高級シッピングモール・グリーンベルトで見つけた不思議な日本レストラン「ジョンとヨーコ」

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 マニラにある日本大使館には、3日に1人の割合で、異国の地でホームレスになった日本人がやってくる。そのほとんどが高齢の男性で、「困窮邦人」と呼ばれている。

 フィリピンだけで年間100人という数に驚くかもしれないが、これは2011年の数字で、前年(2010年)の海外援護統計では332人と、毎日1人の割合でマニラの大使館やセブの出張駐在官事務所に一文無しになった日本人が駆け込んできた。

 ちなみに、国別の困窮邦人は2位がタイ、3位がアメリカ、4位が中国、5位が韓国となっているが、フィリピンだけで全体の半分近くを占めておりその数は圧倒的だ。

 困窮邦人の激増は現地の日本人のあいだではよく知られていたが、その存在を広く日本社会に知らしめたのは、マニラ在住のノンフィクションライター水谷竹秀氏の『日本を捨てた男たち』(集英社/第9回開高健ノンフィクション賞)だ。

 この本の冒頭で紹介される困窮邦人・吉田正孝(仮名)の生活は衝撃的だ。

 愛知県内にある自動車部品の工場で溶接の派遣社員をしていた吉田は、名古屋市内のフィリピンクラブで知り合った女性を追いかけて、40代半ばでフィリピンにやってくる。所持金はわずか20万円。ルソン島東部ケソン州にある女性の実家で暮らしはじめたものの、手持ちの金が尽きたとたん、いきなりバス停に連れていかれ、マニラまでのバス運賃250ペソ(約500円)を渡された。

 マニラに着いた吉田は、とりあえず日本大使館に向かうが、「飛行機代も食費も出せない」といわれて路頭に迷うことになる。

 困窮邦人の扱いには日本大使館も苦慮している。自らの意思でフィリピンに渡航し所持金を使い果たした困窮者に、国民の税金である公金を安易に貸し付けることはできないからだ。そこで、両親や兄弟姉妹、親類などに国際電話をかけて援助を求めることになるのだが、不義理を重ねて日本にいられなくなったケースも多くほとんど断われるという。

 吉田はしばらくのあいだ知り合いのフィリピン人の家で面倒を見てもらっていたが、そこも居づらくなると、日本大使館に近いパサイ市の教会で寝泊りするようになる。この教会は24時間開放されていて夜になっても追い出されないが、長椅子に横になることは禁じられていて、椅子に座ったまま眠るしかない。

 夜が明けると、吉田は教会近くの貧困地区にあるフィリピン人女性の家に行く。吉田が「お母さん」と呼ぶこの女性は、ゆで卵や野菜の揚げ物、ソフトドリンクなどを販売する露店を教会の前に出している。

 吉田は、商売に使う台車をデッキブラシと洗濯石鹸で洗い、揚げ物用の野菜を包丁で刻み、売れ残ったゆで卵の揚げ物を再利用するため衣をはがす。そうして正午ちかくまで働き、台車を教会前の所定の場所まで運ぶのが彼の仕事だ。

 吉田は「お母さん」の家で朝食と昼食を食べ、さらに20ペソ(約40円)の日当までもらっている。ゆたかな国からやってきた日本人が、フィリピンのスラムに住む露天商の女性に雇われ、面倒を見てもらっているのだ。

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