仲宗根梨乃

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仕事とは?

仲宗根梨乃

なかそねりの・1979年沖縄県生まれ。19歳で渡米後、ブリトニー・スピアーズ、グウェン・ステファニーなどさまざまなアーティストのツアーにダンサーとして参加。2008年、SHINee(シャイニー)のデビュー曲で振付師となる。以後、少女時代の『GENIE』や東方神起の『Maximum』など、多くのアーティストの振付を担当。12年はAKB48『ギンガムチェック』やSMAPのライブ楽曲の振付をするなど日本での活動もスタート。13年5月にはストリートダンスと演劇を融合した舞台「ASTERISK(アスタリスク)」にも出演。ダンサー、モデル、コレオグラファー(振付師)、またアメリカのダンスグループThe Beat Freaksのメンバーとして世界で活躍している。

■ 人生はどう転ぶか誰にもわからない。あきらめないことが大事

ダンスは子どものころから好きでしたが、ダンサーになりたいと思ったことはないんです。19歳でアメリカに渡ったのは、大好きなマイケル・ジャクソンに近づきたい一心。小学校5年生のときに映画『ムーンウォーカー』を観てマイケルに夢中になり、中学2年生でマイケルのコンサートを観て「マイケルのようなエンターテイナーになる!」と心に決めてはいましたが、渡米する時点での計画性はゼロでした(笑)。

 

渡米後大学に在籍しながらダンスのクラスに通ううちにオーディションを受けるようになり、気がついたらダンサーとしてステージに立っていました。一方で、友人に頼まれてダンスを教え始め、クラスで教えるために必要に迫られて振付も始めたんです。

 

振付師としてメジャーデビューしたのは、私が踊っている映像を生徒のひとりが「You Tube(ユー・チューブ)」にアップし、韓国のアイドルグループ「SHINee(シャイニー)」の関係者が目に留めてくれたのがきっかけです。「SHINee」のデビュー曲「お姉さんは本当にきれい」の振付を皮切りに「少女時代」や「東方神起」などK-POPの人気アーティストからも仕事の依頼を頂き、その後、AKB48やSMAPなど日本のアーティストの振付を担当させていただく機会も頂きました。

 

ダンサーになったのも、振付師になったのも、私にとっては自然な流れ。目の前にあるやりたいことを日々夢中でやっていたら、今にたどり着いたという感じです。ただし、ただ待っていてチャンスが転びこむほど人生は甘くありません(笑)。特にアメリカでは誰も私のことなんて知りませんから、自分から動かないと絶対に何も起こらない。少しでも興味のあることには自分からアプローチしていましたよ。今でこそ少しはオーディション抜きで依頼を頂くこともありますが、アメリカのダンス界で仕事をするにはオーディションを受けるのが基本。20代はどんなオーディションも片っ端から受けました。

 

もちろん、落ちたことは数え切れないほどあります。でも、それも勉強なんですよね。オーディションというのは何度受けても緊張するものですが、プレッシャーの中でいかに自分の力をアピールするか。怖くても挑戦し続けることで度胸がつくし、経験にもなります。だから、オーディションで失敗しても「はい、次!」と気持ちを切り替えるようにしていました。

 

ダンサーとして活動規模が広がったのは、ジャネット・ジャクソンのダンサーオーディションに合格したのが大きな転機だったのですが、このオーディションでも実は大失敗したんですよ。憧れのジャネットの前でいいところを見せようと緊張し過ぎて2回も振付を忘れてしまい、その場に立ち尽くしてしまったんです。でも、最後にダンサー全員で踊るときには力を発揮できた。その姿をジャネットは見てくれていたのでしょう。あんな失敗をしても受かるなんて、人生はどう転ぶか誰にもわからない。「Never know」です。最後まであきらめなくて本当によかったと思います。

 

ダンスを続けていると、自分に向いているスタイルというのもわかってきます。でも、苦手なことにもあえて挑戦してきました。ブリトニー・スピアーズのワールドツアーの仕事もそうでした。ブリトニーのダンスはめちゃくちゃ女の子っぽくてセクシー。当時私が踊っていたダンスとはスタイルが違いました。オファーを頂いたものの、練習ではできないことも多く努力が必要でした。苦労しましたが、頑張ってやり遂げたからこそ認めてくれる人も増え、自分の可能性が広がった。自分の向き不向きを決めつけないことって大事ですよね。

難しいことを、難しく見せないのがプロ

現在はアメリカを拠点に韓国、日本、台湾、中国などアジアでも活動しています。私自身も世界中を飛び回っていますし、振付を依頼していただくアーティストも忙しいので、最近はどの仕事でも短い時間で完成させることが求められるようになっています。マイケル・ジャクソンが活躍していた時代は、彼が完璧主義者だったこともあり、ミュージックビデオ1本の制作に1カ月費やすこともあったようです。でも、今は3日間とか、長くても1週間で仕上げるのが普通。ステージでのダンスもアメリカのダンサーは本番までの2日間しか練習できないこともザラです。

 

アジアのアーティストの振付をする場合、事前にアメリカから振りの映像を送って、最後の仕上げだけ直接会って教えるということもたまにあります。アーティストやスタッフとコミュニケーションを取ることも限られた時間の中で行われます。だけど、それが現実。与えられた条件の中で結果を出していくしかありません。そのためには、アシスタントやスタッフとのチームワークが欠かせません。

 

「SHINee」の振付でデビューしたころは、全部ひとりで振りを考えていました。ところが、「少女時代」の仕事をさせていただいたときに、現地の振付師の方たちがついてくれたんですね。振付ってある部分だけしっくりいかないということもあるのですが、そういうときに意見を求めたら、彼らがパッとアイデアを出してくれる。その結果、自分ひとりではとても考えつかないものが生まれたりして、すごくありがたいし、楽しいなと思って。それからは、毎回できるだけ違うカラーの人と組んで、私自身の可能性を引き出してもらっています。

 

最近はアーティストの振付やダンサーとしての依頼だけでなく、ミュージカルの振付、ダンスイベントの演出、CM出演など仕事の幅も広がりました。ダンスは私の軸ですが、エンターテイナーとして人を楽しませることなら、自分に枠を作らず挑戦していきたいと思っています。仕事を通していろいろな国でさまざまな才能を持った人と出会うことが、今は楽しくてたまらない。もっともっと多くの人たちとつながりたいです。

 

ダンスをやっていると実感するのですが、プロかどうかの分かれ目は、お金をもらえるかどうかではないんですよね。アンダーグラウンドで活躍しているすごいダンサーもいれば、表舞台に出ていても「so so(平均的)」なダンサーもいる。じゃあ、プロとは何かと言うと、ひと言では定義できないけれど、難しいことを難しく見せないというのは大事ですよね。

 

キレのあるスムーズなダンスを見せるには、筋力や技術が必要です。一日や二日で身につくものではないから、もちろん練習は重ねてきました。でも、好きなことだから、苦にはならなかった。これが興味のないことだったら、とても続かなかったと思います。月に何度も複数の国を行ったり来たりするなんて、さすがの私も体力的にはキツくて(笑)。でも、好きだから、信じるものがあるから、エネルギーが湧いてくるんです。

 

就職の厳しい時代ですし、やりたいことがわからなかったり、やりたいことができなくても、まずは職に就かなければというところもありますよね。生活をしていかなければいけませんから、とにかく仕事をしなければという責任感は大切です。でも、やるからには、やっぱり少しでも興味のあることをやった方が長続きしやすいし、成果も上げやすいはずです。皆さんの人生はこれからなんだから、失敗を怖がらず、いろいろなことに挑戦してほしいなと思います。

 


■ INFORMATION

LAを拠点にしているが、「今後、日本での活動も広げていきたい」と話す仲宗根氏。日本語公式サイト「RINO NAKASONE」(http://rinonakasone.com/)もオープンしたばかりだ。最近の活動情報のほか、ステージやオフでの写真、スタッフによるブログが楽しめる。

 

 

取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子