水道タンク前バス停(野方)

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かれこれ3年前の10月、給水塔カテゴリ講師のあべりょうさんが、「みずのとう」こと野方配水塔をご紹介されていましたが、ここは是非バス停カテゴリでも紹介せねばと思いつつ、すっかり月日が経ってしまいました。なぜ配水塔がバス停かといえば、あべさんも触れている通り、ここには「水道タンク前」という、都心では一風変わった、そしてバス停ファンには見過ごせないネーミングのバス停があるからです。中野駅から江古田駅へ向かう関東バス[中12]系統に乗り込むと、バスは新井薬師駅から哲学堂公園の脇を北上し、新青梅街道を超えると間もなく、水道タンク前バス停に到着します。そもそも水道タンクとは何か。その答えは、バスを降りて顔を上げるだけで、すぐに見つかります。道路に面した幼稚園の裏手に聳える巨大な円筒形の水道タンクは、ここへ来れば否が応でも目に入ってきます。
002_水道タンク(野方)
水道タンクの正式名称は、野方配水塔といいます。この配水塔は、関東大震災後の東京の急激な人口増加に対処するため、大正末年から昭和にかけて、多摩川の水を中野区北部から板橋区一帯に給水する目的で敷設された荒玉水道の施設です。設計は、近代上水道の父といわれた工学博士の中島鋭治で、高さ約33メートル、直径約18メートルという巨大な塔は、昭和5年に完成しました。荒玉水道については、世田谷区喜多見の砧浄水場から杉並区の堀ノ内妙法寺付近まで、きれいな直線道路がおよそ10キロにも及ぶ荒玉水道道路をご存じの方も多いでしょう。その延長に建てられているのがこの配水塔で、その機能は戦後の昭和41年まで稼働していました。因みに、荒玉の「荒」は荒川を指すようですが、荒川からの給水は実現していません。
003_水道タンク(野方)
配水停止の後、塔の周辺は公園として整備されましたが、塔そのものは災害時用の貯水槽として現在に至っています。高台の立地に加え、ドーム屋根を載せた巨大で独特のフォルムは周辺のランドマークとして特異な存在感を放ち、水道タンクの名はバス停のみならず、付近の地名としてもすっかり定着している感があります。空襲時の弾丸の跡も残るようで、それゆえに塔は平和のシンボルとしても親しまれています。
004_水道タンク(野方)
ところで、バス停としては全く同名の「水道タンク前」が、都内にもう一箇所あるのをご存知でしょうか。今回は、そちらも訪ねてみることにしましょう。場所は板橋区で、池袋駅と日大病院を結ぶ国際興業バス[池05]に乗り込むと、千川駅から数分で水道タンク前バス停に到着します。
005_水道タンク前バス停(大谷口)
板橋区の水道タンクは、正式名称を大谷口配水塔といいます。野方と同様に荒玉水道の施設で、設計も同じ中島鋭治、ドーム屋根を載せた外観の意匠や規模もほぼ同じで、野方より一年遅い昭和6年に完成しました。野方に比べて周辺の宅地化が遅かったせいか、配水先は王子や滝野川の製紙工場を主としていたといわれます。そして高台の立地ゆえにランドマークとして親しまれ、水道タンクの名が周辺の地名として定着している点も、野方と共通しています。しかしながら、二つの配水塔の決定的な違いは、大谷口配水塔が平成17年に解体され、現在は跡地に整備された東京都水道局の給水所において、かつての意匠をほぼ踏襲したポンプ塔に生まれ変わっているという点です。
006_水道タンク(大谷口)
実は大谷口配水塔の解体を知った際、水道タンク前バス停の改称を心配しましたが、塔が生まれ変わった現在も、バス停は昔と変わらず水道タンク前を名乗り続けています。東京の上水道史において重要な一時代を築いた二つの配水塔。荒玉水道の歴史を後世に伝える意味でも、二つの水道タンク前バス停の存在は、これからも不変であってほしいと願うばかりです。