「検察は反省して、出直して、しっかりした組織になってほしい」と語る田中森一氏

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大阪地検特捜部や東京地検特捜部などで「辣腕検事」と評され、撚糸工連事件など大型経済事件を手がけた田中森一(もりかず)氏。だが、ある町の公金横領疑惑の捜査が検察トップによって“潰された”ことなどに反発、検事を退官、弁護士に転身した。その後、暴力団や仕手筋など裏社会の顧問となるが、商社「石橋産業」の株取引をめぐる詐欺事件などで“古巣”に逮捕され、実刑判決を受けた。昨年11月に出所。今年4月、独房生活で書き綴ったものを『塀のなかで悟った論語』(講談社)として上梓した。約5年にわたる刑務所生活の実態、そして検察への思いを語った。

■刑務所で得た褒賞金は7万2000円

―石橋産業事件で実刑が確定し、2008年3月31日に収監されました。

田中 その日、東京高検に出頭し、そのまま東京拘置所に入った。翌日朝5時ぐらいに起こされて、両手錠をかけられた。左右から看守に囲まれてバスに乗せられるんだけど、あいつら、どこに行くか言わんのや。そして、6時間乗せられて着いた先が大阪拘置所やった。別の(顧客から9000万円をだまし取ったとされる)事件で再逮(再逮捕)があるとは言われていたけど、そんな3年も4年も前の顧客とのトラブルを新たな事件にするとは夢にも思わんじゃないの。ところが、大阪拘置所に移されて再逮された。そして、あらためて懲役3年の判決を受けたわけや。

―石橋産業事件の懲役3年と合わせて懲役6年になったわけですが、刑務所生活でつらかったことはありますか?

田中 最初は懲役3年やったから先は見えとったわな。未決拘留日数を引くと服役期間は2年7ヵ月くらい。まじめにしておれば2年くらいで仮釈放がもらえるだろうと。トンネルの先に光が見えてた。ところが再逮されて、その光も消えてしてしまった。目の前が真っ暗闇になってたね。数ヵ月間、血のションベンが出たよ。こんなの初めての経験だったよ。おそらくストレスだろうね。身体的にも精神的にも苦しかった。

―服役中に胃ガンの手術を受けられたとか。

田中 刑が確定して滋賀刑務所に移されて、半年後に定期健診で胃ガンが見つかった。そして、2011年2月8日、大阪医療刑務所で胃の摘出手術を受けたわけよ。胃の3分の2をとった。でも、手術の前、医者は詳しいことは何も言わんし、こっちは直立不動で一方的に話を聞くだけ。麻酔から覚めたら3畳一間の独房やった。周りには誰もおらん。ションベンしたいから起き上がろうとしても支えてくれる人はいない。せきをするたびにお腹が裂けそうに痛いけど、痛み止めももらえない。おまけに真冬なのに暖房はない。手術の後で体力も落ちてるし、痩せてきてるから、寒さがものすごくこたえた。「胃ガンなんて手術で簡単に治る」と言うけど、ガンを宣告されると死というものを現実に認識するじゃない。半分自暴自棄になったよ。

―その逆境を支えたのが論語の教えだったというわけですか。

田中 手術後、独房の中で「これからどうやって生きようか」と考えた。中高生の頃から論語には少し親しんでいたし、自分の信念や倫理観、道徳観は論語によって作られてきたと思っていた。「転ばぬ先の杖」やったし、「転んだ後の杖」になってくれた。でも体系的に勉強したことはなかったから、もう一回きちんと勉強しようと思ったわけ。論語の本は絶版を含めて1000冊くらいあると思うけど、300冊くらいは読んだと思う。差し入れてもらってね。でも、つらかったね。手術の後、抗ガン剤を飲んでたんやけど、その副作用がひどかった。一日中、船に酔ってる感じ。とにかく気力は萎えるし、息をするのも面倒くさい。そんな感じになる。そのなかで今回出版した本の原稿を、大学ノートに書き続けた。1年くらいかかった。困ったのは資料がなかったこと。ほとんど記憶を頼りに書いた。

―懲役刑ですから作業もあります。どんな仕事でしたか。

田中 簡単なもんや。わしが配属されたのは高齢者などが作業する工場だから。洗濯バサミがあるやろ? そのプラスチックの部分にバネとなる金属のリングをパチンとはめるだけ。朝から晩までそんな作業をしてた。作業をすると褒賞金がもらえる。日当やね。いちばん安いときで月500円、いちばん高いときで月3000円くらい。わしは4年7ヵ月おったから出所するときにもらった褒賞金は7万2000円くらいや。4年も5年も刑務所に入って、たった7万円。

でね、月に一回、350円でお菓子を買える日がある。ポテトチップスとかポッキーとか。外におったら食べないようなものでも、刑務所の中にいると、これが唯一の楽しみになる。褒賞金でこのお菓子を買う人も多い。出所するときにその分のお金は褒賞金から差し引かれるから、ほとんどの受刑者は出所しても、金がなくて生活できん。仕事のないご時世だしね。結局、生活できなくなって、同じ犯罪を繰り返して、刑務所に戻ってくる。だって、塀の中に入ってるほうが楽だもん。下着など身の回りのものは、官から支給されるから。

■刑務所のなかの「行列のできる法律相談所」

―「法律家」として刑務所の中はどう映りましたか。

田中 毎日30分の運動時間があった。受刑者同士、自由に話せる時間でもある。わしはなるべく論語を教えるようにしてたんだけど、週刊誌の記事なんかを読んで、みんな、わしが弁護士だったことを知っとるから、相談に来る。並んで待っとる。まるで「行列のできる法律相談所」やな(笑)。で、法律家として何にびっくりしたかというと、9割以上の人が自分は無実か冤罪(えんざい)だと思ってること。自分が受けた裁判や判決に納得できず、不満を持っている。「俺は本来、懲役2年で済むはずなのに裁判官がバカだったために3年にされた」と、自分の量刑は不当だと思ってる。その話を聞いて、愕然としたし、空しくもなった。

わしは検事や弁護士の仕事を、それこそ命をかけてやってきたじゃない。ところが、受刑者は自分の裁判に納得できておらず、不満ばかり。懲罰を受けないよう、納得してるフリをしてるだけ。つまり、法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)は誰も彼らを納得させられていない。要するに受刑者の言い分を十分に聞いてない。受刑者の言い分を聞かず、一方的な取り調べや判決になってる。納得のないところに反省はない。だから、出所しても再犯に走ってしまうわけよ。そんな実情を知らずに、再犯防止だけを叫ぶのは、チャンチャラおかしいね。

―今の刑事司法に問題があるということですね。特に検察は証拠改ざん事件などを起こし、改革の必要性が叫ばれています。

田中 論語に「過ちて改むるに憚(はばか)ることなかれ」という教えがある。過ちは素直に認めて反省しなさいということだが、今の検察には組織としての反省がまったくない。たとえば、裏金問題だってそう。今は裏金はないよ。でも、過去にあったことは検察庁におる者なら誰でも知ってる。わしも裏金を作るために、領収書や請求書を偽造しよったんだから。上からの指示で。しかし、法務大臣も検察トップの検事総長も「過去も今も裏金はありません」と言うだけ。調書の偽造もしかり。過去を反省する人は誰もいない。

なぜ、本当のことを言えないのか? 言うたら世の中がひっくり返るからよ。検察の信用もガタ落ちする。企業の監査役や顧問には検事経験者も多い。企業が不祥事を起こしてコンプライアンス(法令順守)をしっかりしようと第三者委員会を立ち上げることもあるけど、主要メンバーはだいたい元検事のヤメ検弁護士。検察が“犯罪”をしているとなると、世間は「そんな資格はない」となる。元検事は飯も食えなくなる。自分で自分の首を絞めるようなもん。だから、検察は“真実”を認められんし、反省もない。反省のない改革なんて、茶番劇だと思うね。

―ご自身が服役することになった“事件”について今、思うところはありますか。

田中 もう忘却の彼方。前向いて生きるしかないから、考えんようにしてる。でも、後悔はしてないよ。もう一回生まれ変わっても検事・田中森一として生きたいね。今からでも検事にしてくれるんだったら、喜んで検事になるけど(笑)。検事は天職だと思っているし、検察を愛してもいる。だって、特捜検事ほど面白い仕事はないもん。電話一本で、みんなビビって飛んでくる。こんな気持ちのいいこと、ほかにあるか?(笑) 検察の特捜部は必要なのよ。かつて「巨悪は眠らせない」と言った検事総長がいたけど、特捜検察が厳然してあることが巨悪の抑制力になる。だから、反省して、出直して、しっかりした組織になってほしい。わしは志半ばで辞めたけど、ほんまにそう思う。

(構成/西島博之 撮影/山本尚明)

●田中森一(たなか・もりかず)


1943年生まれ、長崎県出身。岡山大学法文学部卒。71年、検事任官、87年、弁護士に転身。2000年、石橋産業の株取引をめぐる詐欺事件で逮捕され、実刑。昨年11月、出所。著書に『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)、佐藤優氏との共著『正義の正体』(集英社インターナショナル)など

■『塀のなかで悟った論語』


講談社 1680円


特捜検事から敏腕弁護士、そして詐欺事件で実刑判決……。獄中での支えとなったのは幼少から親しんだ論語だった。胃の摘出手術を受け、抗がん剤の副作用と闘いながら、論語を交え、大学ノートに書きつづった人生を生き抜くためのヒント