現代に蘇った伊達正宗率いる「奥州・仙台おもてなし伊達武将隊」

 こんにちは、イケメン評論家の沖直実です!

 梅雨の季節、私たちの心を晴れやかにするのはやっぱり、水も滴る良いイケメン!

 どんなにじめじめしていても、イケメンの爽やかさはシーズンレスですね!

 さて大好評の武将隊シリーズ、今回は東北の仙台からです。今も老若男女から幅広い人気を誇る武将、伊達政宗。

 天下取りの大きな夢に幾度もチャレンジした政宗の強烈なリ−ダ−シップとカリスマ性は、今も東北の人たちを勇気づけています。

 そんな伊達政宗が四百年の時を超え、平成の「杜の都“仙台”」の地に舞い降りて結成したのがこの武将隊!

 個人的には日本で初めて太平洋を渡りメキシコ、スペイン、ロ−マの西洋文化を携えて帰国した「支倉常長」が好み!

 中性的な外見もタイプです! 男のロマンを感じさせるわ〜

(紹介は公式サイトより抜粋)

●独眼竜 伊達正宗

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独眼竜の異名を持ち、絢爛豪華かつ合理的な好みは伊達者の語源ともいわれ、戦にも街づくりにも表れている。戦国乱世を絶体絶命の窮地を奇抜な策略と武功で切り抜けてきたことから時の天下人豊臣秀吉に一目置かれ、徳川家康には警戒されながらも孫・家光の後見人に抜擢されるなど、その器量にほれ込まれた傑出。

●伊達三傑「武」の武将 伊達成実

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伊達政宗公より一歳年下の従兄弟であり、兄弟のように育った竹馬の友でもあった。兜に掲げる百足の前立ては決して後ろに退かぬという伊達者の心意気を表しただけあり、戦場では幾度となく伊達の先陣を務め武功を上げた。さらに亘理を拝領した後、領地を二倍に増やすなど治世にも力を発揮し、 亘理では神として今なお尊敬を集めている。

●伊達三傑「智」の武将 片倉小十郎

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政宗公に剣術を指南したといわれるほどの剣術の腕前の上に智略に優れ、政宗公の命運を左右する合戦には必ず景綱の姿ありといわれた。太閤豊臣秀吉公に直臣にと望まれたが、政宗公への忠義を貫き通した。一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城の城主となり白石の地を治めた。

●伊達三傑「吏」の武将 茂庭綱元

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伊達家存亡のかかった人取り橋の合戦に参戦、綱元の眼前で父「鬼庭左月斎」は討死。しかし秀吉の朝鮮出兵、「文禄の役」では兵糧役として大活躍。伊達軍は餓死者を一人も出さなかったのは綱元の功績によるところが大きかったと言われている。後に豊臣秀吉から「鬼が庭にいるのは縁起が悪い。茂庭の性せよ」との沙汰で「茂庭綱元」と変わる。

●遣欧使節としてローマに渡った伊達男 支倉常長

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伊達政宗公の命をうけ渡欧した「慶長遣欧使節団」の副使であり日本人のリーダーとして活躍。慶長18年9月15日、西暦1613年10月28日180名あまりを乗せ、洋式帆船サンファンバウティスタ号で現在の宮城県石巻市にある月ノ浦を出帆。日本人として初めて、太平洋、大西洋を越えメキシコ、スペイン、ローマを訪れた。その偉業は帰国後の幕府の政策変更により明治時代になるまでの実に250年もの長い間、門外不出の偉業として伊達家の中で仕舞い込まれていた。

●仙台の町と伊達文化の案内役 黒脛巾組 隠密 空

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支倉六衛門常長と共に西洋に渡った伊達の隠密集団黒脛巾組の隠密。西洋の情報収集はもちろんのこと、日本に戻ってからも諸国を行脚し様々な隠密、諜報活動を行っている。黒脛巾組は人取橋の戦いをはじめ、会津摺上原の戦いなど、政宗公の重要な戦いには必ずその影をみせている。また茂庭綱元が指揮した仙台開府の際は、世界、全国行脚で学んだ町づくりの知識を活かし様々な助言をおこなった。