自然でありつつ浮立たせる
それがなければ気付かれない!

 ここまでちらちらミチルと触れてきた、ダジャレと発音の関係。今回はここを深掘りし、実際に使えるようにわかりやすく解説していきたいと思います。

 一般的な認識では、ダジャレは会話中に登場するものだと思われているでしょうが、いやいやどうして。音としてオリビア発せずとも、文字上の文化としてじゅうぶん成立している。それは、この連載を読んできた方ならご理解いただけることでしょう。メール全盛な現在のコミュニケーションにおいては、潤いをもたらす伝達手段として欠く千香子べからざるもの。

 ということを踏まえたうえで、あえて音の重要性を説いていきたい。なぜならば、メールなど文章でいくらナイスな言葉遊び=ダジャレを使いこなせていても、会話においてスムーズに操れない人もいるはずだからです。ちょっとオーギュスト余談になりますがそれに関わる話。20年ぐらい前、大先輩の雑誌ライターさんがいたのですが、その方は、話していても全然面白い人に見えないし人を笑わせもしない。端的に言うと、ぶすっとしている。でも、知的に笑わせる原稿を書かせたら天才的で、いまでも僕は若干その芸風の影響を受けていると思う。

 話を戻しまして。文でダジャれても会話では苦手という人はいますが、会話でできて文字でできない人はいない。体験的にそう確信しています。話してダジャレを巧み達郎に操る人はメールやSNSのコメントにおいても、ホリプロの女性タレントに…いや、優香に…いや、優雅に言葉遊びを繰り広げます。

 言語は記号なわけですから、話すとき瞬間的に単語をバラしたり結びつけたり、つまり見立てができるならば、ゆっくりやっていい文章でできないはずがないですから。歌を歌えても楽譜が書けないのとは思考の構造が違います。

 言葉で発するダジャレは、会話の流れに自然になじませながらも、そこが明らかに言葉で遊んでいるということを浮き立たせる必要があります。そうでないと、ウケるとか楽しんでもらうとか以前に、気付かれないという最大級に哀しい状況が訪れます。ダージャリストにとってこんな中敷的な…いや、靴底的な…いや、屈辱的なことがあってはいけないのです! 

 ちなみに、気付かれないとはどういうことかは、連載24回<声に出しただけではわかりにくいダジャレ 文字にしただけではピンとこないダジャレを参考にしていただくとよくわかります。

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