7年間で4度のパ・リーグ制覇を果たしている北海道日本ハムファイターズ。強い組織は、どんな考えに基づいて選手を獲得し、育成しているのだろうか。日本ハムファイターズをモデルにして考えてみよう。

■イチローは18歳で渡米してもイチローになれただろうか

ここ7年で4度のパ・リーグ制覇を果たした、北海道日本ハムファイターズ。昨年のドラフトでは、メジャー行きを宣言していた大谷翔平選手を敢然と獲りにいった。そこに「スカウティングと育成」にかける球団の信念が見てとれる。やはりスポーツ界でもビジネス界でも、長期的に強い組織とはこうなのだ。

「夢と感動」がファイターズのキーワードである。これが躍進をもたらした力の源泉なのだろう。

南国沖縄の国頭村(くにがみそん)のファイターズの2軍キャンプ地。強い陽射しの下、“二刀流”に挑む18歳の大谷選手が躍動する。193センチ、86キロ。手脚が長く、立ち姿が美しい。メディアがざっと150人、ファンは500人ほど。2軍キャンプ地としては異例のにぎわいだった。

「プロ野球ですから、話題になることは、いいことだと思います」。1軍キャンプ地の名護市営球場のバックネット裏の小部屋。ファイターズの戦力編成の責任者、68歳の山田正雄ゼネラルマネジャー(GM)は大谷選手のことになると、少し表情を和らげた。

いつも腰が低い。穏やかな口調、照れたような笑み。「素材が素晴らしい。チームの主力に育つ選手を集めていかないと、絶対強いチームはできないと思っていますから」。ファイターズは育成型。5年先、10年先を考え、選手を獲得し、育てていくのだ。

ドラフトでは、獲れる選手ではなく、獲りたい選手を獲りにいく。だから、昨年のドラフトでメジャー志望の大谷指名に踏み切った。山田GMの座右の銘が「決断は勇気なり」である。

山田GMは明大付属明治高卒業後、プロ野球で10年間プレーした。引退後下着メーカーでサラリーマン生活を送り、41歳のとき、日本ハムにスカウトとして入団した。「人物ウオッチングが趣味、スカウトは天職」という。

「僕の中では栗山(英樹監督)さんなら、大谷をしっかり育ててくれるだろうと考えたのです。(獲得の)確信はゼロでした。もし交渉に失敗し、会社からクビと言われれば、責任とってやめようと思っていました」

少し古い話になるけれど、やはり大谷選手との入団交渉の舞台裏には興味がある。ビジネス界においても有能な人材獲得策のよき手本となるからだ。大谷選手の翻意の理由を簡単に言えば、山田GMの「決断力」と、大渕隆スカウトディレクター(SD)の「交渉術」、栗山監督の「情熱」だった。

さらに綿密な準備と周囲への配慮だろう。ポイントだけを振り返れば、山田GMはドラフト会議の2日前、大谷選手をドラフト1位指名することを公表した。なぜだったのか。

「ドラフト当日にいきなり指名したら、花巻東高の(佐々木洋)監督さんに迷惑をかけると思ったのです。たぶん世間の人からは監督と日本ハムの間で話ができていると思われる。だから、それはやめよう。誰かを苦しめることはいいことではない。正々堂々といって、他のチームもくるなら競争しましょう、という考えでした」

いわゆるコンプライアンス、リスクマネジメントか。結果、昨年10月25日のドラフト会議、日本ハムが単独1位指名で大谷選手の交渉権を獲得した。「18歳の夢をつぶすのか」と一部メディアの反発をくらった。

だが日本ハムは逆に世論の批判を活用し、交渉戦略を組み立てた。「実は」と山田GMが明かす。「本人の(大リーグへの)夢を大事にしろ、と言われるのなら、では一緒に夢をかなえていこうと考えたのです」。

そこで大渕SDが、26ページにおよぶ「大谷翔平君夢への道しるべ」と題されたパワーポイントの資料を作ってきた。同SDは早大の野球部OBでプロ野球の経験はない。卒業後、日本IBMの営業から高校教諭を経て、ファイターズのスカウトとなった。だからだろう、パソコンを駆使した資料作りには長けていた。

この資料は説得力があった。1ページ目には「大谷選手の夢の確認」との項目で「(1)MLB(メジャーリーグベースボール)トップの実力をつけたい、(2)トップで長く活躍したい、(3)パイオニアになりたい」と記されている。そのための参考資料として、「日本野球と韓国野球、メジャー挑戦の実態」「日本スポーツにおける競技別海外進出傾向」「世界で戦うための日本人選手の手法」との項目でデータが並ぶ。

「イチローは、18歳で渡米してもイチローになれただろうか?」といった刺激的な言葉も書かれていた。花巻市内のホテルでの大谷選手側との3度目の交渉(11月10日)で、両親にこの「道しるべ」をプロジェクターで大型スクリーンに映した。

「これがすごかった」と山田GMは言う。「メジャーで韓国高校出身の選手が最近10年全くダメという資料もあった。親の立場に立ったら、これはなかなかいい資料だと思いました」。

キーワードが「夢」である。日本ハムはメジャーの夢を決して、つぶさない。急がば回れ、人生に遠回りはない。パイオニアになりたいというのなら、投打の「二刀流」でどうだ。交渉後、両親には冊子状のプレゼン資料を渡した。あとで資料を見ながら、家族で話し合ってもらうためだ。

交渉事で大事なことは何だろう。そう問えば、山田GMは少し考え、「誠実さ」と答えた。「本人にも両親にも、だましながらプロ野球に入れようとしていると思われたらダメです。うそはつかない。誠実に、ただ誠実に」。

その後、大谷本人を交えた交渉が何度か続く。5回目の交渉からは「切り札」の栗山監督も同席した。時間の経過とともに、「日本ハムにいってほしい」というメディアやファンが増えてきた。12月9日。山田GMが交渉場面を笑顔で述懐する。

「これが最後の交渉という日です。“どうなんだ”と聞いたら、大谷は黙っている。“どっちにしても記者会見はするんだから、ここで会見の練習をしてみたらどうだ”と言ったんです。そうしたら、立ち上がって、“わたくし、日本ハムに入団を決めました”って。もう、うれしかったですねえ。本当に大谷は素直な人間です。いやあ、1カ月半、長かったですねえ」

その日の夜、山田GMは栗山監督、大渕SDと一緒に軽く祝杯をあげた。ビールと焼酎の水割り。「それはもう、おいしいお酒でした」。勝因は。

「会社のため、チームのため、ファンのため、ひとつの目的にみんなでバーっと進んだことではないでしょうか。長期にわたってチームを強くしたいという気持ちがある。うちは成功しても失敗しても、そこに向かっています」

狙い通り、最後はメディアの多くもファイターズの味方になっていた。日本のプロ野球ファンも大谷選手のファイターズ入りを喜んでくれた。

「世間から見ても、そうだな、と思われるように努めました。日本ハムは、本人の夢をかなえるために指名したのだということです。メディア対応のコツ? 誤解されると困るので、あまり多くを言わないことですか」

ついでにいえば、日本ハムは入団交渉で提示した球団資料「夢への道しるべ」を公式ホームページで公開した。なぜ手の内を明かしたのか。答えは簡単、球団理念が「ファン・サービス・ファースト」だからである。

「ファンに対しての返事でした。ファンから問い合わせが多かったから、球団として一気に資料を公にしましょうとなったのです。まずファンを大事にしないといけませんから」

育成型のチームになる。その強化方針を支えているのが、2006年から導入したITの「ベースボール・オペレーション・システム」(BOS)だろう。試合分析のほか、スカウト活動、選手査定などで活用されている。

簡単にいえば、データで行う客観的な試合の分析、選手の力の評価システムである。例えば投手なら、足の速さから球速、球のキレ、球の種類、制球力など、いくつものアングルから選手の資質を分析する。そうやってファイターズは、12球団に所属する1軍選手、およびドラフトの対象となりうる高校生、大学生、社会人などのデータを数値化しているのだ。

ドラフトの場合、かつてはスカウトの直感、眼力だけにウエートを置いていた。だがファイターズはBOSで数値化し、順位付けしたうえで、性格面なども調査していく。昨年のドラフトではチーム戦略に則って、個人の資質と栗山監督とのマッチングを考えると、一番が大谷選手となったのである。

■交渉は相手の立場に立って両者の満足八分目がいい

ファイターズは選手のしがらみなどお構いなしで、ほしいポジションで、その年の一番と判断した選手を獲りにいく。ダルビッシュ有投手(04年)も陽岱鋼選手(05年)も中田翔選手(07年)も斎藤佑樹投手(10年)も菅野智之投手(11年)も……。山田GMは言い切る。

「周りからの圧力などで、ドラフト指名をやめることは絶対しない。その都度、一番いいなと判断したことをやっているだけです」

一昨年ドラフト1位の菅野投手は結局獲得できず、昨年のドラフトで巨人が指名した。教訓は。

「ちょっと高をくくったというか、もう少し完ぺきにしないといけなかったという反省があります。詳しくは言えませんが、まあ、僕の失敗です」ドラフトでいえば、11年ドラフトでは7位で異色選手、ソフトボール一筋の大嶋匠捕手(早大)を指名し、周りを驚かせた。ここにファイターズのこだわりが見える。山田GMが独り言のように、つぶやく。

「実はソフトボールで一生懸命やっている選手にも光を与えたいという思いもありました」

山田GMの哲学。スカウトとは「ひとりの人生を変えてあげる、チャンスを与えてやれる」仕事なのである。

プロ野球でヒーローになれば人生が変わる。だからスカウトは高校の甲子園大会や社会人の都市対抗だけでなく、地方大会、軟式野球、ソフトボールにも目を配らないといけないのである。そうやって隠れた才能を探し、プロ野球の光をあてる。人生が開ければ、いずれスカウトに感謝するだろう。

もはやカネや名誉ではない。スカウトの喜びは「感謝」である。

「日本ハムのお陰でプロ野球に入れて人生が開けたと思ってくれることが1番、うれしいんです」

チームの戦力整備でいえば、日本ハムはキャンプ直前の1月下旬、オリックスと大型トレードを成立させた。今季終了後にポスティング・システム(入札制度)を利用してメジャー挑戦する意思を球団に伝えたばかりの糸井嘉男外野手らを放出し、オリックスから木佐貫洋投手らを獲得した。

今季の戦力ダウンを覚悟し、来季の戦力ダウンへの未然の対処策に見える。中長期の戦力バランスを考えた、いわば先を見据えたトレード。得か損か。ストレートの質問をぶつけると、山田GMにやんわりかわされた。

「トレードというのは、自分のチームのことばかりを考えては話がまとまりません。相手側の立場にも立って、両者の満足八分目がいいんです。欲をかいてはダメなんです」

BOSにしても、トレードの発想にしても、山田GMの話を聞いていると、米映画『マネーボール』のブラッド・ピット演じる大リーグ、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMを連想させる。

山田GMにそう言えば、「そんなことはありません」と照れた。

「ただ選手を選ぶ発想は似ているかもしれません。他の球団が外した選手やどんな選手にも長所を見つけ、チャンスを与えたいと思っています」

ところで、ファイターズのスタッフには元教師が多い。栗山監督は小中高の教員免許を持ち、大学の教授を務めていた。大渕SDは高校教諭だったし、ほかにも高校教諭出身のスカウトがいる。2軍選手寮の教官の本村幸雄氏も元高校教諭、1軍ヘッドコーチの阿井英二郎氏も高校教諭からの転身である。

ここにも「育成型チームを目指す」という強化方針が透けて見える。ドラフトで高校生を軸に指名し、中長期的に育てていく。技術だけでなく、心の部分を伸ばすということである。

「もちろん学校の先生ありきじゃありません」と山田GMは笑う。「人を育てるのがうまい人が、たまたま学校の先生だったということです」と。

もっとも、人間づくりは意識している。無頼のプロ野球のイメージを変え、ちゃんとした社会人をつくりたい。なぜなら引退後の人生の方が長いからだ。

「少なくとも、日本ハムに在籍した人たちは素晴らしい、と言われるようにしたいのです」

組織は「人」なり。それが山田GMの、ファイターズの、日本ハムという会社の基本思想である。球場のバックネット裏から空を見上げ、山田GMが漏らす。

「目標は、やっぱり優勝ですよ、優勝。死に物狂いで戦っている日本ハムの試合を見て、いろんな環境の人に何かを感じていただく。もし大谷が二刀流でがんばったら、これはもう……」

夢が膨らむ。心がはずむ。今年のファイターズのスローガンは「純−ひたむきに」である。

(ノンフィクションライター 松瀬 学=文)