ヨーロッパの街を歩いていると、子どもたちのサッカーに出くわすことがある。
 歓声に誘われてグラウンドへ足を運ぶと、見慣れたユニホームが泥にまみれていたりする。ドイツとオランダのクラブや、オランダとベルギーのクラブの下部組織が対戦をしている、といったことに何度か出会った。国境沿いの片田舎で、名前も知らないクラブ同士の対戦に遭遇したこともあった。
 
 国際試合と呼ぶのは少しばかり大げさだが、自国以外のチームと対戦する意味では「国際的な」対戦である。試合を見つめる大人たちの表情は真剣そのもので、色々な指示が飛ぶ。言葉は分からなくても、ボールの行方と試合の流れから何となく理解できるものだ。
 
「シュートを打て!」とか「守れ!」といった叫びに混じって、「ボールをまわせ」とか「ボールを落ち着かせろ」といった具体的な指示──父兄の必死の形相を見ると、指示というより「願い」と言ったほうがいいかもしれない──も聞こえてくる。どこの国でも、父兄というのは似たようなものだ。
 
 島国の我々が国際試合をするには、飛行機か船に乗って海外へ出かけるか、海外からチームを招くか、のいずれかになる。アウェイの環境下を求めると、「海」の「外」へ足を運ばなければならない。
 
 これがヨーロッパになると、かなり多くの国は「海」の「外」へ出かける必要がない。電車に1時間も乗れば、「国」の「外」である。自国の言葉が通じる場所も少なくないし、「いざ、海外へ」と身構えることもない。
 
 海の外と、国の外と──。言葉遊びをするつもりはないが、僕には似て非なるものに感じられる。
 
 ヨーロッパや南米の選手は、日本人に比べると成熟するのが早いと感じる。20歳そこそこの選手でも、試合の流れ、時間帯、スコアなどに応じてプレーを変えていく。ベンチからの指示を待たずに、である。
 
 彼我の違いはどこで生まれているのかを考えると、国際試合が身近であるかどうかに気づく。
 
 国外で試合をするのは、自分に馴染みのない価値観に触れるということだ。同学年や近い年代のゲームでも、生まれ育つ環境は国によって千差万別だ。学校教育のカリキュラムも違う。自分だけが目立たないことが尊ばれる国があれば、1番になることを徹底して追求する国もある。少年期から様々な価値観と交流をはかることで、ヨーロッパの子どもたちはやがて訪れる真剣勝負に向けた準備を、知らずしらずのうちに進めているのだろう。
 
 大陸をまたいだ大会の充実も見逃せない。ヨーロッパならチャンピオンズリーグとヨーロッパリーグ、南米ならコパ・リベルタドーレスである。
  
 国外からやってくるクラブは、アウェイの雰囲気のなかでどのように戦っているのか。どうやって勝点を持ち帰ろうとするのか。国内リーグ戦とはまた違う戦いを目の当たりにすることで、「勝つために何をするのか」が世代を越えた共通理解となっている気がするのだ。
 
 そういう意味で僕は、アジアチャンピオンズリーグに期待している。

 ホーム&アウェイで争われるのはJリーグと同じでも、ピッチ上でぶつかり合う価値観には明らかな違いがある。代表レベルなら格下と見なすタイのチームが、Jリーグのチームを相手に実に巧妙なゲーム運びを見せたりする。アウェイでつかむ勝点は、Jリーグをしのぐ重みを持つ。異なる価値観に触れ合う機会として、ACLの価値にもっと着目するべきだと思うのだ。