埼玉西武ライオンズ北海道日本ハムファイターズ第6回戦は、11対0でライオンズが勝利した。
 ライオンズは3回、坂田遼のタイムリー2ベースヒットなどで2点を先制。5回にもライアン・スピリーのタイムリーヒットなどで4点を追加した。
 投げては、先発の十亀剣が9回を投げ、10奪三振の好投。プロ初完投完封で飾った。

 プロ初完投・完封を目指し最終回のマウンドに上がった十亀だったが、この回の先頭打者、今浪隆博に対する初球が逆球に。捕手の炭谷銀仁朗もキャッチできず、ボールは球審の右脛を直撃した。
 球審も捕手と同様にレガースを着用しているが、プロの投手の球が直撃したのだから、痛くないはずがない。案の定、球審はしばらく立ちすくみ、炭谷も回復を見守った。

 米メジャーリーグには、「審判は決して顔をしかめているところを、選手に見せてはいけない」という不文律がある。威厳を保つため、たとえファールボールが直撃しても、審判は毅然としていなくてはならない。
 それでも痛みを堪えられないときには、捕手にカバーすることが求められる。マウンドに行ったりして、審判が回復するまで時間稼ぎをする。
 この試合でも炭谷は、マウンドにこそ行かなかったものの、審判に声をかけるなどし、時間稼ぎをしていた。

 審判も、ファールチップが捕手の股間を直撃し苦しんでいる際には、回復まで待つ。捕手と審判は、ある意味ではもちつもたれつの関係なのだ。

 そんな関係が崩れたのは、1969年の日本シリーズ読売ジャイアンツ阪急ブレーブス(現在のオリックスバファローズ)第4回戦で、ブレーブスの捕手、岡田幸喜わざと球審にボールを当てた
 岡田は投手に、高めの速球を要求。打者も手を出さないようなボール球だったが、岡田もミットを出さなかった。ボールは当然、球審に岡田功審判を直撃した。
 
 このような事態になったのには、理由がある。4回のブレーブスの守備で、3塁走者の土井正三と、先発捕手の岡村浩二が本塁前で交錯するクロスプレーが起きた。
 本塁に突入した土井は、岡村に跳ね飛ばされたように見えたが、岡田球審の判定はセーフ。これを不服とした岡村は猛抗議し、日本シリーズ初の退場処分を課せられた。
 岡村に代わりマスクを被った岡田だったが、先に紹介した高めのボールの見逃しは、岡田球審への報復だった。

 これには、周囲も猛反発。10月31日付の朝日新聞は「嘆かわしい」と記し、後に4勝2敗でシリーズを制したジャイアンツの川上哲治当時監督も、11月3日付の読売新聞掲載の手記で、「(第4戦のトラブルでの岡村の)行為はわからないではない。しかし、あとで阪急がとった行為を私は責めたい。捕手が故意にボールを後逸して審判に当てつけるあの行為を見て、私は阪急にチャンピオン・フラッグを渡すことはできないと気負った」と、この行為を批判している。

 ちなみに問題となったクロスプレーだが、後に報知新聞が撮った写真で、岡田球審のジャッジが正しかったことが証明された。