図3:ヒット現象=購入意欲は数式で表せる

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数理モデルというのは数式によって記述されたモデルのこと。自然科学や社会科学の現象を数理的な思考で考え、記述し、予測可能にすることを「数理モデルを構築する」といいます。「ヒット現象の数理モデル」をわかりやすく説明するために、映画におけるヒットのメカニズムで考えてみましょう。

人を映画館に向かわせる要素は大きく分けて3つあります。1つは広告やテレビ番組などで紹介されている情報。マスメディアを使った「宣伝・報道」です。

2つ目は知人からの紹介や推薦。「あの映画よかったよ」といういわゆるクチコミです。知人から知人へ会話によって伝えられるので、私たちはこれを「直接コミュニケーション」と呼んでいます。

クチコミで評判を広げることはヒットをつくり出すうえで重要ですが、大ヒット商品ではそれにとどまらず、街のいたるところでその話題が交わされています。これが3つ目の要素である街中の噂・評判です。通勤電車の中、街を歩いているとき、あるいは居酒屋にいるとき自然に耳にする噂に影響されて映画館に足を運ぶこともあるでしょう。ネットというバーチャルな空間で、知らない誰かが書いたブログやツイッターから影響を受けることもあります。前述の直接コミュニケーションに対して、特定できない他人の会話が漏れ聞こえてくるので、こちらは「間接コミュニケーション」といえます。

このようにある商品がヒットする際は、「宣伝・報道」「クチコミ(直接コミュニケーション)」「街中の噂(間接コミュニケーション)」の3つが影響していると考えられます。私たちが提案する「ヒット現象の数理モデル」とは、人の消費行動に影響を与えるこの3つの要素をモデル化したものです。

図3はこの数理モデルの中心となる数式で、微分方程式に基づいています。ここでは基礎編として数式の持つ意味を簡単に説明しましょう。

「ヒット現象の数理モデル」は、1人1人の購買意欲、つまり「この商品を買おうかな」という気持ちに焦点を当てています。数式の左辺が購買意欲を表し、右辺は「宣伝・報道」「直接コミュニケーション」「間接コミュニケーション」といった項目で成り立っています。

実はクチコミによる数理モデルは1960年代から考案されていたのですが、それは「宣伝・報道」と「直接コミュニケーション」の2つからなる数式で表されていました。そこに間接コミュニケーションという新しいクチコミの概念を加えたのが、私たちの数理モデルです。

間接コミュニケーションに関しては、直接コミュニケーションをしている人たちの会話を第三者がある確率で漏れ聞いて、それに影響を受けるとして式を立てました。物理学では3つの電子(粒子)が一度に影響を及ぼし合うという意味で「3体相互作用」と呼びます。間接コミュニケーションは、いわば「3人相互作用」であると考えて数式化しています。これまで、さまざまな映画について「ヒット現象の数理モデル」による購入意欲の計算値と購入実績を比較検証し、数理モデルの有効性を確かめてきました。

前述したように、左辺、つまり購入意欲はその製品や映画などにどれだけ関心を強く持つかを示す量で、これが実際の販売数や観客動員数、入場者数に比例します。では「この商品がほしい」といった心の中の意欲はどのように測ればいいのか。私たちはそれがブログの書き込みから測定可能と探り当てました。

ブログはその日その日に思ったことを自由に書く媒体です。たとえば映画では、公開前、公開後、鑑賞後とそれぞれのタイミングで、その作品についての期待や感想、評価が書き込まれている。書き込み件数の変動が、人々の関心度の増大や減少を表す指標になるのです。

さらにヒット映画の1日ごとの観客動員数の推移と1日ごとのブログの書き込み数の推移をグラフで比較すると、多くの映画で波形が重なります。例外もありますが、観客動員数や売り上げ、入場者数などの実数とブログの書き込み件数は比例する傾向にあると考えられます。

ブログ以外のCGMメディア、たとえばツイッターやフェイスブックの書き込みでも考え方は同じで、書き込みを「ヒット現象の数理モデル」による分析に活用できます。私たちが研究を始めた頃はブレーク前でしたが、いまやツイッターやフェイスブックがCGMメディアとして主流になりました。しかし、誰でも自由に閲覧できるブログに対してツイッターやフェイスブックには制限が設けられていて、分析に必要な量のデータを取ることができません。これについては後述しますが、書き込み内容の定性的な分析をする際も、140字しか書けないツイッターより、思いの丈が綴られるブログのほうが適しています。

いくつかのヒット映画について、「ヒット現象の数理モデル」による購入意欲の計算を行ってブログの書き込み件数と比較した結果、図4のように数理モデルの計算値(シミュレーション)がブログ書き込み件数をよく予測することが見て取れました。

またヒット現象を説明するうえで、間接コミュニケーションが重要であることもわかってきました。大ヒット商品では間接コミュニケーションが決定的な役割を果たしていて、もともとクチコミと言われてきた直接コミュニケーションの効果はそれほど大きくない例もあります。

間接コミュニケーションによるヒットと聞いて、「食べるラー油」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。桃屋が2009年8月に発売した「辛そうで辛くない少し辛いラー油」は、クチコミで人気が沸騰、一時は品薄状態でCMを自粛したほどでした。図5は、食べるラー油についてのブログの日ごとの書き込み件数です。「ヒット現象の数理モデル」には直接コミュニケーションと間接コミュニケーションがありますが、食べるラー油のように広告費と無関係にブログ書き込み件数が増大していく現象は、間接コミュニケーションによってのみ表現されます。

実線部分は、間接コミュニケーションを強く設定して計算した「ヒット現象の数理モデル」のシミュレーションです。それがブログの実測値と合致することから、食べるラー油の大ヒットには間接コミュニケーションが強く寄与していることがわかるのです。

広告を出せば消費者がそれに反応するという単純なマーケティングの考え方が間違いということは、図6が示しています。これは映画『アバター』の例で、GRP(みなし視聴率。広告業界で使われるコマーシャルの影響を表す単位)の値が変化しても、購入意欲、ブログ書き込み件数に影響がないことがわかります。

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鳥取大学工学研究科 機械宇宙工学専攻 教授 石井 晃
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。理学博士。2008年より科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業研究員。デジタルハリウッド大学ヒットコンテンツ研究室客員研究員。専門は計算物理学手法を用いた表面科学。

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(石井 晃 構成=小川 剛 撮影=市来朋久)