張感は、ぎこちなさを産みます。
完璧ではなく、隙があるものほど面白く、味わいがあるもの。
『惡の華』の原作に眠るのは、太宰治の描いた堕落の哀しみと美学にも似ています。それでいて「『遠くへ逃げたい』と歌う僕を、シスターストロベリーは恥じているようだった」と綴った大槻ケンヂのようでもあります。
実際逃げるもんね。自転車で。
悲劇に翻弄される人間はどこか隙がある、ツッコミを入れられる。
そのツッコミに痛さ、苦しさ、高揚感があり、人によっては激しく辛い思いをするのもまた事実。
「隙」の部分に、哀しみながらツッコめて、ツッコミながら哀しくなる。『惡の華』にはその「隙」が用意され、アニメで増幅されています。

5・原作に対する評論としてのアニメ
一番ぼくが驚いたのは、原作のセリフと一言一句同じだということ。
脇役のセリフに小さな差はありますが「いやっその、ちがくて」「ごめんて…ちょっと…いろいろあって…つい…」のような細かいセリフもそのまんま。
アニメ化作品はたくさんありますが、ここまで完璧にセリフが再現されているのはちょっと珍しいです。どうでもいいガヤまで忠実なのです。
ところが。原作と同じシーンにも関わらず、全然アニメは違って見える。
これは脚本の間の取り方と、アングル、BGMの使い方に一貫したものがあるから。徹底して原作を尊重しながら、原作を鋭く解釈、評論しています。
『惡の華』のマンガには、緊迫感があり、カタルシスがあり、破滅の美学があり、滑稽さがある…
…監督やスタッフが考察し、間の調節やテンポの緩急で切り出していきます。
セリフの読み方もかなり特徴的に変えています。是非マンガを見ながらアニメを見てください。相当、イントネーション細かくこだわっています。
アフレコでは、ガンマイクが使われています。通常は声優さんがみんな同じ方向を向いてしゃべるのですが、ガンマイクを取り囲んでいるため向かい合うことになる。
本当に向き合って、会話することになる。この演技が、マンガに描かれたセリフを、独特なものに変えていきます。

非常に緻密に作られたこの作品。コミックで「一区切り」つくのは7巻の前半です。
現時点で再現されているのは4巻まで。あくまでも春日視点で物語が進む部分までです。
5巻以降は謎の多かった佐伯さんの心理が暴露され、仲村さんと春日の間のつながりもがらりと変わります。
さてどこまでやるのか……。
もっと『惡の華』ワールド堪能したい!という人には、『惡の華ドラマCD 惡の蕾』がオススメ。
山田も出番あるよ。


『惡の華』BD1巻

(たまごまご)