邱永漢先生と一緒に視察に行った台湾で、現地の農業家たちと(左から2番目が著者、中央が邱先生。本文とは関係ありません)

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お金儲けの神様「邱永漢」人生最後の弟子で、2005年より中国四川省成都に在住。日本生まれの韓国人で、現在はグループ会社3社の社長兼取締役を勤める金さんと、焼肉店「牛牛福」との9年間にわたる格闘の日々の記録。第3回は、「焼肉店開業」に向けていよいよ準備開始。邱先生に突きつけられたムチャな要求と、初めて経験した中国式交渉術とは……。

第1回「邱永漢氏に出会い、現職を投げ打って成都行きを決めるまで」はこちら

第2回「ホテル事業を夢見て成都に渡った3日後に告げられた事実とは」はこちら

「焼肉ビジネス」なら大丈夫。もともと焼肉屋の店長だから!

 邱先生から焼肉店開業の話をいただいた後、私は少なからず楽天的な心持ちでした。なぜなら、私はもともと焼肉屋の店長だったからです。

 私の実家は愛知県岡崎市という、徳川家康が生まれたことぐらいが唯一自慢の小さな町です。

 1998年、私は中国での留学を終え岡崎に戻り、次に何をすべきかについて考えていました。いわゆるフリーターというか、仕事もしていなかったので、完全なプーターローです。

 実をいうと、当時私は相当打ちひしがれていました。

 自分では「海外の大学院を出て5カ国語を話せるのだから、日本に戻ったらきっと、どの企業からも引っぱりだこ間違いなしだ」と確信していたものの、実際に就職活動をしてみると、「いやー、金さんもう26歳でしょ。えっ、社会経験ないの? いやー、経歴はすばらしいけど、うちじゃあ難しいね〜」と、なんとも悲しくなるような対応をされ、先が見えない状況だったからです。

 そんなときに両親から、「伸行、焼肉屋やるから手伝えや」という指令が入り、表面上は「仕方ないから、いっちょう親孝行でもするか」と生意気なこと言いながら、心の中では「助かった。とりあえずやることができた」という気持ちで焼肉屋店長を始めたのです。

 さて、ふたを開けてみると、この店は連日行列のできる店になりました。オープン直後は、平日の平均待ち時間が1時間、週末は1〜2時間という超繁盛ぶりでした。

 一家総出でスタートした商売はあまりにも順調なすべり出しでした。この焼肉屋の成功体験から私は、「中国のように、うまい焼肉屋がない市場だったら楽勝もいいところだな」と、高をくくっていたのでした。

「いくらなんでもメチャクチャ言わんでくださいよ」

 成都に話を戻すと、邱先生から焼肉店開業の指令を受けた次の日の夜、成都で比較的はやっているといわれる焼肉店で食事がしたいという先生のリクエストにこたえて、とある韓国焼肉店に行きました。

 先生は肉を一口食べると「まずい!」、もう一口食べては「まずい!」を連発されました。べつに私が悪いわけではないのですが、さすがに「まずい!」を5連発もされると、何やらオーダーをした私が悪いような感覚におちいってくるのでした。

 その後、「キム君、韓国の焼肉はまずいから韓国式はだめだよ」とおっしゃる先生の言葉に、少しめまいを感じていました。なぜなら、「実家の韓国式焼肉を、そっくりそのままこちらに持ってくる」ことを考えていたからです。

 それだけでなく、当時(2005年春)は中国で大規模な反日デモが起き、その起点が成都だっただけに、“日本”という二文字を使いたくなかったのです。たとえ中身が日式(日本式)でも韓国焼肉と名打つべきところに、「韓国焼肉はだめだよ」の一言。

 新たな苦労の予感を感じずにいられなかったのでした。まあ、予感で終わるわけはないんですが……。

 ダメ押しは、次の日に行った北京ダックの店でした。総勢12人で囲んだ中国式の丸テーブルには、これでもか!これでもか!という量の皿が並べられ、先生も「ここの北京ダックは北京よりもおいしいんじゃないの」とご満悦の様子でした。

 清算を済ませた後、邱先生が「今日はいくらだった?」と問うと、「12人で600元(約9000円)です」との答え。一人50元(約750円)の計算です。

 先生はにっこり笑い、私の方を向くと、「キム君、これぐらいの価格帯でお客さんを喜ばせる店を作ったらどう?」とおっしゃるではないですか!

「韓国式でよい素材を使い、地元の優良な顧客を狙う高級店をやる」という目論見が、いつのまにか「日式ベースで客単価50元(約750円)ぐらい、たらふく食べられてなおかつお客さんが喜んで帰る店」というコンセプトにすり替わっていました。

 焼肉の素材は、ご存知のとおり基本は牛肉。牛肉の価格は国際価格を基準に大きな振れ幅はなく、いくら中国の物価が安いといっても、おいしい牛肉は日本並みに高いのが実情です。

「いくらなんでもメチャクチャ言わんでくださいよ」との声を抑えるのに、片手ひとつで口を押さえるのでは間に合わないぐらいでした。

 こうして、私のメチャクチャな店づくりが始まったのでした。

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