現在、J1の得点ランクの首位を走る9得点を挙げているFC東京の渡邉千真。彼は早稲田大学ア式蹴球部の卒業生であり、その得点力でかつての関東大学サッカーリーグを席巻した人物である。そんな彼が4年間の大学生活で記録した得点数は37。その数字を、わずか3年間で塗り替えた選手が筑波大にいる。来季から鹿島アントラーズの入団が決まっている赤崎秀平だ。3年終了時に42得点を記録し、最終学年の今年は9節を終えて4得点。本人からすれば物足りない数字であるようではあるが、文字通り前人未到の記録を更新していくその姿からは、日本サッカー界の未来が託されているようにも感じられる。
 "高校ナンバー1FW"と言われた経験もあり、プロの誘いを断ってなぜ大学サッカーの道を選んだのだろうか。そしてそこで学んだものとはーーー。



写真:矢沢彰悟


鹿児島で生まれ育ち、高校は佐賀へ


ーよろしくお願いします。まずお聞きしたいのですが、サッカーを始めたのはいつごろでしょうか。
幼稚園の年長さんくらいですね。僕が住んでいた家の隣の家に2歳年上の友達がいて。その人がサッカーをやっていたので。遊びでサッカーをやって、たまたま幼稚園にサッカーチームがあったので、入ったと言う感じです。




ーなるほど。出身は鹿児島ですよね?それなのに高校は佐賀に行ったというのはどうしてなのでしょう。鹿実(鹿児島実業高校)に行くという選択肢もあったのかなとも思うのですが(笑)

僕も小さい頃から鹿実の優勝する姿を見ていたし、鹿実に行きたいとは思っていたのは事実えす。ですけど・・そのクラブチームの監督含め色々な人が”鹿実の時代はもう終わる"と。確かに、自分が進路を選ぶ頃にはちょうど勝てなくなってきた過渡期だったんですよね。もしそこに行って全国に出られないのであれば、確実に全国に出られるところに行ったほうがいいと。それに、クラブチームの監督と、佐賀東の監督が福岡大で同期だったという繋がりがあって、毎年そのクラブの優秀な選手を佐賀東に送る伝統みたいなものがあったんです。それに乗っかったという感じですね。あまり、自分の意志ではなかったです(笑) でも、高1の選手権以外、全部全国には出ました。高1のインターハイがベスト8、高2,3がベスト4です。選手権は高2が2,3回戦で負けて、高3は1回戦で負けましたね。




ー中学まで鹿児島で育って、高校に出て初めて親元を離れたということで、学んだ部分はたくさんあったかと思います。

昔からテレビで鹿実の寮生活とかを見ていたので、高校になったら普通に実家を出るものだと思っていました。まあ、それで出たんですけど、洗濯とか家事全般を実際に自分1人でやらなければいけないし、親のありがたみを感じましたね。




ーポジションはもともとFWだったのでしょうか。

中学はトップ下とかボランチをやっていて。高校になってFWがちょうど空いていたというか、監督もそこで出したいという思いがあったみたいなんです。それで、「空いているからやってみれば?」という感じで。そこからずっとです。でも、あまり強いクラブでもなかったので、そんなに目立つこともなく・・・。ただ、高校に入ってからも引き続きFWをやってみて、実際にインターハイでも点は取れてたので、そんなに大外れではなかったみたいでよかったです。




風間監督の言葉が、筑波大へ進学する決め手に


ー高校ではFWとして活躍して、浦和レッズからもオファーをもらいました。そこでプロを選択肢なかった理由は何故なのでしょう?

あのときは、プロと大学の両方を選べた状況にあって。(大前)元紀君(現・フォルトナ・デュッセルドルフ)の話じゃないですけど、自分が高1のときにあれだけ活躍していた元気君が、実際自分が高3になった段階でもプロの世界で活躍していなくて。自分が高3のときに元紀君のレベルになってないな、という実感がありました。"自分より上の人が活躍できていないのに、自分がプロに行ったところで何が出来るんだろう"と。そういうのはすごく感じていました。このレベルで飛び込むよりも、大学4年間を頑張って、自分自身のレベルを上げてから挑戦したいという気持ちが生まれたんです。それで大学を選びました。




ー高校生にして、かなりしっかりと考えてますね。でも正直、"プロなれる"という誘惑じゃないですけど、そういう部分に負けそうになったこともあるかと思いますが。

正直、けっこう迷ったんですよ。でも、オファーの時期がけっこう遅かった。筑波大に対して入試の書類とか願書をすでに送っている状態で、受験の1週間前というときに正式なオファーが来たんです。遅かったというか・・・受験のずっと前に来てたら、どうなってたかわからなかったですね。




ーなるほど。それで筑波に選んだ理由というのは何故なのでしょうか、先ほどおっしゃっていたクラブチームの監督と佐賀東の監督のつながりで福岡大という選択肢が最有力になるんじゃないかと感じます。

中高と福岡大出身の人に育てられたということもあって、福岡大の乾先生から「お前はここで活躍するべきだ」と直接言われたこともあったんですけど・・・・。高校の監督が福大のサッカーよりも、しっかりパスを繋ぐところが好きだったんですよね。あとは、大学でやるなら関東がいいなと。関東であればスカウトの注目度も高いので、アピールする機会もあると思っていました。筑波が名門というのももちろん知っていたというのもあります。でも、どこが強いとかどこの大学がどの順位にいるかとかは知らなかったですね。あとは、体育の先生にもなりたいと思っていて。早稲田か筑波か、と選択肢を絞りました。それで両校の練習に参加したんですけど、早稲田よりも筑波のほうが印象が良かった。それに、筑波では風間さん(現・川崎フロンターレ監督)がしっかりと指導されていて、こういう人のもとでサッカーがしたいという気持ちが湧いたというのも大きな理由ですね。




ー練習で風間さんから指導を受けてみて、どういう印象を持ちました?

練習は1日しか参加しなかったんです。レッズの練習に参加するついでという感じだったんですけど、練習自体に強く感銘を受けたというわけではなくて・・。その後に実際に風間監督とお話をさせて頂いたときに、プロに関しての考え方が甘かったなということに気付かされたんですよね。風間さんが「"プロにいつ入るか"ではなくて"プロに入ってどこまでいけるか"が重要だ」と。自分の中でモヤモヤしていた部分に対して、風間さんがこの言葉を持って答えを出してくれたという感じです。そこで気持ちが決まりました。




常に"もっと自分はやれる"ということを意識してきた


ー赤崎選手は今年の4点を除いて3年間で42点を記録して、渡邉千真選手が4年間で打ち立てた総合得点の記録を抜きましたよね。内訳はどういう形になりますか?

1年で15、2年で10、去年が17です。3年間で42点ですね。1年生のときのほうが点をとるのが簡単でした。周りの人達のレベルが高くて、いいパスが出てきたというのはもちろんありますけど、そこまで自分に対してマークも付いていなかったというのが大きな要因かと。瀬沼くん( 現・清水エスパルス)と2トップを組むことが多かったんですけど、どちらかと言うと瀬沼くんに対して厳しいマークが付いていたので、自分は触るだけで点が取れた場面が多かった。




ー今は大学サッカーでトップクラスの選手となっていますが、自分が周りよりも抜き出ていると感じたときが少なからずあったと思うのですが。

中学校まではトレセンとかにあまり入ったこともなくて。県選抜にも入ってなかったんですよね。ただ・・・・周りからも高い評価を受けていないながらも、何故か自分には自信があって(笑) 監督・コーチからそういう風に思わされていたのかもしれないんですけど"自分はできる"というか、もっとやれる、もっとやれる、とずっと思いながらプレーしていたんですよね。
実際に自分が注目されてるなと感じたのは高1の選手権の1回戦でハットトリックをして、新聞などのメディアに取り上げてもらったときですかね。突出しているとまでは思わなかったですけど、少しは自分が認知され始めているのかなとは思いました。




ープロを意識し始めたのはいつごろでしょう。
プロになりたいと思ったのはサッカーを始めてからずっとですけど、明確に意識し始めたのはレッズの練習に参加してからですね。




ーレッズの練習に参加して「自分はけっこうできる」と思ったのか「まだまだ足りない部分がある」と感じたのか、どちらでしょうか。

僕は、”意外とやれちゃうな"と思った気がします。1週間の練習を2回、夏と秋に参加させてもらったんですけど、夏に練習参加したときには練習試合にも出させてもらって、高原さん(直泰 現・東京ヴェルディ)と2トップを組ませて頂きました。そこですごくチャンスも作れたし、点も取れました。それで"こういう感じなのか?"と。自分が描いていた夢の世界と自分の立ち位置ってそこまで離れてないんだな、と思った記憶があります。そこからはプロの世界がより近くなりましたね。




ーそれでも、先ほどの理由で大学を選んだと。話を聞いているとけっこう高校で完成されていた感じがありますけど、大学生活で伸びた部分というのはありますか?まだ1年を残していますが。

ストライカーとして自分を強く意識するようになりました。高校の時は点を取るよりも、たくさんボールを触りたいとか、たくさんシュートを打ちたい、とか。そういう気持ちでプレーしていたんですけど、大学に入ってから"より点をとるために何をしなければいけないか"を強く考えるようになりましたね。



写真:矢沢彰悟


持つ意識次第では、4年間は決して長い期間ではない


ープレー面以外で言うと、大学4年間で人間的な成長が見込めると、流通経済大学の中野監督や明治大学の神川監督がおっしゃっていますが、その当たりも感じますか?

少しは、あると思います。けど、それを感じるのは卒業して何年後かに思うところなんじゃないかとは思いますね。ただ、高校生のときは子供だったなとは思います(笑)




ー選手寿命が長くないサッカー選手にとって、プロで過ごす4年間と大学で過ごす4年間ではかなり差があり、与える影響も変わってくるのかなと。その中で大学を選んでよかったと部分やメリットと感じているのはどういうところでしょうか。

僕は高3のときに高校ナンバー1FWって言われていたんですけど、自分では決してそうは思っていなかったんです。本当の実力をつける上で4年間は絶対に必要だと思っていたし、高卒で活躍できるのは本当にスーパーな選手でなければいけないとも思っていました。それと、これはスカウトの人にも言われたことなんですけど、高卒でプロに行っていたら3年契約の3年で終わっている可能性もあった。本当に自分を鍛えたいというか、そういう高い意識があるのであれば、大学4年間は決して長いものではないと思います。




ー大卒選手がJへの一番の供給源となっている事実がありますが、その点についてはどう考えますか?

僕が経験したことではないので本当かどうかわからないんですけど・・・・。山村くん(鹿島アントラーズ)とユニバで一緒で話したことがあって。山村くん、比嘉くん(横浜Fマリノス)、増田くん(サンフレッチェ広島)は大学でサッカーをしていた中でオリンピック候補の練習に参加していましたよね。その話になると「練習の時はやっぱりプロの選手は上手い」と。比嘉くんはテクニックで勝負する選手ではないというのもありますけど。ただ、そういう中で何で彼らが試合に出られたかというと・・・試合でのサッカーを知っているからだったのではないかと思います。試合でしか養えない部分があると思うんですよね。いい練習メニューをこなしても、試合の中でしか身につけられない部分はある。そういう意味で今現在Jの若手で試合に絡めていない選手は、練習をこなすだけになってしまっているのかなと。公式戦の雰囲気や試合の中でのプレーは大学のほうが養えると思うし、それが大卒Jリーガーが多い理由なのかなと。




ー同じ大学の谷口彰悟選手は「リーグの戦い方に慣れる事ができる」と言っていました。

そうですね。週に1度試合をこなすということで、ほぼJリーグと同じサイクルで試合ができますし。あとは、練習試合でJとやる機会も多いので、そこで自分の立ち位置がより明確になるというか。一番、"Jの若手と違うな"と思う部分はモチベーションの差ですかね。何チームか練習に参加して若手の選手と会話する機会が多かったんですけど、試合に絡めないと"どうせこのメニューを頑張ったって・・"というような空気が少なからずあって。そういうモチベーションになってしまうと色々うまく行かないことも多くあると思うし、そういう点では大学ではモチベーションを維持しやすいのかなと思いますね。




ー試合に出られるというのは大きなアドバンテージですね。それで、いざ大学に入って試合に出たことで感じた印象はありますか?レベルの高低だとか、お客さんの少なさだとか(笑)

リーグが始まる前に筑波の練習に参加していて、本当にレベルが高いなとは思ったし、高校サッカーとは別物だとは感じましたね。お客さんは確かに少ないですけど・・・(笑)あとは高校サッカーだったら、天皇杯や選手権に出ると試合後には色んな記者さんに話を聞かれたり、テレビに出られたり、とメディアの露出は多かった。でも一方で、大学になったら減りました。全く無いときもあります。そういう意味では世間から興味を持たれてないのかな・・・とか、全然浸透してないんだな、とは感じますね。




ー大学サッカーの現場はメディアが多くないですが、そこは選手にとってどうなのでしょう。

デメリットのほうが大きいと思います。注目されてなんぼの世界だと思いますし、そういう中で結果を出したい人が集まっている。注目されていない環境がいつまでも続くと、モチベーションが下がる選手もいると思います。




ー赤崎選手はどうですか?

僕は、まだまだ活躍が足りてないのかな?と思ってましたね。でも、「なんで(試合後に囲み取材に)来ないんだ」とかも思ってました(笑) 記者さんに話す中でその日のプレーを整理出来る点もあるので。負けた試合での対応はけっこうしんどいですけど(笑) でもそこで、口に出して整理できるのはいいことですよ。




ー大学での成長点について長澤選手は大学で"考える力がついた"とおっしゃっていました。大学生活は時間もあるし、色々と思考する時間も増えたのかなと思います。

僕は風間さんの影響もあるんですけど、サッカーに対して、というか、一つ一つのプレーに対して論理的に考えることが出来るようになったと思います。なぜこのプレーを選択したのか、を説明できるようになった。高校のときは感覚でプレーしていたし、それでやれちゃうことが多かったんですよね。なので考える必要も、説明をする必要もなかったんですけど・・・。大学に入って、自分より能力が高いDFがいる中でも点を取るためにどうやって動けばいいか、ということを論理的に考えなければいけなかった。風間さんに説明しなければいけないということもあったんですけど(笑) そういうところは伸びましたね。




ー風間さんに教わった部分とは、具体的には。

相手の視野から消えるというか、自分のスペースを作る動きに関しては出来なかったところなので、大学で一番身についた部分かなと思います。




ー自身が強みとしている部分はやはりそういうところなのでしょうか。

オフザボールのところでどれだけ勝負を付けられるかに重きを置いています。スピードとか高さとか、身体能力だけではいずれ限界が来る。自分より高い選手は世界に数えられないほどいるので。自分より速い選手や高い選手がいても、"このスペースだけあれば俺はやれる"と。そういうところで勝負したいというか、それを大学で学んできたので、自信はあります。









写真:矢沢彰


 

 

組織としてアントラーズが一番しっかりしている

ー先日、来季から鹿島アントラーズに入団することが決定しましたが、鹿島に決めた経緯や理由というのはどういったものでしょう。

鹿島のスカウトから最初に声をかけられたのが、去年の天皇杯です。1-7で負けた試合です(編集部注:この試合で赤崎選手は筑波大唯一の得点を挙げた)。 そこの部分だけではないと思うんですけど、その試合の後に声を掛けていただいて。ただ、練習に参加してから決めたほうがいいというのをJに行った選手から聞いてたので、決めるならそうしてからということで。春のキャンプをはじめ、話があった全チームに練習参加をしたんですけど、実際に行ってみた中で、そこではスカウトの人含めみんなチームに対していいことしか言わないんですよね。まあ、それが当たり前なんですけど。それで、色々な人と話す中で組織としてアントラーズが一番しっかりしているな、と感じたというのがあります。実際、それをJリーグが始まってからの20年間で証明し続けたクラブだと思いますし。このチームなら"Jに入ってからも自分を成長させてくれるな"と。実際に一流の選手たちが各ポジションに揃っていますし、そういう環境でサッカーをやりたいという思いが大きかった。




ー山村選手に話を聞いたりはしたのですか?

聞きました。山村くんは今はなかなか出れてないんですけど、その中でもアントラーズがいいと言ってくれた。そう言えるのにはそれだけの理由があったと思うし、それを実際僕も感じられました。結局、アントラーズへの練習参加は1回だけで、十分でした。それにアントラーズは適材適所というか、必要なところに必要な選手を取るし、似たタイプの選手を取らない。フロントもスカウトのことを信頼していているんですよね。スカウトの人がこの選手がいいといえば即オファーに繋がるし、「練習で動きを見てから決めよう」とはならない。そういうところにも好印象を持ったというのはありますね。




ー鹿島のFWはダヴィ選手と大迫選手がいますが、その2人に割って入るのは簡単ではないと思います。

実際に練習に参加する機会もある中で、ダヴィや大迫さんは一流の選手だし、リスペクトもしています。だけど、あの2人にない部分も僕は持っていると思うし、ぜんぜん違うタイプのFWだとも思っています。もっともっと彼らから盗むべき技術は多いと思いますけど、違う部分で勝負していけるんじゃないかなとも思います。




ー期待しています。では最後に、今後のサッカー選手としてのキャリアプランなどがあれば、お聞きしたいです。

そうですね・・・これまでの20年ちょっとの人生を振り返ってみて、"なんでこうなってきたか"を考えてみると、今できることを一生懸命やってきた結果だと思いますし、それが未来を切り開いてきた理由なのかなと思っています。筑波でやっているときは筑波のために一生懸命やるし、アントラーズでやるときはアントラーズで全力でやる。具体的なものはないのですけど、そういう姿勢を持ち続けて、日々取り組んでいきたいというのが、今の気持ちです。



写真:矢沢彰悟


高校時代、プロと一緒にプレーして一度は"自分でもやれる"と思いながらも大学サッカーの4年間に身を捧げることを選んだ赤崎。一度プロの誘いを断り、こういった決断をした彼には是非とも"大学サッカーを選ぶことは間違いではなかった"ということを証明してもらいたいものであるが、間違いなく、こちらの期待に答えてくれるだろう。そう断言できるほど、彼は大学生活で身につけた大きな自信を言葉に強く出して、語っていた。

【writer】
Reona Takenaka

【プロフィール】
平成元年生まれのロンドン世代。2011年よりCSParkのサッカーライターとして本格的に活動を始め、今年度は引き続き関東大学リーグの取材をしつつ、『EL GOLAZO』にて湘南ベルマーレの担当記者を務める。twitterでは記事とのギャップが垣間見える。

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