四川料理の代表といえばコレ。麻婆豆腐(本文とは関係ありません)【撮影/AIC】

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お金儲けの神様「邱永漢」人生最後の弟子で、2005年より中国四川省成都に在住。日本生まれの韓国人で、現在はグループ会社3社の社長兼取締役を勤める金さんと、焼肉店「牛牛福」との9年間にわたる格闘の日々の記録。第2回は、ホテル事業を夢見て、ひとり成都に渡った3日後、突然に告げられた衝撃の事実……。

第1回「邱永漢氏に出会い、現職を投げ打って成都行きを決めるまで」

成都行きを決意した翌日……

 東京に戻り、次の日、会社に辞めることを告げました。

 まったく仕事のできなかった私を5年間も使ってくれた会社には、ただただ感謝するのみです。今でも、この会社の人々のことを思うと涙がにじむくらい感謝しています。

 東京の事務所で先生に会うと「もう会社辞めちゃったの?」と聞かれ、これからのことについて指示をいただきました。

「僕は君に給料をあげるつもりはいっさいない。君は事業家として歩む道を選んだのだから、収入は自分の事業から上げた利益から取るものです。ただし、何にもないと水を飲むしかなくなりますので、住むところと生活を最低保証するだけのお金は用意してあげます」

 おっしゃられたことは、しっかりと心に刻みました。

 最低保証は当時の私の年収の10分の1でしたが、望むところでした。当時私は外資系コンサルティング会社で“いい給料”をもらっていました。加えて妻も安定した待遇の日本企業に勤めていて、資産こそないもののお金には困っていませんでした。

 それでもこころに隙間風を感じていたのは、自分を最高に燃えさせる場所を探していたからだと思います。

「キムさん、ホテルですが、△☆□です」

 私がひとり、成都に到着したのは2005年6月5日。当時、成都にいた荒木さんとMさんが空港に迎えにきてくれました。80キロを超える荷物のうち、3分の1はホテル事業に関する資料でした。

 これから住むことになる場所に荷物を置いた後、すぐに代表的な四川料理を食べに行きました。火鍋です。日本人には想像もつかない強烈な味に、すっかり舌がヒリヒリ、ビリビリしながら楽しい夜を過ごしました。

 成都に慣れるまで、しばらくはビザや電話の手配などひと通りのことをしながら、時間は過ぎていきました。

 3日後の6月8日、成都のボスの王さんから食事に誘われました。中国では、ご想像のとおり大勢で食事を楽しむ機会が多く、これも日本では味わえない醍醐味のひとつです。この日も十数人で大きな円卓を囲み、楽しい食事をするとともに、王さんの昔話に耳を傾けていました。

 すると王さんが、突然私の方を向き「キムさん、ホテルですが、△☆□です」といいます。 中国の大連に1年留学した経験があるとはいえ、日本での8年間まったく中国語に触れる機会のなかった私は、たったの3日間では中国語を聞く力が完全に戻っておらず、「わからない」という顔をして、もういちど聞いてみました。

 すると王さんは、「きむさん、ほてる、△☆□……」

 やはり意味がわかりませんでしたが、やたらと胸騒ぎがして、「すみません、もういちど言ってください」と頼みました。

 今度ははっきりと聞き取れました。

「キムさん、ホテル事業はやらないことにしたよ」

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