フランスの哲学者ロラン・バルトはプロレスを「現代の神話」であると語った。命も時間もない神々の世界で続く、終わることのない闘争。それがプロレスであると。
小橋建太はまさしく神であった。力道山が、ジャイアント馬場が、アントニオ猪木がそうであったように、闘うことで神になり、神として闘った。少しだけ彼が他の神々と違ったのは、他の者たちが持っていた隠しても隠しきれない才能の煌めきを、持っていなかったことだった。

彼のキャリアは団体「全日本プロレス」でスタートする。
僕が見始めた頃の全日本プロレスで彼は、自分より大きな身体の男たちに向かっていき、打ちのめされる若者だった。決して小さくなく、細くもなかったが、あまりに周りの男たちが高く、大きく、ぶ厚かったのだ。
ジャイアント馬場はロラン・バルトの世界を体現するような団体運営をしていた。大きく強い外国人同士のぶつかり合い、また大きく強い日本人が立ち向かう。そんなプロレスだった。186?の小橋はその中でもがいていた。

「勝てる訳ない」と、小橋は一度も思わなかったと思う。それこそ、USAサイズの冷蔵庫のような身体をした男たち(スタン・ハンセン、テリー・ゴーディ、ブッチャー、、、)を前にしても。
小橋には、人並み外れた身体や運動神経など、見てわかるような才能はなかった。オリンピック出場や国体優勝など輝かしい実績もなかった。ただ、意志があった。強い強い意志があった。その意志がすべての原動力。プロレスをまっすぐに愛し、自らをまっすぐに磨く。その意志こそが、彼の煌めきだったのだ。

リングの上の小橋は鍛え上げられた身体を汗で光らせ躍動していた。目を細め、
歯をくいしばって相手の攻撃を耐え、大きく叫びながらチョップを繰り出し相手を投げた。攻撃を受けることにも、攻撃をしかけることにも、まっすぐな意志があり、意志が観客を、僕を熱狂させた。強い意志の推進力で彼は神になっていった。


小橋は強くなっていた。個人的に決定的な一試合がある。1993年、ビッグ・ブーバーという巨躯(実況は「170?」と叫んだ)の外国人との一戦。ほぼ完成された小橋の肉体は大きく厚かったが、それでもしなやかで軽やかだった。そして、小橋はビッグ・ブーバーを破る。熱戦ではあったけれど、圧勝だった。当時の必殺技だったムーンサルトプレスでもパワーボムでもなく、ギロチンドロップで試合を決めたのだ。ギロチンドロップはその禍々しい名前のわりに、試合の中盤あたりで使われる痛めつけの技で、フィニッシュに使っているレスラーはいなかった。そのギロチンドロップを5連発し、勝負を決めた。つまり、小橋はすべてを出さずに余力を残していることをアピールしつつ勝ったのだ。今でも覚えている。深夜、テレビの前で僕は震えていた。小橋強ええ。それ以外には言葉がなかった。小橋建太は、僕の好きなレスラーになった。

小橋が神になりつつある頃、団体の風景も少し変わっていた。トップに立っていたジャイアント馬場、ジャンボ鶴田は一線を退き、彼らと闘うために呼ばれた大型の外国人レスラーも少なくなっていた。そして代わりに台頭したのが、小橋建太、三沢光晴、川田利明、田上明という日本人だった。人はこの4人を「四天王」と呼んだ。

この4人のプロレスは凄かった。過剰だった。極限まで相手の技を耐え、極限まで相手を痛めつけた。胸を、腕を、足を、首を。4人は組み合わせを変え、またタッグマッチで闘い続けた。まさに終わることなき神々の闘争だった。
そして彼らの驚くべき特徴は、とにかく地味だったことだ。四天王は派手なマイクパフォーマンスは一切しなかった。試合中も相手を罵ることはなく、試合前や試合後のインタビューも、いわゆるプロレス的な挑発や怒声ではなく、あたかもスポーツのようだった。しかし、その地味さが彼らをさらに神にしたのだ。彼らを見るのはリングの上だけ。力強く吠え、折れるほどに歯をくいしばる姿が、彼らの日常や生活感、実在感を覆い隠していった。プロレス雑誌の編集長だったターザン山本は彼らを「普通の人達」と呼んだ。「普通の人達」が観客を感動させるために必要だったのが、極限を競い合うような試合と隠された人間性だったのだ、と。
まるで神話の登場人物のように立派で猛々しく生活感がない。そう、この時代に4人は本当に神になったのだ。

彼らのプロレス、「四天王プロレス」はもはや感動そのものだった。本当に。腕を組み、背もたれに背中をつけて観る“観戦”ではなく、前のめりになって拳を握る“応援”を強いられるのだ。数万人が熱狂した。熱かった。人はこんなにも頑張れるのか、と思った。努力を尽くしてリングに上がる、見えないその過程を想像し涙腺がぐいぐい押された。どちらかが倒れれば、倒れた方の名前を叫んだ。いつのまにか一緒に闘っている気になっていたのだ。その意味で、観客も僕も、この試合に加担し、彼らの極限を引き延ばしていたのだろう。チキンレースのブレーキを壊していたのは僕たちだ。我を忘れて熱狂しながら神々を観ている僕たちにその自覚はなかったけれど。(実況アナウンサーが「もうやめてくれ」と叫んだことはあった)


そういえば、壁の向こう側にも3人のヒーローがいた。
新日本プロレス。三銃士。武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋。
とにかく派手できらびやか、スター性があり、リング上の技術も巧みで、言葉すらもあやつって観客を喜ばせた。比較をするなら、彼らは映画スターのようだった。あたかも光と影のごときコントラストが、より四天王を地味に思わせていたのかもしれない。


2000年、団体の崩壊で四天王が分解したころ、神話は次の章に突入し、小橋は最強になっていた。
次の団体「NOAH」で、絶対王者の称号を得ていた彼の身体はさらにさらに大きく、ぶ厚くなり、膝の故障もあってか、ノッシノッシと歩くようになっていた。まるで、彼が若いころ立ち向かってはね返された、昭和の外国人レスラーの身体。登場するだけで観客をうならせる身体だ。必殺技もムーンサルトプレスを封印し、ひとかかえはある丸太ん棒のような腕を叩きつけるラリアートと重要な試合でしか出さないバーニングハンマーになった。これから神になろうとする若者たちに立ちはだかる男。
最強の男は、笑えるほどに容赦がなく、まだ身体の細い若いレスラーでも思い切りたたきのめし、思い切り逆さに落とした。試合終了のゴングのあと、フラフラと控え室に戻る若いレスラーを尻目に、小橋はリングの上でフラッシュを浴びながらかっこうよく両手を上げて喝采を受けていた。「酷いよ・・・」と笑うしかないくらい強かった。


最強のまま小橋は、怪我に倒れた。何度も。極限の淵を観てきた代償だった。そして続けざま病気に倒れた。腎臓がん。神の次の相手は冥王ハーデスだった。

小橋は何度も「復帰戦」を闘った。怪我や冥王との激闘のあと小橋の動きは隠しきれないくらい重たくなっていった。それでも身体は、全盛期とは比べようもないものの、リングの外での個人的な激闘などなかったかのように厚く鍛え直されていた。リングに立った彼は神々の如く「死」など無関係な様子で顔をくしゃくしゃにして闘い、拳を握り宙を舞った。僕たちファンの望みを読んだかのように、その姿は神であった。



小橋建太はプロレスラーだ。神ではない。わかってはいるんだけれど、ファンは、僕は、いつもそれを忘れていた。神々を見る目で見て、神話をめくるように次を期待した。小橋建太はいつもそれに応えてくれていたから。

ジャイアント馬場が死んだとき、永遠なんてないと思い知った。三沢光晴が死んだとき、世界が終わったと思った。献花式の帰り道、道ばたでうずくまって嗚咽して泣いた。
2013年5月11日、プロレスラー小橋建太は引退した。僕は少しホッとしていた。泣かなかった。プロレスの神話はその日、次の章にうつった。小橋建太は人に戻った。小橋建太は生きている。人間らしく日常を送り、うれしかったりかなしかったり、うまくいったりミスしたりするだろう素晴らしい日々。
そして時にリングに現れるかもしれない。トレーニングをやめられない彼の身体はしぼんだりしない。それでも少し小さくなって、それを隠すようにスーツを着て。そのとき彼は神の顔をしているだろう。なぜなら、みながそれを望むからだ。それが小橋建太なのだ。

小橋建太選手、おつかれさまでした。
大好きでした。ありがとうございました。





映画かんけーねー





◆執筆  ヴィレッジヴァンガードイオンタウン千種店 西村店長
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