村上春樹は国語の授業でどう教えられているか?

「この世界は、十代のうちに村上春樹を読んだ人種と、読まなかった人種に分かれる。あるいはそのどちらでもない、あくまで中立的な感覚を持つ人々。」

 と、それっぽく書いてみました。高校時代、国語の授業は大キライでしたが、家に帰ると村上春樹ばかり読んでいた私。学校では、「5行目の『それ』は何を指しているか。20文字以内で書きなさい」といった問題が出されましたが、村上春樹は「『それ』が何を指しているか」とは無関係に思えたので好きだったんです。

⇒【画像】村上春樹の小説が、高校の教科書に載っている http://joshi-spa.jp/?attachment_id=20541

 そんな村上春樹の小説が、高校の教科書に載っていると聞いてビックリ!(村上春樹って教えられるの?)という疑問がわきました。教えられるとしたら、どうやって?  早稲田大学教育学部の町田守弘教授にお話を伺いました。

◆22年も前に『ノルウェイの森』が載っていた

 1991年発行の「高等学校国語I」(三省堂)に『ノルウェイの森』を導入した町田教授。実に22年前から村上作品は教科書に載っていたのです! でも「学校で村上春樹を教わった」という話は聞いたことがありません。「教材として定着はしていないんです」と話す町田教授。

「教科書に載る小説のほとんどが短編です。長編の場合はその一部を切り取ることになります。『ノルウェイの森』も、作品の軸となる『螢』という短編に深く関わる個所を掲載しました。一般的に村上作品は、例えば『1Q84』のような長編を読まないと、その魅力が伝わりにくい傾向にあります」

 国語の教科書の定番といえば、芥川龍之介の『羅生門』です。「ストーリーが分かりやすいので、授業で教えやすく、生徒の反応も引き出しやすい。同じ教科書に『羅生門』と村上作品の2作が載っている場合、授業では『羅生門』だけを扱う学校もあるようです」。そう言えば高校時代、「これは家で読んでおいてねー、テストには出ないよー」と言われて、結局、家でも読まずに埋もれていった小説が結構ありました。もしや村上春樹もそのクチ?

◆やっぱり教科書には向かない?

 2013年現在使用されている「精選国語総合」(三省堂)の小説(一)単元では、『羅生門』と村上春樹『青が消える』が載っています。『青が消える』の「学習の手引き」はこんな内容。

「『でも青がないんだ』『そしてそれは僕が好きな色だったのだ』という言葉には『僕』のどのような思いがこめられているか」

「『僕』が生きているのはどのような<世界>か」

 なんともまあ、難解な問題! たとえば友達に「青がないんだ」と言われたとして、「さあ、どんな気持ちでしょう?」と聞かれてもさっぱり分かりません(そんな友達、ちょっとヤダし)。村上春樹の「僕」は解剖してはいけないような気が……。

「高等学校国語総合」(明治書院)の『鏡』の「研究」にはこうあります。

「『僕以外の僕』とはどういうものか」

 もはや異次元の世界。「僕」の気持ちも分からないのに、「僕以外の僕」がどういうものかなんて、「なんとなくこう、自分だけど自分じゃない、みたいな、なんとなくあるでしょ。そういう感じの、村上春樹的な延長」という答えしか思いつきません。

(やはり教科書には適さないのかも知れない……)

 そこで町田教授は、かつて高校で教えていた時、村上作品を教材に、まったく新しいアプローチをしました。

 村上春樹が初めて取り組んだノンフィクション『アンダーグランド』。地下鉄サリン事件の被害者62名に、村上春樹が直接インタビューした記事をまとめた作品です。町田教授はこの作品の中から3名の方の記事を選び、作品に関する新聞記事やテレビの特集などを集めて、「自主教材」というものを作成しました。そしてそれらの自主教材を読んでから、生徒に「実際に身近な人にインタビューをして記事を書く」という課題を与えたそうです。

 そこまでして、村上春樹を扱う理由とは?

「ノーベル賞候補になるほど、現代の日本が誇る作家の一人です。内容ばかりでなく表現も優れた作品なので、若い人にぜひ読んでほしい。しかし解釈や教材としての扱いが難しく、授業では教えにくいので工夫が必要です。現場の先生方は、担当教科の授業以外にも、やらなければいけない業務がたくさんある。なかなか自主教材を作成する余裕がないのが現状ですが、それでも挑戦する価値はあります」

 村上春樹さん、忙しい学校の先生たちのために、ぜひ「学習の手引き」を作ってあげてください! <TEXT , PHOTO/尾崎ムギ子>