ナイツ・塙宣之/2001年、ボケの塙と、ツッコミの土屋の漫才コンビ「ナイツ」を結成。内海桂子の弟子として活動し、2003年漫才協団(現・漫才協会)・漫才新人大賞を受賞。2008年お笑いホープ大賞THE FAINAL優勝&NHK新人演芸大賞受賞。M-1グランプリでは2008年、2009年、2010年3年連続で決勝進出。THE MANZAI2011準優勝。落語芸術協会、三遊亭小遊三一門として寄席でも活躍中!

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「ヤホーで調べました」でおなじみの漫才師ナイツ(塙宣之・土屋伸之)。テレビで活躍する以外でも、年間500本近くの寄席・舞台に出演し続け、その様子は今年発売されたDVD「ナイツ独演会〜浅草百年物語〜」でも見ることができる。今回、そのナイツ・塙宣之に、ネタ作りの裏側やコンビ結成秘話を聞きました。


《一番「ダメだな」って思ってたのが土屋》

─── 塙さんと土屋さんは、創価大学落語研究会の出身ですが、大学時代はコンビではなかったわけですよね。そもそも、お二人が「ナイツ」を結成した経緯は?
塙 今の形になったのは僕が大学を卒業した後ですが、その前にも、大学の別な人間と「ナイツ」を組んでいたんですよ。それが自然消滅し、何人かに声をかけたら一学年下の土屋だけが「やります」と言ってくれて。それで組むことになったんですよね。
─── じゃあ、結果的に一緒になったというか……でも、誰でもよかったわけではないですよね。
塙 誰でもよかったわけじゃないんですけど、ちょうどその時、僕は大学4年の卒業間際で焦っていたんですよ。周りのみんなは就職先や進路が決まっているし。で、自分でもさすがにヤバいなと思って、一回進路相談課みたいなところに行ってみたら、「就職しろー就職しろー」の一点張りで。学校としてはやっぱり就職させたいわけですよ。
─── 就職率、といった数字にも影響しますもんね。
塙 で、「これは、あんまり俺自身のことは見てくれてないな」と思って、だったらもう自分でなんとかするしかないなと。それで、元々漫才をやりたかったこともあって、改めてコンビを組もうと思って声をかけた三人の内、二人には断られて、残ったのが土屋で……これ、今までも土屋には言ってないんですよ。なんか悪いんで(笑)。だから、「土屋にだけ声をかけた」みたいになってるんですけど、本当は三人に声をかけてるんです。
─── え? じゃあ、それは公にはなってない?
塙 たぶん公になってないと思いますね。
─── じゃあ、公にはしないほうがいいですか?
塙 いや、どっちでも。
─── えー(笑)、じゃあ、書きますね。
塙 一人は今ミュージシャンをやっていて、「僕は音楽に進みます」と断られたんですけど、そいつはいまだに言ってるみたいですね。「俺は塙さんに誘われたんだ」って。彼は落研と音楽のサークルを二つ兼部していたんですが、ものすごい才能がある奴なんです。メチャクチャ器用で何でもできる奴だったので、「こいつと組んだら、コントもできるし、音楽を使ったネタもできる」ということでまず最初に声をかけたんですけどね。
─── でも、その方は音楽を選んだと。
塙 もう一人は僕の同期で、背が小さくて、体のバランス的にいいな、って思ったんです。面白いこと考える奴だし。でも、「俺は人前に出るのは向いてないから」って。
─── 土屋さんは?
塙 土屋はどちらかというと地味で、えー……特に何もなかったんです。声をかけた三人の中で、一番「ダメだな」って思ってたのが土屋だったんで(笑)。土屋は2年生の途中までずっと公認会計士を目指していて、落研に入ってきたのがすごく遅かったんですが、途中で入ってきた割には器用なんですよ。こいつの方が一番漫才はうまくなるんじゃないかなって思ったんですよね。
─── なるほど。土屋さんの伸びしろに期待して。
塙 ただ、はじめの1、2年は地獄でしたよ。あっまりにも土屋がツッコミをできないから。そうなると、「これ以上ボケると、こいつテンパるだろうな」と思ってボケをセーブしなきゃいけなくなる。要するに、相方に気を使わなきゃいけなかったんです。今じゃもう何でも言えますけどね。
─── でも、「どんだけの数ボケるんだ!?」というのが、ある意味“ナイツっぽさ”でもあるわけじゃないですか。
塙 そうそう。だから、ツッコミは難しいんですよね。はじめは全然できなくて。しかも、漫才協会の師匠とかにも土屋だけが怒られるんですよ。だから、相当努力したんじゃないですかね。


《ダメだ。ナイツは浅草に行かせるんだ!》

─── よくネタにも登場する内海桂子師匠ですが、内海師匠に弟子入りした経緯は?
塙 それは、僕らが所属した「マセキ芸能社」という事務所の関係性ですね。内海桂子師匠ってマセキなんですよ。ちなみに僕らがマセキを選んだのは、実は土屋のお母さん(津島亜希)が演歌歌手で、マセキに入っていたからなんです。あいつああ見えて実は、芸能人の息子なんですよ。で、それを聞いて「えっ!? そうなの??」となって、じゃあ、マセキに入ろうよと。
─── ちなみに、お兄さん(お笑い芸人・はなわ)は、違う事務所ですよね?
塙 兄貴は、当時ケイダッシュ所属で、兄貴が売れていたらケイダッシュに行っていたと思うんですけども、まだ売れてなかった時だったのと、まあ兄貴と同じところも嫌だなと。それで兄貴に相談したら、マセキか浅井企画がいいんじゃないかと。
─── それで、マセキに入ったんですね。そこから内海師匠の元に?
塙 いや、当初は関係なく、普通にお笑いライブに出ていたんですけども、そうしたら当時のマセキ芸能社の社長(現・会長)が、「ナイツは若い人よりもお年寄り向けのほうがいいな」ってすごく言うんですよ。でも、他のマネージャーとかは「いやいやいや。社長、漫才協会はダメですよ」と反対したら、逆に社長のスイッチが入っちゃって「いや、ダメだ。ナイツは浅草に行かせるんだ!」とワケのわからないうちに……。それで、漫才協会に入る時は必ず誰かの弟子になる必要があったので、同じ事務所の内海桂子師匠の元に。それが2002年ですね。


《ねづっちと語り合った将来〜「このままじゃ絶対売れないよ!」》

─── 不本意で進んだ浅草の道。それが今や史上最年少で漫才協会の理事にも就任し、「浅草」「漫才協会」がネタのひとつにもなってますね。
塙 そうなんですよ。結果的に社長はやっぱり見る目があったというか。最初はもう、すっごく嫌でしたけどね。ホントに。僕ら1年目とか2年目でしたから、ライブに出るだけじゃなく、誰かよく知らないような師匠にお茶を出したりとか、チラシを配ったりとか、外に出て呼び込みとか。「なんて無駄な時間を過ごしてるんだろう」と思いながら毎日浅草の東洋館に行ってましたよ。
─── 落語家さんも含めちゃうと、ますます誰かわからないような方もいらっしゃいますよね?
塙 あ、それは違います。当時は「漫才協会」だけで、落語の方とはまた別なんですよ。落語の世界(落語芸術協会)に入ったのはもっとずっと後で。これねー、説明するのがまた面倒なんです。
─── 「東洋館」というのは、漫才をやるところですよね。
塙 そうです。それに対して、落語家がやってるところが「寄席」。だから、漫才協会が使う東洋館は、正確に言うと「寄席」じゃないんですよ。
─── 落語芸術協会に入ったのは?
塙 2007年。そこから、「寄席」も含めて、舞台の数が年間何百とかになったんです。それまでは、毎月1日から10日までの漫才協会の興行にただ出ているだけだったんで、全然場数が違いますよね。
─── ちなみに、浅草での若手の頃、同世代のコンビは周りには?
塙 僕が入った時は根津さん(Wコロン・ねづっち)とかが先輩にいて、「何でこんなところに来ちゃったの?」と言われましたね。僕も「こんなとこ絶対嫌ですよ。このままじゃ絶対売れないよ!」とか言いながら、よく二人で飯食ってましたね。
─── それが今や……
塙 根津さんは当時違うコンビでしたが、昔っから謎掛けをやってたんですよ。「根津さん、謎掛け面白いんですけどねー」と言っても、根津さん自身「謎掛けなんかで絶対売れねーよ」とか言ったりして(笑)。でも、「そういう時代が来るといいとね」と言っていたら、2010年にあんなに売れた。だから、結構感慨深いものがありましたね。

(後編に続く)

「ナイツ」結成秘話から、浅草芸人・ナイツ誕生の経緯まで、いかがだったでしょうか。そもそも塙さん、子どもの頃から大の野球好きで、巨人の助っ人外国人・モスビーがいなかったらお笑いの道にも進んでいなかったとか。
そんな野球とナイツの深い関係性を、スマートフォン向けマガジン『週刊野球太郎』内の「野球芸人」で連載中です。この「野球芸人」、ナイツの他にも、トータルテンボス・藤田憲右がWBC日本代表の面々とのメール交友録を語ったりと、野球芸人たちの熱すぎる野球トークが満載。野球好き、お笑い好きはぜひチェック!
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(オグマナオト)