■“普通は”にひそむ落とし穴

先日、企業のプレゼン研修プログラム監修のお話をいただいた。こちらから予算を提示して、万が一折り合いがつかないときにはお話は流れるとのことで、内容についてうかがった後、「見積もりをいただきたい」と告げられた。

なるほど、金額が折り合わねば……、とのことなので「フォーマットがあればそれに従って起票し、なければこのくらいで」と返させていただくと、私にとっては意外な返事が返ってきた。

「内容構成はないのでしょうか。“見積もり”ですから、“当然”内容構成も必要です」

同様の経験をお持ちの方も多いだろうが、そこには互いに解釈の齟齬があった。その企業やその人にとっては「見積もり=全体構成書+予算」を意味したようだが、私の頭に浮んだ「見積もり」は、予算のみ。私たちの仕事では“通常”、全体の概要を作るときには「企画原案」「プレゼン資料」「概要書」をつくる、のように言うからだ。

両者の立場からすれば、どちらの捉え方もありえるし、良し悪しの問題ではない。ここでの落とし穴は、私が考えた“通常”にあるようだ。

■聞き手が、情報の意味と価値をつくる

以前にも書いたが、言葉の意味するところは、受け手の「特殊概念」でとらえられる。つまりは自分の手の届く範囲で知っていることから回答をみつけて理解する。だから、お互いがいる環境が違えば、その“通常”も違ってくるだろう。

この違いは「伝える」と「理解する」の段になると、あきらかに互いに情報不足と理解不足の齟齬となってしまう。「当然」と考えても、それは自分の仕事の範疇だけで通じる話かもしれない。

東北大学の邑本俊亮教授は「情報は、それ自体が意味を持っているわけではない。情報の受け手がそれを受け取ったときに意味が生じるのである。そして、受け手がそれをどのように受け止めるのかによって、情報の意味や価値が異なってくるということなのである」(*)としている。

自分の業界や、関連業種のみで伝わる言葉や習慣は、思う以上にたくさん存在する。一歩外へ出たらまったく解釈が違うことも多いものだ。上記は「含意の違い」の例ながら、こんな「意味の違い」も起こるかもしれない。

たとえば「わが社のIPPはEPCに変わる……」と話をするなら、理解できるのはその事業に携わっているか、業界の人間に限られる可能性が高いだろう。

新聞や雑誌の記事をみるとわかりやすいが、「わが社のIPP」と書いたら、(独立系電力事業 Independent Power Producer)のように、その意味を添えていく。読み手によって「IPP」は総合的製品政策(Integrated Product Policy)や知的財産保護(Intellectual Property Protection)かもしれないからだ。

■たった「ひと言」の相互理解に必要なこと

「ひと言」で伝えたとき、果たしてその「ひと言」は、相手にとっても同じ意味が含まれているのかを考えてみると、噛み砕いて伝える術になり、逆に自ら確認すべき点にもなる。  
たとえば今や日本人の多くが知るPC(パーソナル・コンピュータ)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の“略語”は、英語圏では意外にも一般に広くは使われていない。そのため日本人にあたりまえのPCやSNSも、言い方を変えたほうがいい。つまりこれと同じで、自分にとっての“当たり前”が通じないということが起こっているのだ。

まずは、「相手が誰か」「自分の言葉は共通の意味を有するか」を確認することが必要だろう。

伝える前に:相手は誰か、どんな業種か、その言葉は果たして共通の意味か。

伝えた後に:「ひと言」に含まれている案件や項目それぞれを説明しつくせたか。

こうした「自分だけがわかっている可能性」をつぶしていけば、「なぜ伝わらないのか」といったストレスを防ぐことにも、私のような不手際を防ぐ良作にもつながるはずである。映画『プライドと偏見』の原作者ジェーン・オースティンはこう語っている。

「あなたがスゴイと思うことでも、世の中の半分の人は理解できないものだ」(*2)

つまり、自分が思い込んでいることは、実は狭い世界でしか通じない概念かもしれないというわけだ。自分の表現を疑って「ひと言」の意味を説明してみれば、お互いの考えを余すとところなく共有することにつながるだろう。

[参考資料]
*『人間社会情報科学入門』情報技術と認知・感情・コミュニケーション pp193 (関本英太郎監修 東北大学出版会)
*2『コトバのギフト −輝く女性の100名言』 (上野陽子 2013年 講談社)

(上野陽子=文)