第一三共 社長兼CEO 中山讓治(なかやま・じょうじ) 1950年、大阪府生まれ。76年大阪大学基礎工学部大学院生物工学科修士課程修了。79年ノースウエスタン大学大学院でMBA取得、サントリー入社。2000年サントリー生物医学研究所社長、02年第一サントリーファーマ社長。03年第一製薬取締役、07年第一三共執行役員欧米管理部長、09年常務、10年副社長を経て社長兼CEOに。

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■21世紀の会社像 反発おそれず提案

バブル経済が膨張していた1980年代の終わり、在職していたサントリーで21世紀の会社像を描いた。88年8月に企画部の課長となり、若手部員を率いて、半年余りかけて「“夢”2001」と名付けた将来ビジョンを策定する。

主眼は「脱・ウイスキー依存」だった。当時、焼酎ブームに火がついて、ウイスキーの売上高は下り坂となり、業績が落ちていた。財務部から経営戦略を立てる部門へ異動し、「この会社は、10年たったら、どうなるのだろうか」を探る。

頭には、酒類事業を立て直そうというだけではなく、会社の軸を製品というハードからソフトへと移せないかとの思いが、強くあった。その結果、ビジョンは、大胆な内容となる。2001年の中核事業として5分野を示したなかで、第一に置いたのは「コミュニケーション」。次いで「健康・ライフサイエンス」「エンタテイメント」とし、創業以来の大黒柱である酒類は4番目、食品は5番目にしか出てこない。

当然、社内の大半が反発した。多角化は、伝統的に嫌いではない社風だったが、「これは、許せん」との声が広がる。決して製品を軽視してはいない。ただ、日本人の生活様式が変わり、高齢化や国際化が進み、「生活ソフト」というような領域が大きな地位を占めていく。酒類事業が中心の会社であっても、その周辺に「生活ソフト」は広がっていくはずで、そこへ攻め込んでいく。そう考えて、心が命ずるままに書いた。

取締役会で説明したが、冷ややかな空気が流れていた。いまでもよく覚えているが、部屋の向こう側に、90年まで社長を務めた佐治敬三さんがいた。説明など全く聞いてない様子で、何かメモを書いては秘書に渡している。ところが、説明が終わると、パッと手を挙げ、前向きな質問をしてくれた。それで議論が進み、最後に佐治さんが「ええやないか」と言って、了承された。満40歳が近づいているときだった。

実は、ビジョンは「佐治敬三になったつもり」で書き上げた。社内には、優秀な人がたくさんいる。そういう人たちを論破できるとしたら、何かあればいいかと考えたら、「サントリーは同族会社。普通の社員は社長にはならないし、長く社長をしてきた佐治さんが断トツの存在だから、社長になった気でものを考えている人はいない」と思う。いかにすれば、憧れの佐治さんのように考えることができるか。子どもがウルトラマンになったつもりで遊んでいるように、自然な気持ちになれた。

新入社員のころ、大阪支店で輸入したウイスキーやワイン、果実酒の営業をした。ホテルなど大きな販売先は別の課が扱っていて、自分たちは比較的小口の領域を受け持った。職場は開放的で、「仕事は自分でつくっていこうや」との気風に、あふれていた。売り上げ目標は厳しかったが、この時代に、自分で「何をやるか」を考えて、自らに「何をしたいのか」「なぜやるのか」と問いかけてすごす。

いま、それを「Will」という言葉に置き換えて、若い社員たちに語りかける。自らの意思と向かい合えば、答えは、必ずみいだせる。そう、教え続けている。

ビジョンを書いたときも、社内では少数派だったが、「何をしたいのか」「なぜしたいのか」を考え抜いて、答えを出した。「脱・ウイスキー」は、決して敗北宣言ではない。あくまで次へのステップだ。自分の「Will」はそうだった。

「不昧己心、不盡人情、不竭物力」(己の心を昧まさず、人の情を盡くさず、物の力を竭くさず)――自分の心を偽らず、他人の情をいつまでもむさぼらず、物は役に立たなくなるまで酷使するなといった意味で、余力をもって臨むように説く。中国・明の洪自誠の書『菜根譚』にある言葉で、良心の命ずるままに生きる大切さ、人の情もほどほどで辞退する思慮深さ、何物もすり切れて使えなくなるまでにはしない注意深さを求めている。自らの思いに正直に生き、ゆとりを忘れない中山流は、この教えに重なる。

■現場から始めた全国キャラバン

1950年5月、大阪市で生まれる。父の太郎は医師で府会議員だったが、その後、国会議員となる。弟が1人。子ども時代はガキ大将で、日が暮れるまで外で遊んで育つ。

大阪教育大学付属の小学校から高校まで進み、大阪大学で生物科学工学を専攻する。だが、大学院で博士課程へ進んだところで、転進した。79年、シカゴ近郊のノースウエスタン大学の大学院へ留学し、経営学修士号(MBA)を取得する。

79年春に帰国し、4月にサントリーに入社。28歳と11カ月の新人だった。大阪支店にいたころに父が総理府総務長官に就任し、秘書官に呼ばれた。1年4カ月で会社に戻り、財務部へいく。企画部を経て96年春に突然、全く縁がなかった医薬事業部へ異動する。そして、医薬事業が第一製薬(現・第一三共)に売却されたとき、部下とともに移籍した。この間の挑戦や苦労については、次回(5/17公開)紹介する。

第一製薬でも、経営企画部長を務めた。三共との経営統合が決まり、医薬品事業に集中するため、その他の事業の見直しを進める。臨床検査薬や試薬を手がける第一化学薬品、放射性の医薬品や化合物の第一ラジオアイソトープ研究所など、2006年10月から1年足らずの間に、次々に売却した。

2010年春、社長就任を内示され、6月に就任する。事業買収された側の人間が、買収した企業のトップに就いた。珍しい例だ。社長交代の発表会見で「サントリー出身でありながら、選んでくれた三共出身の庄田社長の懐の深さに、感動した」と言った。率直な感想で、「不昧己心」は、こういうときにも表れる。

社長を内示され、「全国キャラバン」を始めた。まず、5月後半から3カ月かけて、全国16の支店を回る。支店にいる全員を集め、自己紹介をした後、抱負を語る。終わったら、どこでも、支店長以下約20人の管理職と対話と懇親を兼ねた会を開く。8月後半からは、全国の7工場と物流センターを巡った。

本社内よりも支店と工場を真っ先に回ったのは、「まず、製品を売ってくれている人に敬意を表したい。次に、製品をつくってくれている人たちだ。そういう人たちの汗があって、研究開発など将来への布石が打てる」と考えるからだ。それが「メーカーの社長」としてあるべき姿だと、心から思っている。

キャラバンは、国内3カ所にある研究開発センター、子会社、そして本社内と続き、就任2年目も支店巡回を重ねた。海外に出張したら、海外子会社でも「タウンホールミーティング」と称し、抱負を語る。

社内向けのネットに、キャラバンについて何度か書いてきた。その1つに「意志(Will)はお金では買えない」と題し、こう記した。

「いまやほとんどのもの、優れた社員、顧客、ブランド、さらには会社に至るまで、お金で買えるようになりました。唯一買えないもの、それは意志(Will)です。この会社を、こんな会社にしたいという意志(Will)だけは、お金では買えません。それが経営の本質であるというのが、私の結論です。みなさん一人ひとりが、単に与えられた作業・数字をこなすというのではなく、それぞれの持ち場で『自分はこうしたい』という明確な意志を持って、臨んでほしいと思います」

たまに、大阪生まれ、大阪育ちであることを意識する。真剣に話し出すと、大阪弁が出る。佐治敬三流の「やってみなはれ」の精神も、口にする。「何をしたいのか」「Willを大切に」と言うのは、「やってみなはれ」と同じことを、言葉を替えて語っているのかもしれない。

要は「不昧己心」だ。

(経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥)