花の慶次

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漢!


漢字の「漢」と書いて、「おとこ」とルビをふっているのを、目にしたことがあるだろう。


最近では、なぜか、食べ物の男らしさ(大盛りやこってり味)、奇抜なさま(なぜか豊橋駅の一日駅長をお菓子のブラックサンダーを務めたこと)、男臭いアイテム(ふんどしなど)、その守備範囲がどんどん広がって、そもそもの指す意味が曖昧になってきているほどだ。


現在では、単に男らしいのではなく、過剰に雄々しいさまや、潔さを指して昨今では使われることが多いが、「漢」とは、意味は「男の中の男」とでも言おうか。豪快で、広い器を持つ、真のヒーロー……そんな人物を「漢」と書いて「おとこ」と呼ぶ。


だが、ここでふと思う。なんで、「漢」は「おとこ」って読むようになったのか? ルーツは一体どこにあるのだろうか。


少し時代を遡ってみると、「漢」を描いた物語は黒澤明『椿三十郎』や勝新太郎『座頭市』、吉川英治『宮本武蔵』などを筆頭に、戦国武将を主人公にした小説・ドラマなどあまたある。ほかにも本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』『俺の空』、宮下あきら『魁!男塾』など、男臭さムンムンな漫画は、草食男子全盛の今となっては、語り草となっているほどだ。


しかし! 「漢」という一文字でそれを表現し、広く一般に定着させた作品といえば、誰がなんと言っても、『花の慶次 ―雲のかなたに―』だろう。


『花の慶次 ―雲のかなたに―』とは、週刊少年ジャンプに1990年から93年にかけて連載された、隆慶一郎の小説を原作にした原哲夫の漫画である。


主人公は戦国武将前田利家の義理の甥となる実在の人物、前田慶次郎利益。戦国時代きっての遊び人でありながら、義理人情にあつい、まさに「漢」である彼の生涯を描いた作品だ。


花の慶次

何せこの慶次という漢、堅苦しい戦国の世に生きながらも人の自由な心と生き方のためならば、それを妨げるものには、常に死も辞さない覚悟で立ち向かう。


結果として「器の小さい連中」からは数限りない恨みを買うが、千利休や徳川家康、直江兼続ら、数多くの大人物をも魅了する、まさに「男に惚れられる男」として名を上げていくのである。


そしてまた、遊び人=傾奇者(かぶきもの)としての一面が特に見逃せない。


慶次は、徹底した遊び人として描かれる。自身のみならず、周囲の人々を楽しませるためなら、時の権力者をからかうことだって躊躇しない。「猿」と呼ばれるのを死ぬほど嫌う秀吉の性格を知りながら、あえて猿に衣装を着せ、公衆の面前で猿を「秀吉」呼ばわりする。


後に秀吉本人と対峙することになったとき、その理由を秀吉に問われて慶次は答える。「人としての意地でござる!」……そして本作では悪役として描かれる秀吉もまた、慶次の生き様に思わず笑みを浮かべてしまうのだ。


……とまあこれはあくまでも一例だが、こうした傾奇者のエピソードが、これでもかというほど濃厚なタッチで連打されるのである。


長く続く不景気、閉塞感、そんな気分を吹き飛ばしたいなら、そして「男気」ならぬ真の「漢気」を感じたいなら、まずは『花の慶次』の一読をオススメしたい。


漢らしさを追求するあまり、どう考えてもやりすぎてギャグになっている部分も多々あるが、それでもありあまる爽快感にハマること間違いなしだ。


男なら、いや、男に限らず女も、慶次を手本に、傾いて傾いて「漢」であれ!


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