1974年、鹿児島県生まれ。邱永漢氏に師事し、2005年より、チャイニーズドリームを夢見て北京で製パン業を営む荒木氏が北京の現状をレポートします。

 旧正月明けの2月末、当社のパン工場で焼き場班の責任者として頑張っていた高君が辞めたいと申し出てきた。高君が入社したのは2009年の末頃、最初はパンの配達員としてのスタートだった。

 精悍な顔つきの高君は責任感も強く、配達の仕事を黙々と頑張ってくれた。上司の推薦もあり、未経験ながら生産部に異動となり、パンづくりに励み、ついには班の責任者になった。

 旧正月に故郷へ帰省するまでは元気に働いている印象しかなかったので、私は驚いて高君に尋ねた。

「どうして急に。来月からは大型の新商品もスタートするから頑張ると言ってたじゃないか。どこかに転職するのか?」
「いえ、転職するわけではありません」
「じゃあなんで?」
「なんというか、やる気が急になくなったんです」
「工場の人間関係に問題があるのか?」
「そうじゃないんです。でも、このままここでやっても家なんか絶対に買えないと思うんです」
「……」

 そう言うと高君は、「自分の考えは固まっているので申し訳ない」と私に告げて持ち場に戻った。とりあえず故郷の山東省の煙台市に帰って、自分で商売の道を探してみるとのことだ。

 私は高君から、社会に対する怒りと失望を強く感じた。地方の農村出身の彼からしてみれば、中国の社会には目に見えない相場というものがあり、自身の出生から浮上するには相当の努力と運が必要だ。そもそも人生のスタートからして大いに不公平なのだ。

 私自身も高君に夢や希望を持たせられなかった責任を感じ、少しの間喪失感に苛まれた。しかし経営者として、社員に実現もできないホラを吹いて焚きつけても、そのうちに化けの皮がはがれて信頼を失うだけだ。

 この感覚は、日本を出て所得の低い国で仕事をしないと分かりにくいと思う。

 大きな夢や希望をぶち上げて、やれベンチャーだ上場だ、「みんなで金持ちになろう」などと言うのは、すでにある程度満たされた人たちの話だ。

 正直、当初は私も大きな夢と目標を社員たちに語った。すでに満たされつつあった幹部社員の一部は、素直に感激してくれて夢と目標を共有できた。

 だが給与の安い単純作業を担っていた大部分のスタッフは、一様にしらけた感じで話を聞いていた。「それはあなたたち幹部の夢と目標であって、学歴も特別な専門もない我々には関係のない話だ」と思っていたのだ。

 中国には都市戸籍か農村戸籍か、一級都市か二級都市かなどの戸籍上の差別が確実に存在する。中国はとにかく大きい。戸籍の管理制度がないとコントロールが難しいというのも事実だろう。これについてはいろいろな意見があると思うので多くを語らないが、すくなくとも私は大きな壁を感じている。

 私が2004年に中国で仕事をスタートしてから、はや9年が過ぎようとしているが、この間、確実に貧富の差は広がった。広がったなどという言葉では足りない。下から上が目視できなくなったというのが実態だ。「いったいなんなんだ、これは」というぐらい、持つ者と持たざる者の差が広がっている。

 裕福になった人々が正当な努力のもと、その財を成し得たのであれば、妬みはあれども尊敬もあいまって認められるだろう。しかし、現実はどうか。

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