1955年(昭和30年)に初代の生産が始まった『クラウン』はトヨタのフラッグシップ車として“日本人の憧れのクルマ”の代名詞であり続けてきた。

 1990年代以降、ミニバンやコンパクトカーが隆盛を極め、往年の勢いはないとはいえ「カリーナ」「コロナ」など、かつての名車が消滅してもなおトヨタのクルマ作りの伝統を継承するブランドとしてその地位は揺るぎない。

 振り返れば『クラウン』には半世紀以上にわたる伝統の蓄積がある。山本自身もそのことを熟知した技術者だ。ともすれば伝統に胡座をかき、かつての成功体験をなぞるだけになりかねない。しかしそれは山本の考え、トヨタの流儀とは異なっていた。彼らが今回開発のキーワードとして、常に頭の片隅に置いていた戒めがある。

「『掻敷(かいしき)』という言葉があります。料理や神饌(しんせん)の下に敷く木の葉や花を指したものですが、たとえば晩春の頃では、桜の葉では遅く、紅葉では早すぎる。最適なのはカシワの葉など初夏の葉。

 このように、時代を先読みし、ちょっとだけ先を行くことが大切なんです。『クラウン』はこれまで、先に行き過ぎて、失敗したことがありました。1〜2年先には常識になっていること。これを見極め、取り入れていくことが大切なんです」

 あくまで伝統を踏まえながら「ゼロから開発」する──。それを象徴するエピソードがある。

 クルマの開発はデザイナーの手によりスケッチがあがり、それに準じて実物大のクレイモデル(粘土製模型)が作られる。新型『クラウン』のクレイモデルが作られているとき、山本は社長の豊田章男がデザイナーに注文している言葉を耳にした。

「まだアイデアスケッチ通りになっていない」

 スケッチはアイデアのひとつ。世の中のトレンドと見た目の第一印象が優先され、洗練されたものが多い。しかし実際に規格に当てはめていく過程で当初あった特徴が薄れていくのが業界の常識だった。

 もちろん「何よりもクルマが好きな」社長もそのことは承知のはず。山本らスタッフには、『クラウン』に対する社長の思い入れの強さが伝わってきた。

 デザイナーに何度も修正を依頼すること4か月。時間はかかったが、力強いフロント、エレガントで美しいシルエット。まさに“新時代の『クラウン』”にふさわしい個性ある車を生みだした。

 クルマ好きのこだわりは、最上位モデルに搭載された3.5リットルV6エンジンにも見出せる。北海道士別にあるテストコースで10年以上、研究が続けられてきたサスペンション技術が採用されたのだ。

 この技術を新型『クラウン』専用にチューニングし、グリップ力を損なわず、路面から伝わる振動もいなし、高級車のしなやかな乗り心地を実現させた。また、新開発2.5リットルハイブリッドシステムを『ロイヤル』『アスリート』ともに新設をした。

 2012年12月25日。14代目『クラウン』の発表会で、豊田社長はこう宣言した。

「いいと思うことは、たとえ周囲に反対されてもやる。常に世界に挑戦する気概を持ち、新しい技術にチャレンジしていく。『クラウン・スピリット』は、いまもトヨタ開発者の心に生き続けております」

 山本はいう。

「アイデアはたくさんある。しかしそれを現実に結びつけることは容易ではない。まず現場が変わらなければならない」

 トヨタの、いやニッポンのものづくりの粋が結集された14代目『クラウン』。

 開発者たちの熱い思いが凝縮された一台となった。

■取材・構成/中沢雄二(文中敬称略)

※週刊ポスト2013年6月21日号