NBIで指紋をとるKさんのお母様 【撮影/志賀和民】

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フィリピン在住17年。元・フィリピン退職庁(PRA)ジャパンデスクで、現在は「退職者のためのなんでも相談所」を運営する志賀さんのフィリピン・レポート。今回は、震災以後、東北・山形での介護に不安をいだいた男性が、両親とともに妻の実家のあるフィリピンで田舎暮らしを決意。その両親の年齢は99歳と89歳……。

東北山形から、フィリピン妻の故郷に一家移住

 Kさんは2004年、私がPRA(フィリピン退職庁)にいたころに退職ビザをとった。そのKさんがご両親を連れて、奥さんの故郷フィリピンに永住するためにやってきた。

 それまでは「両親の介護があるのでフィリピン移住は先の話」とおっしゃっていたが、東日本大震災で、日本で両親の介護をすることに不安を抱き、一家でフィリピンに移住することを決意したのだ。Kさんは東北、山形県在住だ。

 ビザ申請の準備として、事前に日本大使館で婚姻証明を取得した。申請者が1913年生まれと知って、窓口担当者が驚嘆の声を上げていた。数えで99歳、もうすぐ生誕1世紀となるのがお父様で、お母様は89歳だが認知症を患っている。ともに大正生まれだ。

 初日の予定はNBI(国家捜査局)、クリニック、銀行、PRA、日本大使館で、相変わらずの渋滞のうえに、車の乗り降りに20〜30分かかるため、やっとのことで回りきった。

 翌日もビザ申請のほか、引越し用の荷物の無税輸入手続き、お母様の銀行口座開設、ビザ取消の委任状と口座の共同名義への変更、Kさんの免許証の書き換えなど予定がぎっしりで、それも午後2時までに終えなくてはならないため、おおわらわの2日間だった。

 たったの2日で疲労困憊するのだから、高齢のご両親を伴って一家で日本から移動してきたKさんの苦労は、言葉に尽くせないものがあったと思う。

 ビザの受取りは私が代行するのだが、そのためには事前に本人たちがPRAを訪問して受取手続きをしておかなければならないという。Kさん一家を連れてPRAを訪ねると、窓口のミッシェルが営業部長のノエルに連絡し、さらにノエルがGM(ゼネラルマネージャー)に報告して、PRA一同がKさん一家を迎えた。恒例の記念写真を撮ってもらったが、おそらくPRAの高齢者ビザ取得のレコードだと思う。

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