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10月某日、東京・中目黒のミヅマアートギャラリーで開催された会田誠さんの個展「ワイはミヅマの岩鬼じゃーい!!」(10月4日終了)にて。会田さんと同じ昭和40年に生まれ、公私ともに親交の深い松蔭浩之さんが遊びに訪れ、二人が雑談しているところをキャッチ! 少女を描くことが多い会田さんと女性を撮ることが多い松蔭さん。ある意味、女性をよく知る二人に、女性とアートの関係について訊いてみた。

生身の女性をモデルにすると調子が狂う
――お二人とも女性をモチーフとした作品を作られていますが、モデルはどうしていますか?


松蔭浩之(以下、松蔭):まず基本的に僕は写真で女性をモチーフにしているけど、会田君は絵だから全然違うよね。僕の場合はモデルありきで、女性の肉体そのものがないと作品が作れない。

会田誠(以下、会田):僕の場合、空想だけで女の子がうまく描ければそれに越したことはないんだけど、それは難しいから、資料としてモデルが必要だね。でもそれはコンビニで売ってるアイドルの水着写真で十分だったりして。どうしてもポーズが雑誌になければ、それはまぁ37歳の妻でよかったりもする。その場その場で臨機応変に可能なことをやっているかな。生身の女性をモデルにすると調子が狂うことがむしろ多くて。

松蔭:(笑)気持ちに乱れが出るってこと?

会田:なんだろうねぇ、僕の女の子の絵は恥ずかしくてこっそり描くようなものだから。密室で深夜にひっそりニヤニヤしながら描くようなものであって。オタクみたいなもんですよ。そこに女性の冷ややかな目があるとやりづらいというか。

松蔭:逆にものすごく協力的でも困るんじゃないの? 完全に会田君の言う通りにこう大全開でポーズとってくれる人とか。

会田:どうなのかねぇ。

松蔭:僕はドン引きしちゃうんだよね、きっと。某アラーキーさんとか引く手あまたなわけでしょ。アラーキーが街を歩けばそのタイプの人が声をかけてくるわけで、彼女たちを撮るんだろうけど。僕それはなんか萎えちゃうんだよなぁ。

会田:最近始めた(ハズ)の“おんなのこしゃしん”(雑誌「美術手帖」の企画)なんだけど、もうしょっぱなから暗礁に乗り上げちゃってて。理由はいろいろなんだけど、第一にモデルさんがいない。いくつか理由があるんだけど、僕がどうしても思春期ぐらいの少女モデルがいいって言うと、とたん大変なんだよね。今の法律的に親の許可が必要だったり、厳しくなっていて。

松蔭:うかつに街歩いててレンズを向けられないよね。猫や犬に向けるように子供にレンズを向けようものなら親が止めに入ってくる。

会田:「美術手帖」にモデルさん募集って告知かけたら、6〜7人が写メを送ってきてくれたんだけどね。どなたも味わいのある、それこそアラーキーだったら喜んで撮ってるかもしれないような……

松蔭:個性的な、ね。

会田:そう、はっきり言えば個性的な女性からの応募が来たんだけど、今回のシリーズでは全員ちょっと違って、ごめんなさいということで。僕はもしかしたら個性なんてない、お人形みたいな女の子がいいってことだよね。だから僕は絵描いてりゃいいのかもしれないね。理想があって、それは究極にはCG美女みたいなところにいっちゃうかもしれなくて、生身の女性の個性と出会って作品がいきいきと生まれるとかそういうもんじゃなくて、初めから僕の脳みそにあるイメージで。


*1 昭和40年会…「オレたちは昭和40年にうまれた。それだけだ」というマニフェストを掲げ、コラボレーション作品などを国際的に展開するアーティストグループ。会長・松蔭浩之を筆頭に、会田誠、有馬純寿、大岩オスカール、小沢剛、パルコキノシタの今年43歳になるメンバーで構成される。Webサイト「Reaktokyo」での3年にわたるWebサイトリレー連載をまとめた書籍『昭和40年会の東京案内』(\1,800税別 発行元:Akio Ngasawa Publishing)も好評販売中



“ロリコン国家”への問題提起
――なぜ対象が女性なんでしょうか?


松蔭:それはどうかっこよく答えようとしても無理があるよね。異性に大変興味のある男性なので(笑)。そして世の中は基本女性にみんな興味があるから。性差別、雇用法を含め男女が平等になっているとはいえ、テレビをずっと見てたらほとんど女性の顔のアップじゃない? ちょっとサイケデリックなかんじがするよね。これだけメディア、特に広告、ものを売る商売にここまで屈託なく女性が使われて、商売のためにキレイの基準を作り上げてるわけで。女性の活動家は文句言わないのかね。ずっとそう。世の中がそうなんだから、アートもそうなるのは当然かなっていう気もする。僕がマスメディアとは違う、似て非なるものを作るのは、そういう大衆文化っていうものに対しての僕なりのズレた見解っていうか問題提起。

会田:テレビに美少女や女性ばっかりっていうのは僕も気になってて。海外ではよほどのことがないと少女って出てこないし、それもかなり必然性があってのところで、日本はちょっと異常だと思う。広告なんかは商品が売れることが善でやってるから、結果としてそのほうが売れるからそうしてるんだろうけど、日本人の性質がいま特にそうなってるってことだよね。まぁ一言で言ってみれば“ロリコン国家”。で、僕の場合、悪の親玉になれるなら敢えてなっちゃってみようかなっていう気もあってロリコンに邁進しておりますけれど(笑)。僕の偏った趣味が公然とこの国家の平均的な人々に受け入れられているのがむしろおかしいかな。



大昔にギョッとしたのが、街中の警察署とか消防署に貼ってある「ダメ、ゼッタイ」ってポスター。何の工夫も無く女の子のバストアップが写ってて、何の関係もないコピーが書いてあるっていう。あれはひどいよね。作ってるのは背広着た真面目な公務員なわけでしょ、そんな国っていかがなものかと思いつつ、ひどいけど分かるっていうか。
笙野頼子(しょうのよりこ)っていう純文学でいいオバチャン作家がいて、ハードフェミニストで、「ロリコン撲殺だ」なんてことを声高らかに言ってて。僕はロリコンやってるけど「ロリコン殺す」なんて言われると快感なんだよね。「そうそうそれが言ってほしかった!」って。僕の中で屈折したものがあって。そんなに良いものと思って堂々とやってるものでもないんでね。


僕が弱い男だからこうなる
――男性が女性を表現すると女性蔑視的と言われることがありますが、お二人の作品にはそれとはちょっと違う想いが感じられます。


松蔭:僕のデビュー作(*2)は経血を使ったもので、バッシングもされたけど、いいって言ってくれる人たちには、「実は松蔭はむしろフェミニストだ」、「女性をむしろ崇めたてるような崇拝感すら感じる」とか「女性にうまいこと協力してもらって生きながらえてる」っていう言われ方をしたね、特に海外では。

自分としては、ものすごくアンビバレンツというか不条理だと感じることが多い。女性のことがすごく好きなんだけど、よく分からなくて、しまいには分からないのが憎くなる。これは女に振られ続けると包丁を振り回してしまう男の気持ちと同じかなって思うときはあるね。今まで好きだったのにどうやっても振り返ってくれないから、急に悪口言うとか。小学生みたいだね。大人になってそれがむしろ根深くなってしまう。最初は幻想で女性はこういうものだ、こうあってほしい、と思うんだけど、だんだんとそうじゃないってことを実感するたびに、そんな気持ちになるね。写真に込めているのもそういう願望だったりする。美しく、そして黙っていてくれっていう。これはアンチフェミニズム的なのかもしれないけど。

密室劇で女性と僕とどう帳尻をあわせていくっていうのは、ちょっとした恋愛のゲームみたいなもので、「もう女はこれだからなぁ」とか「自分勝手だなぁ」と思うことはあるね。

*2 松蔭浩之 『Puberty』 1992 cMATSUKAGE Hiroyuki Courtesy Mizuma Art Gallery


会田:さっきの話になるけど、なんでいま日本がロリコン国家になっちゃったかっていうと、男尊女卑の崩壊が理由の一つだと思う。そのベースにある、フロイトがモデルにしたような、男はマッチョで強くて母親は優しくて、みたいな家庭像が戦後崩れてきた。良かれ悪しかれ、世界的に見ても男尊女卑がなくなった国なんじゃないかな。ある意味でフェミニスト的な国家だよね。

松蔭:ロリコンだけじゃなくて、マザコンとかそういう女性に対するコンプレックスがあるかもしれない。

会田:『犬』みたいな作品を外国に持っていくと、オバチャンが大体最後に「どうしてこんなの書くんだ」って怒って質問してくるんだよね。しどろもどろに「僕が弱い男だからこうなるんだ」っていうことを言うんだけど、まぁ大体通じないね。

松蔭:陰湿がゆえに、こういうことを絵にするんだってことね。会田君は普段、女性に対してすごく丁寧で優しいしね。

会田:日常生活ではフェミニストだと思うよ。

松蔭:でもあの絵を描いている人がマッチョだとは思わないよね。それかそれこそああいう行為をやってる人になっちゃうよ。


会田誠 『犬(野分)』 2008 パネル、岩顔料、アクリル絵具、色鉛筆 89.3x130.3cm c AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery


永遠でないことへの絶望
――比較的裸に近かったり、きわどいポーズの女性を作品にするとき、作りながら“萌え”を感じることってありますか?


会田:これは作家としての危機かもしれないけど、結婚して子供もいたりすると美少女ものとかも自分としても演技じみてて。例えば『犬』シリーズも一作目を描いた頃は、童貞から抜け出て毛が生えたくらいの頃で、まだそういう部分がどういう形だかもはっきり分からないくらいでね(笑)。その頃と今とではまるでこちらの内面は違うわけだけど、20代半ばからやろうとしてほったらかしにしてた宿題っていうことで今回やってみたんだけど、ちょっと変な心境のまま描いてたね。

松蔭:うん、そんな気がする。かつてのほうが想像力が逞しくあって、それをエネルギーとして創作にぶつけられた?

会田:それもあったかな。例えばまだ途中なんだけど、滝に戯れてるスクール水着の女子たちの絵(*3)なんかは、わりと中年の僕にふさわしいと思う。もう裸じゃなくていいんだよね。なんかもう穏やかに遠くから眺めているような心境? おじいちゃんみたいな。そういう距離感。服脱がせばどうなってるか分かるからもうそれはよくて、遠くから眺めていたいなみたいな。幸か不幸か生まれたのが息子だし。二番目を作ろうとしないのも息子が二人続いたらやだなっていうのもあるけど、娘が生まれたらどうしようっていうのがあって。娘は人様のにずっと憧れてたほうがいいのかな、この憧れさえなくなったら人生どこにいけばいいのか。

松蔭:あまりに女性に向き合ってきちゃって、女に対しての絶望っていうか、俺女ってだめなのかな、ゲイになっちゃうのかなとさえ思うことがあるよ。会田君の場合は理想の女性を描けるわけよ、その腕があるから。僕の場合はモデルありきだから、理想の何かに出会うまで、探し続ける作業。最近は写真やってなかったらよかったのかなって思うね。写真的にモノを考えすぎたかなって、特に対女性っていうところで。あまりに写真のことばっかり考えてると、ものは壊れる、失われる、朽ちていく、冷めていく、永遠がないっていうことに対してのセンチメンタルな気持ちを掻き立てられるんだよね。それを感じさせずに生涯勝負できてるのは篠山紀信だけかな。

*3 会田誠 『滝の絵(制作中)』 2007 419×252cm photo/長塚秀人 cAIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery


大切なのは、女性が自分で選び取ったもの
――これからも作品作りを通して女性と向き合っていかれると思いますが、今後挑戦してみたいことってありますか?

松蔭:僕はけろっと写真が撮れるようになるのが次のステップ。会田君と逆に、次の僕のトライアルはヌード写真だと思ってるんだよね。考えてみたら、これまでは近視眼的で、女性のボディっていうものをよく見てなかった。反省を含めて、写真家として改めて女性の体っていうのを見ていきたいなと。

会田:今思ったんだけど、僕は大人の女性を作品のモチーフにしたこともないし、あまり気にしたことがない。でも頑張ってそれをやってみるとすれば、大切なのは服かなと。普段は妻がどんな服を着てるかさえ気にしてないんだけど、外出先ではぐれたときにも思い出せないくらいに。けど大人の女性にとって大切なのは、肉体の外に張り付いてる、女性が自分で選び取ったものかなと。大人の女性をモチーフにするなら、むしろそこだけでもいいぐらいで。なんなら顔とか手とか描かずに服装だけでもいいのかなって今ふと思ったね。



松蔭:会田君は女性のお化粧も苦手だからね。だけどやっぱりね、いいもんだよ。ちょっとしたシャドウの塗り方とかアイラインの角度とか。前から見たらふつうの服なのに、背中が大胆に開いてたりとか。そういうのって男にはないからいいなって思う。女性はいろんなパーツの見せ方があるから。会田君はそういった女性の意図が出てるのが嫌なんだろうね。

会田:僕の描く少女は、与えられた服以外は着ないね(笑)。

松蔭:日常生活で僕は女性のメイクだったりヘアスタイルやファッションだったり、僕には思いつかないような隠し技みたいなものをすごくリスペクトする。で、男の欲望を触発されて、いざ裸になってみると、意外と萎えてる自分がいたりするわけよ。そうやって僕は裸っていうものをちゃんと見て無かったなと思う。会田君は体のほうだけどね。

会田:体もそうなんだけど、女性っていうのは文化的に男性よりも、意識が高いのかな。だけど女性のほうが芸術にも向いてるのか、と思いきや、女流作家は割合的に少ないよね。実際に美大で教えていても、人によりけりではあるけど、なんか趣味的に見えてしまって、そんな態度でアートやってもだめだよといいたくなる女子学生は多く。僕が思う芸術はそんなかっこよくなくてもいいから、苦しんで芸術となにか格闘して、どろどろくさい、スマートじゃないものでいいんじゃないかと思うんですよ。

PROFILE:
会田誠 Makoto Aida (写真右)
現代美術家。1965年新潟県生まれ。作品は社会通念に対するアンチテーゼを含み、美少女、戦争、暴力、エログロ、ロリコン、酒、社会通念への反発などのテーマを取り扱うことが多い。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、都市計画、舞台美術を手掛けるなど表現領域は国内外多岐にわたる。

松蔭浩之 Hiroyuki Matsukage (写真左)
現代美術家、写真家。1965年福岡県生まれ。アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」を平野治朗とともに結成。「ヴェネツィア・ビエンナーレ アペルト'90」(イタリア)に史上最年少作家として出展する。写真等の芸術活動を続ける他、CDジャケットデザイン・装丁アートディレクション・内装デザイン等多岐にわたる分野で活躍。1997年、宇治野宗輝とエンターテインメント・アート・ユニット「ゴージャラス」を結成。来年には個展を構想中。