中小企業の若手サラリーマン田中は月に1日しか休まず深夜まで残業し無我夢中で会社に尽くしていた。一方同期入社の山田は、ちょっとした手違いで恋人を3人作ってしまい、彼女達の相手をするのに忙しく、会社でもメールばかり、毎日定時きっかりに会社を後にする生活を送っていた。数年が経つと、田中の社内での評判は上がり、上からも信頼される存在となった。一方山田は数年前とほとんど相変わらずの存在であった。恐らくこの時点で2人が会社にもたらした利益や、会社のために尽くした時間には数倍の差がついていただろう。
さて、この2人が毎月会社からもらっている「給料」だが、どの程度の差があるだろうか。山田の数倍会社に貢献している田中は、山田の数倍の給料をもらっているだろうか。山田が30万円なら、60万円か、90万円か・・・?きっと社会人の皆さんは「そんなことはない」と思うだろう。
そう、実際にこの2人の給料の差は、たった「1万円と少し」であった。
これは決して稀に見る悲劇、の話ではない。この世の中で極一般的に見られる、普通のこと、である。もはや「サラリーマンあるある」と言っても過言ではない。しかしこの普通のことに対して、何となく疑問を抱いている方も多いのではないだろうか。
では、次の話についてはどう思われるだろう。
ある飲料メーカーから発売されたフルーツジュースは非常に美味しかった。一方同時に発売された別の会社の野菜ジュースは、普通の味だった。数ヶ月後、この美味しいフルーツジュースは大ヒット。売れに売れまくった。一方普通の野菜ジュースは普通の売れ行きに終わった。恐らくこの時点で、この2つのジュースが社会にもたらした“飲んだ人が感じる喜び”という利益には数十倍以上の差がついていただろう。
さて、この2つのジュースの「価格」だが、どの程度の差があるだろうか。数十倍以上人々に美味しい思いをさせたフルーツジュースは、普通の野菜ジュースの数十倍の価格だろうか。きっと消費者の皆さんは「そんなことはない」と思うだろう。
そう、実はこの2つのジュースは、どちらも同じ150円であった。
この話なら何の疑問も抱くことなく聞くことが出来るのではないだろうか。ジュースは美味しかろうが不味かろうが、相場が150円なのだからそれほど変わるはずがない、そう思うのでは?
給料とジュースの話を比較する際のポイントは、2つの話の何を何と置き換えて考えるか、ということである。
まず「田中」は「美味しいフルーツジュース」、「山田」は「普通の野菜ジュース」に、そして「2人の給料」は「ジュースの価格」に置き換えられることは間違いないだろう。次に、田中と山田の「労働力」、そして2人が会社にもたらした「利益」はジュースの何にあたるだろうか。「労働力」を「美味しさ」に、「利益」は「飲んだ人が感じる喜び」に置き換えるのが正しい。
こう置き換えてみると、給料は「労働力」や「会社にもたらした利益」で決められているわけではない、ということが理解出来るのではないだろうか。
つまり…、“給料は何で決められているのか”と言えば、「相場」で決められているのである。
これを理解していれば、「あいつより俺の方が働いているのに給料が同じなのはおかしい」と憤慨するのはお門違いであることが分かる。
もちろんこの話は、「頑張るのは無駄」とか「楽した方が得」ということを言っているものではないだろう。この記事のタイトルは、「“あなたの価値”は、今現在の「給料」で決まらない」、と言い換える事ができるかもしれない。
※例えが悪くて「なんか納得いかない」という方は、木暮太一氏の著書『ずっと「安月給」の人の思考法』(アスコム)読んでみることをおすすめします。

(Written by リョヲ丞)