豊田スタジアムは、山の上から眼下で行われている「合戦」を俯瞰するような、一歩引いた客観的な目でサッカーを観戦できる日本では珍しい眺望に優れた急傾斜のスタンドだ。
 
 しかし、あまり大きな声では言いたくはないけれど、ブルガリア戦(5月30日)でそこを訪れた観衆に、僕は不満を感じてしまった。優れた眺望に相応しくない反応を、見てしまった。
 
 前半33分。乾がオフサイドを取られ、ゴールならずというシーンがあった。副審の旗もしっかり上がっていた。乾自身、3m近くそのライン上を超えていた。最初からオフサイドの気配は十分すぎるほど漂っていた。
 
 しかし、オフサイドの判定が下されても、スタジアムにはしばらくの間、歓喜がこだました。ゴールが決まったと勘違いしている人が相当数いることが判明した。
 
 後半終了間際にも、似たようなシーンに遭遇した。長友のゴールはオフサイド。にもかかわらず、豊田スタジアムには歓声が延々とこだました。
 
 この試合でザッケローニが披露した3─4─3は、確かにひどかった。しかし、このファンの反応は、それ以上だった。もちろん、観衆全員がそうだったわけではない。あくまでもその一部に過ぎないが、日本のレベルを考えると、その数は多いと言わざるを得ない。少なくとも、これ以上鈍感な観衆を、他国に見たためしはない。欧州のスタジアムなら、たとえ歓声が上がってもその量は少なく、2、3秒後には引いている。
 
 試合後、スタンドに聞こえてきたヒーローインタビューもひどかった。ホームの親善試合でブルガリアに敗れ、「悔しいです」と反省しきりの長友に、「でも、でも」と、必死に持ち上げようとするメディア、インタビュアー。その問題意識のかけらもない対応に、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべる選手、長友。世界広しといえど、敗戦後に、こんな奇妙なインタビューを行っている国はそう多くない。
 
 続いて行われた豪州戦。日本は本田のPKでなんとか引き分け、ブラジルW杯本大会出場を決めた。
 
 試合後、渋谷の街は、サポーター(テレビはそういっていた)で、溢れ返ることになった。大いに盛り上がり、その結果、「DJポリス」が大活躍することになるのだが、そのことも僕には少々、嘘臭く見えた。
 
 本当に嬉しいのだろうか。日本がW杯出場を決めたことは、それほど喜ばしいことなのだろうか。日本の実力と予選の環境を考えれば、当たり前に近い話だとは思わないのだろうか。歓喜を爆発させるほどの話ではない事は確かだ。むしろ、心配すべきものと言うべきだろう。
 
 だが、ザッケローニ監督に否定的な目を向けるメディアはほぼゼロだ。前の試合(対ブルガリア戦)で、3─4─3なる奇妙な作戦を採用。大失敗に終わったばかりだというのに、誰も何もいおうとしない。言ってやろうとする姿勢に欠けている。愛情不足、情熱不足が目立つ。
 
 不自然、不可思議、極まりない国と言うべきだろう、日本は。かつてより、症状は確実に悪化している。嘘臭いものになっている。
 
 この世界で、一番真っ当に見えるのは選手。採点等々の際に、選手にひとこともの申させてもらっている僕ではあるが、その点については十分把握しているつもりだ。選手のプレイに感じる不満など、ごく小さなもの。もっと大きな不満は他にある。
 
 ブラジルで行われるコンフェデ杯。日本人が本当に見るべきはサッカーの熱だ。世界のトップとは、選手のレベルより、熱において大きな差がある。僕はそう見ている。