ホーガンが導いたかのように苦労人たちの優勝争いとなった (Photo by Scott HalleranGetty Images)

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 クラウンプラザ招待の最終日の終盤。優勝争いはブー・ウィークリーとマット・クーチャー、ザック・ジョンソンの3人に絞られた。
【船越園子コラム】「初優勝」と「初のトップ10」
 下積みを味わった時間の長さに差はあるものの、3人とも草の根のゴルフを知る苦労人たちだ。そんな彼らを優勝候補に選んだのは、コロニアルCCのクラブハウス前にそびえるベン・ホーガン像の魂の仕業に違いない。
 勝者となったウィークリーは、最終日に何度も何度も短いバーディパットがカップに嫌われ続け、それでもなお4つのバーディを奪い、勝利を手に入れた。その勝ち方までもが、ツアープロの先駆者として、交通事故からの復活を果たしたサバイバル・プレーヤーとして、偉人と崇められるホーガンが仕向けた展開だったと思わずにはいられない。
 ウィークリーは日本では無名だが、米ツアーでは結構な人気者だ。彼が上位に上がってくると、ギャラリーは「ブ〜〜!」と声援を送る。もちろん、ブーイングではなく、「ブー、がんばれ」という激励だが、そんな「ブ〜〜!」が米ツアーで上がるまでには長い歳月を要した。
 97年にプロ転向したものの、ずっと草の根のミニツアーを回る日々。やっとのことで米ツアーに辿り着いたのは2002年。しかし、10試合連続予選落ちを喫する波乱のデビューとなった。最悪の成績だけなら話題にも上がらないはずだが、ウィークリーがデビュー当時からメディアに取り上げられた理由は、彼のファッション。どんなに晴れた日でもレインギアで身を包んでいた。
 「生まれつきのコットンアレルギーで、普通のゴルフウエアは着られない」。ナイロンのレインギアならアレルギー反応は出なかった。「それ以外には着るものがない。だから、レインギア」。それこそが、苦労人が出しうる唯一の答えだったのだろう。
 デビューから5年後の07年にヘリテージで初優勝。翌年、同大会を2連覇。そのころには契約メーカーが彼専用のウエアを提供してくれるようになり、見てくれは格段に良くなかったが、逆に成績は安定せず、シード落ちも喫した。
 それでも再び米ツアーに戻り、歯を食いしばって、しがみついてきた。今季はトップ10に3度も入る好調に転じ、ついに手に入れた通算3勝目だった。「諦めず、腐らず、ゴルフを続けてきて良かった。ハードワークと忍耐は必ず報われるんだね」
 最終日を首位でスタートし、2位に甘んじたクーチャーは、全米アマを制して大学生のうちからスポットライトを浴びたという意味では、ウィークリーとは異なる歩みだ。が、プロになって早々に初優勝を挙げながらシード落ちして下部ツアーに格下げになった経験は「一打の重みをあらためて教えられた貴重な日々だった」と、いつだったか、しみじみ語ってくれた。
 3位になったジョンソンもミニツアーと下部ツアー転戦の日々を過ごした上で米ツアーにやってきた。ミニツアーのエントリーフィーは数百ドルだが、そのお金を払う手立てがなく、プロの道を諦めかけたとき、篤志家の援助を得て、プロ生命をつなぎ止めた。
 あの日、あの日々が無かったら今の自分はここにはいない。そんな苦労の数々が彼らを強くたくましいプロに育ててきた。
 出場5試合連続で予選通過を果たした石川遼。先週は初のトップ10入りとなったが、今週は短いパットがなかなか決まらぬ我慢のゴルフを続けた末、3日目と4日目の後半は我慢し切れずに崩れた。「木金に粘れて予選を通れた」のは大きな進歩だが、決勝ラウンドは「パットだけじゃなく、我慢できないところがあった」。
 その通り、石川は石川なりに努力し、耐えてもいるけれど、ウィークリーらが耐え忍んできたほどの苦労はまだ味わっていない。同じだけ苦労する必要はないけれど、積んだ苦労が選手を強くするであろうことは、疑いようもない。そう感じさせられた苦労人の勝利だった。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
<ゴルフ情報ALBA.Net>

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