Cdsc_0234
2013年5月5日、読売ジャイアンツとニューヨーク・ヤンキースなど大リーグ数球団でプレーして昨年限りで現役を引退した松井秀喜の現役引退セレモニーと、読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督、松井秀喜両名の国民栄誉賞受賞の表彰式がジャイアンツ対カープ戦に先立って東京ドームで行われた。

ミスターと松井の大ファンである敗戦処理。は幸いにもチケットを入手出来、レフト巨人応援席で生観戦することが出来た。

(写真:始球式を終えて記念撮影を行う右から松井秀喜元選手、長嶋茂雄終身名誉監督、安倍晋三内閣総理大臣、ジャイアンツ原辰徳監督)

前から二列目とはいえ、レフトスタンドからの撮影となると、敗戦処理。の腕では思う様な写真が撮影できなかった。ご了承いただきたい。

敗戦処理。が日本のプロ野球に興味を持ち始めたのが昭和48年(1973年)、初めて「生」観戦したのが昭和49年(1974年)。ジャイアンツのV9が終わる時期で、長嶋茂雄の晩年だ。ミスターが国民栄誉賞を受賞するに至った、多くの日本国民、野球ファンに夢と感動を与えた全盛期を見ていない。それでも父を始めとする周囲の大人からミスターの凄さを刷り込まれていたというのもあったのだろう。晩年には「ダブルの長さん」と呼ばれるほど衰えて併殺打も多かった長嶋だったが、子供心に一挙手一投足が格好良く映ったものだった。この時期、長嶋より五歳年下の王貞治は二年連続三冠王を獲得するなどまさにバットマンとして円熟期にさしかかり、本塁打記録でアメリカ大リーグのベーブ・ルースハンク・アーロンの記録を捉えるのではないかと期待されてきた。しかし子供の目には「長嶋って格好いい」なのだった。おそらくは晩年だったとはいえ、自分の通算2000試合出場の試合でチーム唯一の得点となるサヨナラ本塁打を打って大はしゃぎしたり、あと一人でノーヒット・ノーランを達成するタイガースの上田二郎からものの見事に三遊間を破る安打を放つシーンを見てスターだと思っていたのだろう。

今回、長嶋茂雄終身名誉監督と松井秀喜元選手に国民栄誉賞が贈られるというニュースを最初に聞いたとき、正直に言うと「ミスター、まさか体調が…」と思った。拙blog2月17日付エントリー元大鵬さんに国民栄誉賞 で触れたように、国民栄誉賞を贈るのなら、亡くなられたのを節目とするのでなく、健在な間に贈って欲しいと思っているが、過去の例から見てあまりそういうタイミングでの受賞というのは少ない。

松井と二人同時にセットで受賞と言うのも異例だが、ミスターの体調不良を勘ぐられないために松井を同時受賞させると決めたのではないかと敗戦処理。は勘ぐった。安倍内閣ではないが、イチローには二度にわたり国民栄誉賞受賞を打診して断られているらしい。松井にも断られないようにするにはミスターとのW受賞にする必要もある。もちろん、国民栄誉賞の話題に必ずついて回ってくる、時の政権の人気取り、話題作りという側面も…。さらに言えば、時の政権に食い込んでいると言われる渡邊恒雄読売新聞グループ会長兼主筆が、かつて自分の掌中に置こうとして失敗して大リーグに流出させてしまった松井を、今度こそ自分の掌中に置くために安倍首相に働きかけて長嶋&松井のW国民栄誉賞を実現させて恩を売ったのではないかなとも。

しかしそうはいっても、敗戦処理。が長くプロ野球ファンを続けている中で、最も影響を受けた両名が揃って国民栄誉賞を受賞し、その表彰式が総理官邸ではなく東京ドームで行われるというのだから、これは出来ることなら同じ空間で観たいと思い、四方八方手を尽くし、高い買い物にはなったが、試合のチケットを手にすることが出来た。もちろん不正な方法で入手したのではない。

それほど入手困難だっただけのことはある。本当に立錐の余地もないという感じだった。
Cdsc_0055

最初に話が出たのは松井の現役引退セレモニーだった。
Cdsc_2649
ジャイアンツでの師匠に当たる長嶋終身名誉監督同席の元、東京ドームでセレモニーを行うと。

松井はファンへの挨拶で、「二度とここに戻ることを許されるとは…」という言い方をしていた。ジャイアンツでFA権を行使してのニューヨーク・ヤンキースへの移籍が決まったときの会見で「裏切り者と言われるのは覚悟の上」と言ったのを思いだした。個人的には当時松井の流出は覚悟していたし、非難するとしたら松井本人ではなく、FA制度というものを、欲しい選手を獲得するという点では躍起になるのに、一番肝心な所属選手の引き留めも満足に出来ないジャイアンツ球団の方だと思っていた。確かにFA権を行使して、自分の意思で球団を出ていく選手に対し、ファンが裏切り者呼ばわりする風潮があるのは事実だが、選手がそこまで卑屈になる必要は無いと思った。だが松井があのように口にしたということは松井の元にFA移籍に関する筋違いな批判が寄せられたのだろう。そして十年の時が経ち、かつてのホームグラウンドに立つことを許されることではないと本当に思っていたとしたら、謙虚を取り越して卑下しすぎだと思う。しかし、この後に行われた国民栄誉賞の表彰式のスピーチでも、同賞の先人である王貞治衣笠祥雄に比較して自分は何の記録も持っていないし、長嶋監督のような大人気があるわけではないので光栄であると思うのと同様に恐縮に思っていると言っていた。これは松井自身が自分の置かれている立場を客観的にというか、俯瞰で捉えているからこその言葉だと思う。

率直にいって、松井秀喜の国民栄誉賞受賞にはこれまでの(野球界に限らぬ)歴代受賞者と比較してもいささかの疑問があった。上述のような邪推もあったが、今日の松井自身のスピーチを聞いて、敗戦処理。としては松井の受賞に関してとやかくいうのをやめようと思う。

安倍晋三
首相は二人への祝福スピーチで、よりによって自分はアンチ巨人だとカミングアウトしていた。官邸ではなく、エンターテイメントのメッカで行われる表彰式だからそのくらいのジョークは許されよう。首相からは表彰状や金のバットなどが二人に贈呈された。スタンドからは確認出来なかったが、ミスターの近くに次女の長島三奈がいて手伝っていたそうだ。長男の長嶋一茂は日本テレビの放送席にいたそうだ。一茂がグラウンドで表彰状や記念品を手にすると、そのまま福井県のスポーツミュージアム山田コレクションに転売してしまうおそれがあるからか<笑>そして二人からは首相にオリジナルのユニフォームがプレゼントされた。「ABE 10」ではなくABE 96のユニフォームだった。日本国憲法第96の改定を目論んでいる安倍首相にとっては何よりのプレゼントだったろう<笑>。

そして、最後に記念の始球式。松井が上下ともにジャイアンツの背番号55のユニフォームに着替えてマウンドに立った。おそらくはこの日のために、大田泰示の登録を抹消し、急遽背中のローマ字部分を差し替えたのだろう<笑>。

そして打席に立つミスターは上半身だけとはいえ「背番号3」のユニフォームを着た。しかも背番号の上にローマ字が入っていないので監督時代ではなく、現役時代の仕様に合わせたものだ。「生」肉声での挨拶に続きこれでまた泣けてくる。かつてミスターはジャイアンツの球団創立以来通算5000勝達成記念のイベントに参加したときにも他のV9戦士達が当時の背番号のユニフォームを着用して各ポジションに立ったにもかかわらずミスターだけはユニフォームを着ていなかった。右手はポケットの中。仕方ない事情だったとはいえ、ミスターの「背番号3」を観たかったファンもいただろう。これで保守派の安倍首相が捕手で阿部主将の真似をしてくれたら最高だったのだが、捕手は原辰徳監督が務め、安倍首相は第96代首相に因んでプレゼントされた「ABE 96」のユニフォームを纏って審判という役どころだった。松井の投じた一球は高めに外れる山鳴りのボールだったが、打者長嶋は左手一本で持ったバットで空振りした。
Cdsc_0221
不謹慎にもげすの勘ぐりをしてしまったが、打席でのミスターは間違いなく野球人だった。バットを左手一本で持ってはいたが、見た感じ背筋は伸びていた。ユニフォーム姿といい、スピーチといい、ミスターとしても、最愛の教え子とともに受賞したこの晴れがましい席に、これまでにない自分の姿を晒すことがファンへの感謝に当たると考えたのではないか。正直、もう少し危なっかしい姿を想像していた…。そして最後にこの四人で記念写真を撮影し、セレモニーは終わった(冒頭の写真)。

これだけでもうお腹いっぱいになったのだが、せっかくなので試合も観ることにした。試合は内海哲也ブライアン・バリントンの予告先発。カープは内海の先発に合わせ、一番から九番まで右打者を並べた。
Cdsc_0031
このため、試合開始の時点で、ベンチに右打ちの野手が控え捕手の倉義和と、内野手の小窪哲也だけになっていた。

試合は内海とバリントンがともに譲らぬ0行進だったが、七回裏にホセ・ロペスが先制ソロ本塁打を放ち、ジャイアンツが1対0とリード。

八回表にカープが先頭の石原慶幸がレフト前安打で出ると、代走に安部友裕を送り、バリントンに代打、倉。倉が送って一死二塁とすると一番スタメンで通算打率が一割に満たない赤松真人に代わり、最後の右打者となる小窪を起用。カープとしては勝負をかけた形になったがショートゴロに倒れ、しかも三塁を狙った安部が刺され、得点圏から走者が消えて内海を助けてしまった。
Dsc_0349

カープは最終回に、ジャイアンツの二番手、右投手の西村健太朗に左の代打攻勢をかけてロペスのエラーを足がかりに二死満塁とするが、左打者の安部に出す右の代打がいないのを見透かしたかのように山口鉄也を起用され、ショートゴロに打ち取られて1点が遠かった。

かつて1995年の原監督の現役最終試合や、2005年の長嶋終身名誉監督の病気後初の東京ドーム「生」観戦の対戦で容赦なくジャイアンツに勝利したカープだったが、二度あることは三度無かった。カープはこれで東京ドームの対ジャイアンツ戦に13連敗となった。

最後、カープのベンチには野手が左打ちの岩本貴裕しか残っていなかった。九回表はまさに総攻撃といった感じでめまぐるしく代走、代打を惜しみなく使った。
Cdsc_0419
もしも同点または逆転して九回裏の守備があったらどんな布陣になっていたのだろうか?安部は本職が内野手だからショートに回し、三塁には一塁から栗原健太を回す。一塁には松山竜平を入れ、丸佳浩中東直己を外野に入れれば形になる。時に後先考えていないと批判されがちな野村謙二郎監督の選手起用だが、最後の一線は守られているようだ。

だが、個人的には1点差ゲームではビジターチームは可能なら同点狙いでなく逆転狙いをするべきとの持論があるので、八回表の無死一塁では送りバントをしてから最後の右打者小窪起用ではなく、無死一塁で即小窪起用で九回表の廣瀬純に託したような強攻策をとるべきだったと思う。そのくらいしないと、東京ドームでの連敗ストップは少なくとも接戦の中では出来ないのではないか。

そう考えるとジャイアンツはこの三連戦に三連勝したがそれは決して横綱相撲的な勝ち方ではなく、ホームアドバンテージに助けられながらの三連勝だったと思う。実際マツダスタジアムでのこのカードでは逆の展開でサヨナラ負けも喫していた。

試合終了後、全てのイベントが終わり、東京ドームはBGMに、ミスターもボーカルに加わった1993年の大ヒット曲「果てしない夢を」(ZYYG、REV、ZARD & WANDS featuring 長嶋茂雄)を流すナイスな選曲をしたが、ライトスタンドのジャイアンツ応援団が松井秀喜の現役時代のヒッティングマーチを何度も再現したりして長々と余韻に浸っていたので肝心のミスターの熱唱部分がかすかにしか聞き取れなかった。まぁこの曲は明日また聞けるかもしれないが…。

そして敗戦処理。が陣取ったレフト巨人応援席には「長嶋茂雄は俺の青春だった」と言わんばかりの年配のファンが結構いた。敗戦処理。は久々に外野席に座ったが、感覚的には内野席より傾斜が急で、自分より年配の方達がよく無事に通路の階段を上り下り出来たものだと感じた。そんな方達の長嶋ヒストリーは今日で大団円を迎えたのだろうか。それを演出できたとしたら“アンチ巨人”という小ネタを振りながらも安倍首相が最も得をしたのか、それとも渡邉会長が最も得をしたのか…。個人的には敗戦処理。は充分に元を取ったと思うので得した感だが…。

そして逆に、チケットを購入した時点ではまさかこんな大袈裟なことになるとは思わなかったであろうカープファンの皆さんが一連のセレモニーに暖かく付き合って下さったことに一ファンとして感謝したい。