日本式のよいサービスとは顧客が期待していることを察して臨機応変に提供することである。日本式サービスを支えるものは何か。京都の花街における人材育成を例に考える。

■ビールの飲み方から何を読み解くか

ずいぶん前のことだが、神戸のホテルでサプライチェーンの国際コンファレンスを開催したときに、海外の参加者をつれて有馬温泉までエクスカーションに出かけたことがある。温泉に一緒に入って裸の付き合いの経験をしてもらおうというのが狙いだった。そのときに、温泉旅館の常務に、この旅館が提供しようとしているサービスのコンセプトについて講演をしてもらった。常務は、日本型のサービスの特徴を、欧米型のサービスと対比させながらわかりやすく話してくれた。

欧米流のよいサービスは、顧客の要求に迅速・的確に応えることだが、日本式のよいサービスとは、顧客が何も言わなくても、顧客が期待していることを察して臨機応変なサービスを提供することだという趣旨だった。外国人の学者たちは、言葉でのコミュニケーションがなくてどうして気持ちが通じるのだろう、と首をかしげていた。日本は同質的な社会だから、最小限のコミュニケーションでも気持ちが通じるのだろうと、日本に詳しい米国人学者が言ったので、皆はそれなりに納得したようだが、私は納得できなかった。

日本人でも、このような気配りができる人とできない人がいることを知っているからだ。日本人だからできるというのは間違いである。できない人にはできるようにする訓練が必要である。残念ながら、その方法について常務に詳しく聞く時間はなかった。

それ以来、折にふれて、臨機応変な日本的なサービスを支えるものはいったい何だろうかという問題について考えてきた。この問題に答えることができれば、臨機応変に対応することのできる人材を育成することができるからである。

最近この問題に答えるためのヒントが得られた。京都の花街における人材育成の研究をしている京都女子大の西尾久美子准教授から、最近の著書『舞妓の言葉』(東洋経済新報社)についての解説を聞いたときのことだ。西尾さんによれば、京都の舞妓は、お客さんの何気ないしぐさからお客さんの気持ちを読み取ることができる。

たとえば、こぶしの握りようからお客さんの緊張のレベルを察することができるというように。また、コップに注がれたビールの減り方を注意深く見るだけでもかなりのことがわかるそうだ。ほとんどビールを飲んでおられないということは、なんらかの事情でお酒が飲めないのか、ビールが好みに合わないのかのいずれかである。その場合には、ほかの人に聞こえないような小さな声でおぶ(お茶)でも持ってこさせましょうかとたずねるようにするそうだ。

■OJTで求められる2つの要素とは

こうしたタネを知らないと、たずねてきた依頼人の服装やしぐさだけから、依頼人の職業や、解決を依頼したい問題を言い当てるシャーロック・ホームズのようだ。しかし、タネを明かしてもらえばだれにでもできそうだ。天才ホームズのレベルにはなかなか達しえないとしても、このような推論能力をもとに臨機応変な対応ができるようになる。そのためには、かなりのトレーニングや指導が必要である。

顧客の気持ちをそのしぐさから読み取るための知恵のなかには、マニュアルでも伝えることができそうなものがありそうだ。上であげた例は、マニュアルにできそうだ。しかし、京都の花街では、マニュアルで伝えるという方法はとられていない。先輩による現場での指導、置き屋での教育・訓練という方法がとられている。ディズニーランドやマクドナルドのマニュアルによる知識伝承の方法とは明らかに異なっている。マニュアルによる教育と現場での指導による訓練のどちらが優れているかを一概に言うことは難しい。それぞれには長短がある。また、それぞれの短所を補う方法も工夫されている。それぞれの仕事にはどちらの育成方法が向いているかを考えて伝承の方法が選ばれるべきである。マニュアルという方法では、日本型のきめ細かく臨機応変なサービスの質を維持することが難しいのだろう。また、マニュアルでは、マニュアルを書いた人を超える知恵を得るのは難しい。

京都の花街では、マニュアルではなく、職場での指導・教育という方法が採用されている。まさにオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)である。この形での知恵の伝承には、次の2つのものがとりわけ重要だと西尾さんは言う。

1つは、仕事場での明確な先輩・後輩序列をもとにした、先輩によるきめ細かい指導である。仕事が終わってから、今日の座敷での立ち居振る舞いのなかでどこがよかったか、なぜよかったか、どこがよくなかったか、なぜよくないのかについての、先輩からの説明は有益である。先輩が示すよい手本から学べることは多いが、先輩がなぜそうしたかの説明をしてやれば、学びの質をさらに高めることができる。

現場での訓練では失敗は避けられない。顧客の気持ちが十分に読めないと見当違いの対応をしてしまうこともある。そうした失敗が起こったときには、先輩による臨機応変な取り繕いが必要になる。このように職場での学びは、職場の人間関係のなかで行われるのである。現場で先輩たちに好かれるようにすることも大切である。

もう1つは、学ぶ側の心構え、姿勢である。学ぶ側に、先輩から虚心に学ぼうとする心構えや、先輩を尊敬する態度がなければいくらよい指導をしても、指導の効果は発揮されない。そもそも、先輩の側に指導してやろうという気持ちが湧かない。先輩をうまく動かせるのは、後輩の姿勢や心構えである。学ぶ側の姿勢や心構えを形成するうえで重要な役割を演じているのは、職場で伝承されている「言葉」だと西尾さんは言う。京都の花街には意味深長な「言葉」が伝えられていると西尾さんは書いている。

最近の若い人々は、マニュアルがないと育てられないと思い込んでいる先輩が多い。そうなるのは、若い人々に日本的育成法が通じないからではなく、学ぼうとする姿勢がうまく涵養されていないためである。祇園の舞妓さんの育成は、中学卒業後の15歳から始められることが多い。それから2年もたたないうちに、お父さんの年代をはるかに超え、おじいさんの年代に近い人々の宴会でも臨機応変な対応ができるようになる。普通に進学していたら高校生の年代だ。これほど若い世代の人々でも、日本式で育て、日本式の臨機応変なサービスができるようになるのだ。先輩から学ぼうとする姿勢が涵養されているからだ。それは花街で伝えられている言葉を通じて伝承されると西尾さんは言っている。その「言葉」を知りたい読者は、西尾さんの新著を読んでほしい。

(甲南大学特別客員教授 加護野忠男=文)