昭和56年8月15日の漫画

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新聞の連載漫画は日付を意識せざるを得ないのが最大の特徴です。とくに「フジ三太郎」は、作者自身が掲載日にこだわり、その日にあわせたネタを多用しています。

4月1日にはエイプリルフールを、5月1日にはメーデーを、4月末から5月上旬はゴールデンウィークをしばしば取り上げます。年々歳々めぐる記念日でも描き変え、新しい作品を出しています。その手口、発想力の多彩さ、構成の妙には驚嘆せざるを得ません。

8月15日の食事は「終戦日メニュー」

1年を通して読むと、まるで「4コマ漫画で描いた歳時記」のようにもなっています。そうした意味でも「フジ三太郎」は昭和後期の貴重な生活記録であり、日本人の感情が詰まっています。

さまざまな「記念日」の中でも作者のサトウサンペイさんがとくに気合いをこめて描く日があります。

たとえば8月15日。フジ家の朝食は、おカユまたはスイトン少し(1コマ目)、昼は抜き(2コマ目)、夜はイモまたはイモのツル(3コマ目)です。三太郎は2人の子供とそんな「終戦日のメニュー」を共にします。

そして4コマ目、おなかをすかせた子供2人は「戦争反対」のプラカードを持って部屋の中をデモし、三太郎は「食べ物で教えるのがいちばん」とつぶやきます。子供たちに平和の尊さを認識させるには、戦争中の食事がいかに貧しかったか、それを体験させるのがいちばん効果的というわけです。

5月15日は沖縄返還の日。三太郎は沖縄にいます。「昭和20年の沖縄県 人口45万のうち死者15万6千人」という沖縄戦の犠牲者数を反芻しながら慰霊碑に頭を垂れます。そして2コマ目には、

「オキナワケンミン カクタタカエリ ケンミンニタイシ コウセイ トクベツノ ゴコウハイヲ タマワランコトヲ」

というカタカナで書かれた一文が登場します。末尾にオオタシレイカンと、これもカタカナで書かれています。

この一文は、昭和20年6月6日、当時の沖縄・大田実司令官が、海軍次官あてに沖縄での戦況を伝えた電報の、最後の部分に書かれた有名な言葉です。電文なのでカタカナになっています。

沖縄では「お釣り」受け取らない

電文の冒頭には、「沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており…、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる」とあります。

そして陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、沖縄の人々はただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱き軍に協力したと称え、この戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている沖縄の悲惨な実情を切々と訴えています。

大田司令官は約1万人の兵力で米軍を迎え撃つものの、孤立を強いられます。食料も底を尽き、敗色濃い中で、この電文を打った1週間後の6月13日、自決します。

三太郎はこの「オオタシレイカン」の言葉をしっかり胸に刻んで、沖縄の土産屋に向かいます。お土産を買って千円札を出しますが、お釣りは受け取りません。だまって走り去ります。今の自分にできる精一杯の恩返しです。

一介のサラリーマンにすぎない三太郎ですが、このときばかりは粛然と襟を正しています。この漫画を読んだ日本中のサラリーマンも、おそらく同じ思いだったことでしょう。

先日、「4月28日」をめぐって本土と沖縄のギャップが話題になりました。この作品は32年前のものですが、なかなかギャップは縮まらないようです。